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わたし流の内観瞑想
中村清二
1.内観との出会い
昭和27年、苦しい闘病生活の最中に、神様の方から私に出会って下さいました。それから暫くして、我が家の近くに戦勝国アメリカの資本で、カトリック教会と学校ができました。
私は敗戦で落ちぶれた日本の仏教よりもキリスト教に魅力を感じ、日曜日にはラテン語のミサを覗くようになり、次第に公教要理を聞くようになりました。当時は教え方が下手で、私にはわからないことがかなりありましたが、民族的劣等感から、大抵のことは鵜呑みにしました。とはいえ、話を聞くうちに、キリスト教は素晴らしい教えであることを初めて知りました。と同時に、キリスト教の教えやしきたりの中に、日本人の私にはどうにも馴染みがたく、物足りない部分の多い宗教であることもわかってきました。しかし、これもいずれは解決できるものと期待して、昭和31年に37歳で洗礼を受けたのであります。
当時は第2バチカン公会議によるカトリック教会の大変革期のことですから、教会は、司祭も信徒も、その他すべてが揺れ動いている時でもありました。その後40年の間、悩みながらも、革新派の神父様や他宗教の方々の薫陶を受け、種々の角度から己の信仰を見直し続けました。
考えてみれば、ヨーロッパ大陸で育ったキリスト教という大木を、文化の違う日本という東洋の島国の土壌に移植した時、これが果たして土着するであろうか、日本人に受け入れられるであろうか・・・という疑問は、多くの先輩たちが悩んでいた共通の疑問でありました。
それから時は移り、平12年となりました。再度この時、横浜港南教会の催しで、藤原直達神父様によるカトリック内観研修会(10月23日〜25日)が行われました。この研修会で、私は初めて「内観」というものに出会ったというわけです。
ここで、まず一番嬉しかったことは、藤原神父様も、日本人として私たちと同じ悩みを抱えておられる一人であり、これを「内観」を通して克服しておられることでした。これは、私にとって実に大きな収穫で、それまで本物のカトリック信者になり切れない我が身の劣等感が、この時から自信へと変わり始める明るいチャンスとなりました。
(神父様の著書『内観の霊性を求めて(1)心の内なる旅』を見て頂ければ、このいきさつがきっとご理解いただけると思います)。
2.カトリック内観とは何か
2-1. 自我からの解放
前記の通り、神父様の著書をお読み頂ければわかることなので、ここでは私なりに理解したことを、ごく簡単に申し述べます。
これは自己探求方法の一つで、心の内を深く観ることです。即ち、自我から解放されて、神と出会うための秘訣だと理解していただければよいと思います。
それでは、自我とは何でしょうか。申すまでもなく、自分の考えです。我が強いとか、自我に執着すると言いますが、これは自己中心的で、物事にこだわり、他人の意見を受け入れない排他的な心の働きです。こういう人は、いざとなると自分の考えを優先し、神を無視するので、宗教的には罪人ということになりましょう。この意味では、大抵の人は罪人であると言えます。
また、傲慢でわがまま、人を憎む、執念深く欲が深い、よくわかりもしないのに他人の意見を盗み受け売りする、こういうことも自我の類です。
つまり、自我が強いのは人生を不幸にする大きな要因なのです。
2-2. 十牛図について
後ろの載せられている「十牛図」は、自我に束縛されている私たちが、内観を通してそのしがらみから解放されるには、いかなるプロセスを辿るかという、心の変化を示した絵図です。
この絵は、今年3日13日(日)に当教会で行われた講話会で、藤原神父様から頂いたものですが、僭越ながら、これに私流の注釈をつけてみました。(案内本欄に紹介されており、注文すれば手に入ります)
第10番目の絵は特に大切です。宗教の悟りや内観の極致は、ここにあるのではないかと思います。即ち、悟りとは頭で難しく捏ねたり、聖人めいたことを言ったり、不思議な業を見せようとすることではないということです。悟った人ほど、物静かで、目立つことを避けるものです。謙虚です。
内観の極致は、10番の絵にあるように、喜びに満ちた平凡な生活を、日々淡々と、しかも謙虚に生きることだと思います。カトリック内観瞑想とは、自分の心をひたすら見つめて、生涯を悟りのゴールへと進むことだと、私は理解しています。
瞑想を始めたばかりの1日目は、何もかも真っ暗闇です。それが2日たち、3日たつ内に、暗闇に目が慣れるように、次第に過去の人生が見えてきます。今まで一度も思い出したことのない世界が思い出され、驚きます。これが深層心理的に自己を探求する秘伝秘訣なのです。
内観は宗教だけに限らず、人生すべての変容に役立ちます。また、知識信仰、口先信仰を改めるのにも最適な方法であると私は思います。
私は、以前籍を置いていた教会で、昭和58年から平成4年までの12年間、キリスト教入門講座の講師を担当させて頂きました。そしてこれを修了された約40人の方々は洗礼をお受けになりましたが、仕上げのテーマに、これを講義してさしあげられなかったことが残念でなりません。
3.内観瞑想の行とは何か
ここでも、研修会当日に出席されなかったり、上述の神父様の著書を読んでいない方のために、この内観の行を私流に簡単にご紹介します。
これは座禅に少し似ていますが、あれほど窮屈ではありません。まず屏風で仕切られた場所に座ります。足腰に障害があるなら椅子にかけてもよし、疲れたら、横になり、体を伸ばしても構いません。
次に、内観に入る準備として、精神統一のために腹式呼吸をします。これは数息観と呼ばれ、大変重要です。首筋や腰骨を伸ばし、肩の力を抜きます。次にゆっくりと息を吸い、それを臍下丹田に押し下げるような感じで、息ごとに「ひとーつ」「ふたーつ」と数をかぞえながら、細く長く、ゆっくりと吐き出します。数息観のかわりに一息ごとに「聖霊、聖霊」と唱えることもありますが、これを10分間ほど繰り返します。そのうちに聖霊が全身に充満した感じがし、雑念は次第に消えていくはずです。私は肺活量が少ないので、自分に適した調子を見つけるのに、少し時間を要しました。
さて、静かにこの呼吸を続けながら内観に入り、徹底的に自分に向き合います。基本を身につけたり、深く内観するために集中内観という行がありますが、これは、入浴とトイレ以外は座る場所を離れず、食事と睡眠もその場所でとり、これを通常7日間連続して行います。そして、孤独や沈黙の行に飽きたり、迷ったときの助けとして、同行者という先輩が、時々、屏風の場所を訪れ、励ましてくれます。
3-1. わたし流の内観法について
さて、私もこの研修会で少し座って、初歩的な体験をしました。これは私のような86歳で片肺の老人には、肉体的にかなりきついと感じました。ですから集中内観のような業はあきらめ、自分の体に合わせたわたし流の内観をすることにしました。
それは特に改まったものではありません。老人夫婦だけの我が家はどこも小部屋ですから、内観向きで好都合です。体が疲れやすいので、大体1日1回、1時間程度にしています。瞑想中でも、疲れたら横になり、腹式呼吸をしながら背筋を伸ばすと楽になります。夜中に目が覚めた時は、頭が澄んでいて、深く瞑想できることもあります。また、病院の待合室で順番を待つ間にも、電車の中でも、歩きながらでも、時間を有効に利用できます。その他、自分の健康や環境にあわせれば、誰でも、どこでもできる行であると思います。
また、私は近年、目と耳の障害が進み、記憶力もひどく衰え、せっかく読書をしてもすぐに忘れてしまいます。内観のように、心の目、心の耳で己を見つめる修行は、今の私にとって大変適しているように思います。
これまで種々のキリスト教刷新運動や他宗教との対話にも首を突っ込みましたが、私はどれにも満足できませんでした。しかし、このカトリック内観だけは、私にとって自然な形でピタリときますので、もっと早く始めればよかったのにと、残念に思っている次第です。
多分、このカトリック内観が、私にとって人生の仕上げの修行となることでしょう。
3-2. 内観瞑想の順序
ここでは前記十牛図のプロセスを辿るための方法を、さらに具体的かつ簡単に述べることにします。
これは、過去の人生の棚卸しをすることでもあり、おおむね次の3項目をテーマとして深めていきます。
@・・・に、して頂いたこと
Aそれに対し、お返しをしたかどうか
B迷惑をおかけしたことはないか
@の対象には、まず自分の母を選びます。母は世界中で最も自分を愛してくれた人、しかも無償で愛してくれた人です。内観のテーマは母から始まって母に終わると言われますが、内観では、それほど母を大切にします。その理由は神父様の著書をぜひご覧下さい。
なお、配偶者の母も同様に大切にすることを忘れないで下さい。
ここで大切なのは、母がどうであったか、責任を果たしたかどうかなど、過去を思い出して裁くのではありません。(これを外観と言います)母の態度がどうであろうと、欠点だらけであろうと、そんなことは問題ではないのです。母の愛を自分はどう受け止めたかについて、自分の心の中を深く究明すること、これが内観です。
Aに対しては、何の感謝もせず大面していた親不孝者の自分に気づかされ、お詫びしたくなるものです。しかし、その母はもうこの世にいないとなると、泣きたいような思いになります。
私は、この@の部分で「外観」に陥ってしまい、初めのうちは、母の欠点ばかり拾っては裁き、内観瞑想の目的がわからなくなって、しばらくやめたことがあります。ですから、皆さまは、どうか、この外観と内観を間違わないように気をつけてください。
Bの迷惑をおかけしたこと。
ここは、お詫びしたいことばかりです。以上、@ABを内観するとき、母に限らず何事に対しても、自分は威張れるものなど一つもないことに気づき、感謝したり、他人の思いやりに心を向けたり、謙虚な生き方に目覚めてくるものです。ここで、いつしか神の霊に出会い、平凡で淡々とした生き方の素晴らしさがわかります。私はまだ未熟ですが、少し体験するだけでも、すがすがしい気分になります。
4.母に対する内観の体験
4-1. 子守唄
「ねんねんころりよ、おころりよ、坊やはよい子だ、ねんねしな」
瞑想していると、丸くなった背中で孫(私の息子)をおんぶしている母の姿が浮かんでくる。私もこの、ねんねこ半纏にぬくぬくとくるまれて、母に子守唄を歌ってもらったことであろう。遠い昔のことで、記憶がはっきりしない。この母は、親ばか丸出しで、欠点も人並みであったが、大切にしてもらった思い出がたくさんある。
私はこのご恩にお返しをしたであろうか。全くないわけではないが、やったと言えるほどの思い出はない。むしろ、当然の権利のように考えていた。母が亡くなって、もうすぐ43年になる。お墓参りをして、たくさんお詫びをしたい。
4-2. 叱られて
関東大震災で焼け出された我が家は、親戚や知人の家を点々として、5年の間、居候生活をしていた。昭和3年、池袋という草深い田舎町にやっと借家を見つけ、一家はほっとしたところであった。(これは我が家のエジプト脱出のようなものであった)。
そこ頃、私は小学3年生であった。ちょうど夏休みの頃で、友達はみな、海や山へ行って楽しそうであった。我が家にはそんな余裕はなかったのであるが、私にはそれがわからず駄々をこねたらしい。疲れて会社から帰ってきた父は、これを聞いていてさぞ辛かったであろうと思うのだが、ついに堪忍袋の緒が切れて、私は外へつまみ出されてしまった。道を隔てた向こうは大きな寺で、外灯もなく暗闇であった。「ひとだま」が出ると噂される寺のまわりで、ひどく恐ろしい思いをした。いくら泣いても、家には入れてもらえない。やぶ蚊には噛まれる、空腹にはなるで、泣き疲れてしまった。
そうしているうちに、母が握り飯と手拭をそっと持ってきてくれた。不安と悲しみでいっぱいだった私の涙をぬぐってくれた母がとても有り難く、その手が光って見えた。そしてその夜、家中が寝静まった後、母は自分の布団を濡れ縁まで引きずってきて、私を抱いて一緒に寝てくれた。私はカーチャンが無性に有り難くて、いつまでも泣いた。涙で月がにじんで見えた。
しかし、この母の愛を、私は長い間忘れていた。75年もたった今、内観のおかげで思い出すことができ、ただただ、感謝とお詫びの気持ちで一杯である。
4-3. 外套
私が14歳の頃のことである。満州事変は終わり、世は軍国主義一色となった。中学生の制服も軍服様式に変わり始めた。私の学校でも、外套は胸に金ボタンが2列に並び、剣吊りボタンのある、いかめしい制服となった。これは我が家には高価過ぎて、学校を中退するかどうか問題になった。この時も、母が自分の大切な着物を売って、外套を注文してくれた。これは有り難くて、感謝のしようがなかった。だが、しばらくすると、これにも慣れてしまい、剣道に夢中になり、勉強をサボって落第しそうになり、母に心配をかけたことを思い出す。だから、「母に何をお返ししたか」と問われると、返す言葉が全くないのである。
4-4. 母の幻
昭和18年には、私は北支の山東省にいた。24歳であった。最前線部隊の兵器を修理するのが任務であった。2月18日午後2時頃、36名の我が小隊は、徐縷という所を行軍中、数百名の共産系部隊に包囲され、死を覚悟の激戦となったが、援軍の到着により奇跡的に生還することができた。この戦闘中に母の幻が現れ、生きる望みを失いかけていた私を励ましてくれた。
「かあさん、こんな危険な所まで来てくれたの!ありがとう、ありがとう!」感激と興奮で、ヒュッ、ヒュッと飛んでくる弾の中で、私はしばし茫然と立ちすくんだ。余りにも不思議な体験だったから・・・。
母の愛とは、影法師のように、どこまでも追いかけて来ることを私は知った。しかし、それも日常の雑事に追われ、いつしか記憶の彼方に追いやってしまっていたことを申し訳なく思うのである。
4-5. 母の貯金
昭和38年になった。兄嫁が病死した。母はその病気中から手伝いに行き、自分も病気になって兄の家で亡くなった。84歳であった。世話になりっぱなしの母は、もう、この世にはいない。
あれから随分年月がたった今、母から5万円を預かっていたことを思い出した。母の最後の看病に、なぜこの貯金を使わなかったのか、自分の愚かさが悔やまれる。母に対する数々のお詫びと、母の永遠の安息を願って、43年目の法要を捧げようと思っている。
♪里のみやげに、何もろた
でんでん太鼓に、鉦の笛・・・
4-6. 母の愛を通して知る、神の愛
母のねんねこ半纏の中はぬくぬくと暖かく、どんなにヨダレを垂らしても、オシッコをしても、決して叱られなかった。影法師の如く、どこまでも追いかけて来てくださる母の愛を思う時、その背後にある、はかりしれない大きな神の愛にどう感謝してよいのか、私には言葉がない。
私たちは、飛んでも跳ねても、このとてつもなく大きな神の愛の外に飛び出すことは、万に一つもないのである。これに気づいたら、もう、転げて喜ぶ以外にすべはない。
私を包みくるんでくださる神の、大きな愛に感謝。
○無限に広がる大宇宙(bP)東京、HKさん
タイトルは一世を風靡した某アニメのオープニングナレーションではありません。私が10日の夕方から16日の午前中まで過ごした場所であり、ほんのちょっぴり体験したことを一言で表そうとしたらこんなタイトルになりました。
「内観」とは読んで字のごとく心の中を観ることです。由来その他は藤原神父様がお書きになった本の中で詳しく述べられていますので、私は一週間、どんな体験をしたかについて珍しくまじめ(?)に感想文まがいのものを書いて見たいと思います。
場所は茅ヶ崎(他の数ヶ所でも行われています)。内観という言葉だけを聴くと仏教くさいですが、イエス様はもちろん、パウロなど多くの聖者達が内観していたんだなと思いました。内観が終った後で、そのへんの感想を神父様は聞かれましたが、私には違和感どころか『ああ、これぞバタ臭くない日本のキリスト教!』という印象を受けました。
神父様は「カトリック内観(瞑想)」という言葉を使っておられますが、内観をされる方はもちろんカトリック信者ばかりではありません。信者でない方もいらっしゃいますし、様々な方がなさっておられます。
内観所の周りには精神的なハンディを持った方の施設があるほかはなにもない。時折飛行機の轟音が聞こえるほかは、小鳥のさえずり、夜は星が見え、水道もありません(毎朝バケツで水をくんでくる)。裸電球に掃除機をかけるだけで電圧が下がるという、これぞまさしく『隠遁所』とよぶにふさわしい木造の古い一軒家。
荷解きして早速「内観」の始まりです。たたみ半畳分に屏風をたて、朝6時起床から、10時就寝までトイレ・入浴以外はこの屏風の中のみが時分の生活空間です。食事は同行者(神父様)が屏風まで運んでくださり、以前に内観された方のテープを聞きながら、食事も屏風の中でします。
いよいよ、内観の本論。心を調べる方法は次の3視点である。
1、していただいたこと。
2、おかえししたこと。
3、迷惑をかけたこと。
先ずは「母」について。母に始まり、母に終りました。年代を区切って現在に至るまで「他者が」ではなく、「自分が」どうであったかを屏風で遮断された中で壁に向かって上の三点についてひたすら調べます。
この調子で書くと「内観」ではなく「外観」になってしまうので、恥ずかしいけれど私の例をあげます。以下は小学一年生から三年生までの母に対しての自分を調べたものです。
「していただいたこと」
吹雪の日、そのころはマメタンを入れてくれましたが、子どもの足には熱くてこたつに入れるのを嫌がると、母は自分のスカートの中に私の両足を入れさせ、腿をぴったりとくっつけて暖めてくれました。
「お返ししたこと」 何もございません。
「ご迷惑をかけたこと」 体操服やクレヨンなどを忘れると、「お母さんがちゃんと用意してくれなかったから先生にしかられた」と、いつもは母に責任転嫁をしておりました。
自分で前の日に用意せず、常に母に甘えて用意してもらって当たり前だと思っておりました。
一日に7〜8回同行者(ここでは藤原神父様)との面接があり、調べたことを申し上げます。でもこれは報告会ではありません。
去年、女子医大の外科の帰りに地下鉄に発作的に飛び込みそうになったけれど、私は自分で自分が愛せなくなっていました。今回、集中内観を受けたいと思った理由の一つがこれでした。「クリスチャンがなんてこったい」って頭で思うほど泥沼に。
父母の内観を通して「いかに自分が愛されてきたか」に気づかなかったが気づかされました。
今まですべて「当たり前」だと思っていたからです。何もお返ししていない、迷惑ばかりかけている。でも親は無償で愛してくれる。両親ですらそうなのだから親の親である神様の愛はいかばかりか、と感じました。
このように両親から近親者へと調べていきます。
ところが神父様は、いったん近親者への内観から離れ、つぎに「身体」についての自分の内観をするように提案されたのでした。
「体に対する自分の内観」
実は、内観をする理由の一つとして、私は自分の病気を受容できていなかったのです。
年代順に見てみると、風邪一つひかない健康な頃は「健康で当たり前」だと思っていました。だから特別、身体にも迷惑もかけていなかったけれど、お返しもしていませんでした。
ちょっと外観になるけれど、…。私が身体の不調をきたしたのは、今から12年ほど前。就職して2〜3年目でとにかく忙しくて夜の9時、10時まで残業し、カルテを書きながらカップラーメンで夕食を済ませ、土曜日へたすりゃ日曜も出勤。この不摂生で身体に大いに迷惑をかけていました。
身体は「これ以上無理するとだめだよ」というシグナルを出してくれていたにもかかわらず、「こういう職場の状態だもの、しょうがない。父の借金を返すためだもの」と私はすべてそれを無視していました。
でもこれはよく調べると環境のせいにしていたに過ぎないのに気づかされました。本当は職場のせい、父のせいではなく、自分が安定した生活を捨てたくなかったのです。これって、エゴ。自分のエゴのために身体に迷惑をかけ続けていました。
それでもギリギリまで身体は頑張ってくれていました…私は仕事に戻るために、職場復帰するために股関節の手術を受けました。これも自分の「我」です。自分のエゴのために股関節と膝に迷惑をかけたのです。
それでも私は「当然、身体は私の意思についてくるものだ。私が好きでこんな身体になったんじゃない。」という考えでした。そしてとうとう、して頂きっぱなしの身体に副作用だらけのステロイド剤を使う状態になり、結局退職しました。
ここで同行者である神父様に「では、これから体に対して、どう、お返しするか?」と問われました。まずは身体に「よく今まで頑張ってくれたね。ありがとう」と素直にほめてあげて、いたわる事だと思いました。
私は未だかつて、一度も、自分の身体に耳を傾けたことがありませんでした。いかに無茶苦茶なことをしてきたかに気づき、愕然として落胆する私に、神父様は「今、面接しながら思いついたんだけど」と「特別メニュー」を入れてくださったのです。これが効きました。
それは「医療と身体」というテーマでした。私が患者であると同時に医療従事者であるからこそのテーマともいえました。
「医療(医者・薬)」にしていただいたこと、「身体」はそれにいたか、「自分」はどうであったか。最初はピンと来なかったのですが、身体に聞くしかありません。たとえば、医療の代表として「ステロイド剤」を取り上げてみると、
「していただいたこと」
・めまい発作から開放されて聴力が少し戻った。
・ベーチェット病の進行が抑えられる。
「お返ししたこと」
・体は上の二つに対しては即座に反応してくれた。
「迷惑をかけたこと」
・耳はよくなったけれど、身体全体に副作用を及ぼして、身体をパーツとしてしか診ません。しかも判断材料はすべて生化学検査などの「数値」です。
そこからはみ出していれば「異常」、範囲以内なら「正常」と決め付ける傾向にあります。それで理屈に合わなければ私のように「原因不明の難病」と言い渡されます。
医者は薬その他が身体の他の部分に及ぼす影響は考慮しない。あるいは副作用を抑えるために、また更に薬を出す。いわゆる「対処療法」でしかないわけです。それが現代医学の限界でした。
こうして医療・身体・自分と三つの対象について観たら、それぞれが食い違っていたのです。
神様は人間の身体を実に精巧にお造りになっておられますから…私は自然治癒力を引き出すことができないものかと考えていました。…太極拳で同じ流派のDrはホリスティック医学の第一人者と呼ばれていましたが、彼はいいます。東洋医学は部分ではなく、身体全体を観ます、そしてその土台は『心』であると言われました。
内観は『心』を観るわけですから内観自体が私にとって治療でもあることに気づかされました。しかも副作用はありません。かつ、土台に直接働きかけるのですから、これこそ根治治療であるといってもいいでしょう。(了)
○EA・座禅・カウンセリングの体験から見た内観 神奈川・MN氏
| この論文は、1999年1月の「カトリック内観研究会」で発表されたMN氏のものを、研究会が編集したものである。様々な経験を踏まえてのご自分の内観体験は、すでにニュースレター三号でも述べておられたが、このたび、個人的な内観体験を更に思索し続けておられる。大変、貴重な記事だと思う。
(編集者) |
EAと内観
内観に興味を持ったのはEAという感情的問題をもった人たちの12ステップ・自助グループの活動を通じてでした。私も中年期の精神的危機を経験したものとしてそのグループに加わらせていただいています。
EAはアルコール依存症の自助グループを母体としており、AAの12ステップを使っています。この12ステップが内観法の過程とよく似ているのを知りました。内省により自分の過ちを認める。すなわち、沢山の周りの人たち、自分自身、そしてハイヤーパワーへの過ちをまず認める。また、それにもかかわらず、周りの人たちやハイヤーパワー(自分より大きな力・自分の信じる神など)によって大切に生かされていることを知る。そこから感謝が生まれ、過ちへの埋め合わせへの強い動機付けがなされるようになる。
内観法では、内観三項目「していただいたこと」「お返ししたこと」「迷惑をかけたこと」を調べることを通して、自分の自己中心性による周りへの過ちに気づき、それにもかかわらず周りの人たちの愛によって許され、生かされており、強い報恩への動機付けをいただく。
このように人格変容への過程は極めて似ている。違う点としては、体験的に言えば12ステップには仲間との連帯意識が強く、そこに働くハイヤーパワーへの信仰がある。それゆえ、ミーティングには霊的な働きをまざまざと実感できる場合もあり、現実に神様に出会い洗礼を受ける人もいる。
内観法では12ステップと比べて大きな特徴は、その短期の集中性である。隔離された個人で行うため精神的集中性は極めて高く、人格の変容は顕著なものとなる。
また集中内観の場合、通常一週間にわたり、一日15時間の内観となる。これは合計105時間に達し、EAミーティングの週2時間の一年分に相当する。
その他の特色に相違は多いが、両者の特徴を生かし、両者を同時に行う場合、その相乗効果はきわめて大きいものになると思われる。
| 編集者注:12ステップにつながったばかりの人には、まず、12ステップをこなすように勧める。12ステップのなかの4・5ステップは過去の棚卸であり、その徹底としての内観を勧めている。 |
座禅と内観
私の参禅は、秋川・神冥窟が立てられ第二回目の接心に人から勧められて参加したときに始まり、今に続いている。
最初の接心は極めて強烈なものであった。その頃、私は実生活と信仰の遊離に悩み、また長期にわたるヨーロッパ海外出張で、いわゆるカルチャーショックの洗礼を受けていた。自分とは何か、日本人とは何か…と考えめぐらしていた時であった。
神冥窟では円覚寺の雲水であった方の厳しい指導の下に、一週間はアッという間に過ぎていった。終了直後は、「あぁ終ったか。まぁよくやったなぁ」位の印象であった。しかし翌日目を開けた時、世界は一変した如くであった。「心身一如」というのか身体に喜びが満ち満ち、気力が身体全体に満ち、手の指先までエネルギーが満ちているように感じられた。心は透明に澄んでいるようであり、深い平和があった。これこそ、無意識のうちに、いつからか私が探していたものだと分かった。それから7〜8年盆・正月なく坐禅に没頭し、現在までいくつかの山はあったが座禅は続けている。
内観法と座禅を比べてみると、興味ある相違点がある。座禅も内観法も無意識の世界を対象としている。しかし、前者は主としてユングの言う「普遍的無意識」を扱っており、後者は「個人的無意識」を扱っているように思う。したがって、見性(悟り)した人に老師が「謙遜になれ、謙遜になれ、そうでなければ見性などしないほうがよい」とうるさいほど言われるのが理解できる。禅での個人的無意識を通り越しての目覚めには、個人的無意識の問題(注・我欲)が未解決であるからだろう。それに対し、内観では個人的無意識を主として扱う。それは後天的、個人的に獲得されたものであり、より倫理的比重の高いものである。個人的経験の意識化は人間を謙遜にする。
三重県桑名市の宇佐美和尚様は鎌倉での数百の公案を済ませてから、まもなく奈良の吉本先生(注・今日の内観方の創始者)のもとに行かれたと聞いている。吉本先生から「あなたのように座禅を極めた方が、なぜ内観をされる必要があるのですか」と尋ねられ、宇佐美和尚様は「自分の匂いを消したいのです」と言われたと聞いている。和尚様のところでは、内観の中に禅のすぐれたところを取り入れた独特の内観法を行っているそうだ。
私の体験では、内観においてキリスト者は己の原罪の存在を意識するのではないかと思う。自分ではどうすることもできない自己中心性の我執に対して、キリストに贖われた罪の後を見るように感じる。「罪のあるところに恩寵もいや増した」ということが実感できるように思う。
カウンセリングと内観
五十代になり、中高年の心の危機を体験した。当時の私は、遺産をめぐる家族の争い、会社部署内での人間関係のもつれ、OA機器を使っての連日の残業、新しく配属されてきた若い女子社員が(もともと不適応行動があって…)神経症にかかり、などなどで私自身の心労も重なり、友人のカウンセラーに私の話を聞いてもらうことになった。
カウンセリングやその後の自己分析では自分でも予期できない自己像が次々と意識化されてきた。
信仰に基づいての高い理想と現実の自分とのギャップからくる心の葛藤、地位や名誉への願望が強いにもかかわらず無意識に抑圧したり、会社でラインからはずされた恨みがあるにもかかわらずそういうことへの愛着は卑しいことのように言ったり、他人下の過度の親切は他人から嫌われるのを恐れていたためであったり、自分の寂しさを満たすためであったりした。また困っている人に献身的に奉仕することが、その重荷に疲れると「お前なんかどこかに行ってしまえ」と心でささやいている自分がいた。こうした無意識を探っているうちに、自分の現在の根に触れたように思う。こうして無意識が爆発してきたのも、神の前での二日間にわたる祈りの結果出てきたものであったと思っている。髪はそんな罪人をも許してくださっているという実感があった。
これを契機として回復が少しずつ生じた。また、回復の過程で、ヤクザ風の男と路地裏で喧嘩をしたりした。これは子どもの頃、よい子であり喧嘩などまったくしたことがなかった事への反動であった。子ども返りさえし、自我の再構築をしていった。自分の理想と違った、認めたくない自分のありのままの姿を受け入れていったときに自我は再統合されていった。
そしてゲシュタルト心理学でいう「鍵体験」即ち、鍵穴にカチッと鍵が合い、扉が開くような経験をした。いわゆる「図」と「地」が反転したように、すべてがOKの状態になった。
これは座禅の時の体験・心の澄んだ透明な平和な感じというよりも、感覚的に高揚したような感じであり、嬉しくて嬉しくてたまらないという感じであった。無意識の浅い層での統合なのかもしれない。こうしてある意味で、個人的無意識の問題は解決されたかもしれない。しかし、社会生活での適応には問題を感じないが、霊的な深みへの飢えを満たすものを求めていた。私はOK、あなたもOK、すべてはOKという領域にはまだいなかった。
まさにそんな時、EAを通して内観を知りえたことは幸運であった。
昨年、集中内観をした時、自分の中にあったユングの言う「太母的元型」に近い母のイメージが大きく変わった。母への内観で、清清しい個性的な近代的な自我を持った母に気づくことができた。
今後の自分の課題としては、内観に座禅の深さと、カウンセリングの受容と共感、そして原初的エネルギーの解放、またEAの集団の中に働く霊的力を併せて、主として心理療法的な側面から実証的に研究していきたいと思っている。
編集者:MN氏の論文は大きな課題で終りました。それらの総合化の過程はどういう方向に行くのだろうか。異質なものの統合は深層領域に突入するのであろう。すべての基底にある、ゼロポイント、大極、一者、絶対無、あるいは聖なる四文字の方(ヤーヴェと云われる神)…そういうところで確かに統合されるだろうと思う。
最近、内観が中国宋学での静座により「理」を悟ってゆく修道と似ていることを知った。それは一見禅と似ているが、日常の事物・出来事の理ことわりを一つ一つ極めてゆくというものであり、座禅より内観法に近い。
多くの場合、内観では表層領域での思考態度を反省するに留まっているが、内観が深まるということは、もっと無意識の深いところ(深層無意識領域)に下ってゆくのだろう。それは絶対的な暗黒にまで降下されたキリストのへりくだりに呼応する営みであり、まさにそれを目指して、カトリック内観瞑想と呼んでいる。
同行者として、そのへんが一番興味のある領域である。論文をありがとうございました。
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心の姿勢 神奈川県 TH氏
港南教会に藤原直達神父が出張で「集中内観」をしていただけるというお誘いがあった。三日間だけの変則形式とはいえ、「内観」に具体的に参加できる。嬉しかった。多少の都合はやりくりしてしまった。怠け者にはもったいない機会が与えられ、期待と不安で10月23日を迎えた。
小教会内の遮断環境をどう創るのだろうかなどという心配は、神父の見事な采配で吹っ飛んだ。長椅子を少し動かし、参加者の各人とは十分距離のとれた沈黙の空間がたちまち確保できた。御聖堂内での左右の壁面に対座する。「身調べ」に入った。抽象的でなく具体的にというアドバイスを頂き助かった。
二日間を亡き「おふくろ」に使う。五年間位の時系列で具体例を拾い出す。始めてすぐに気がついた。「なんとかなるさ」という安易な気分の故か、集中できないのだ。雑念が廻り、探すべきものは片方に押しやられ、空転とブレーキの繰り返しが、恐ろしいほどのエネルギーを費やした。何回目かに、同行者藤原司祭の短い面接で、体力は消費しないが、精神の消耗にぐったりしている迷う自己を発見した。かつて経験したことがなかった心体験だった。じわじわ心底に潜む実体が浮き上がり、見たくない、押し込んでいた「我」の影がチラつく。このような訓練を受けたことがなかった。外見は坐っているだけで、講義も何もない。あるのは貴重な「沈黙」だけである。
三視点で調べたわずか二日間の「対おふくろ」の身調べは、私の完敗に終る。してもらったことに口先だけの感謝だったのが分かった。与えられてきた事と与えたと思ってきたことの落差というかアンバランスに愕然とする。こんなはずは無いと又考える。ざわつく心が続く。素直に「参った」と呟いてみて、落ち着きが戻るのだ。弱い己に初めて気づいたようである。
第三日目前半を一転して、どうしてもゆるせない一人の男に対する「身調べ」に当てた。さらに膨大な時間が要りそうだ。私の中に住む鬼は容易に妥協しない。二重人格みたいな自らの姿勢を実感している。業か、狂か、今後の大宿題が残った。
毎日終了後、ミサにあずかった。「ありのままの自分を奉献」しようという神父の言葉は私の救いだった。委ねる姿勢に初めてはれたのではないか。素直に感謝と言えたと思う。(了)
夫と同時に内観 大阪 KH氏
先日はお世話になり、ありがとうございました。無い寒中も、本当に祈ってくださいましてありがとうございます。帰宅すると夫の表情が変わっていました。ちょうど、夫に対する自分の内観をしているとき、神様は夫にも内観をさせてくださいました。夫の話では「何か分からんけど若いとき教会(日本メノナイト・プレザレニ教団受洗)へ行ってた頃のことが浮かび、その頃の気持ちになった。何で、今まで、イライラしてギャーギャー言っていたんやろ。すべて悪いのは人のせいにして批判ばかりして腹を立てていた。悪いのは自分で、自分の問題だった。いかに自我に生きていたか!自分が変わらんといかんと思った。お前は、何や、いつも1に信仰、2に信仰、3、4がなくて5に信仰と思っていた。H神父さんに話を聞いていて自分は、ついていけないと思い、行くのを直ぐやめたけど、いかに、自分が高慢だったかと分かった。改め、お前を見直したといったらおかしいかも知れんけど、世間一般の人は上ばかり見ているが下を見て生きていたんや、今まで気がつかなかったけど、一番近くによい見本が居た。自分が、定年までいけたのはF病院に通院していたからできたと思っていたが、そうではなく、普通はできないけど、いつもお前が受け止めてくれていたから定年までいけたと分かった。今まで、その度に言ってくれてたな!自分が聞かなかっただけで…」「そうよ、幾ら言っても聞く耳を持っていなかったよね、それどころか、反対にとっていたね。お父さん、すごい、良かったね」「私が、お父さんの内観をしていた時、同じようにお父さんも内観していたんやね。感謝。今まで、ずっと、このようになるのを待っていたんよ」と夫にいいました。神父さん、こんな大きいお恵みをいただきました。本当にお世話になりありがとうございました。追伸:A神父さんが、いつも仰っておられる、潜心して神の現存に生きる、接触すること。内観も同じことですね。(了)
夫婦一緒に内観 盛岡 U夫妻
〈ご主人の手紙〉
私たちは8月西宮トラピスチヌスで開催された内観に夫妻二人で参加しました。大阪からわずか1時間の大変便利のよい場所でありながら、木々と静寂に包まれた修道院での一週間の時間は、現実ではなかったような不思議で爽やかな印象を残してくれました。
半畳の屏風の中は、意外と居心地のよい空間でした。殻に閉じこもり、空想の中で遊んでいた自分を思い出しました。しかし、自分と向き合う作業は苦しいものがありました。毎朝あのミサと、同じ目的を持って参加された方との無言の交流ができた食事の時間は私を勇気付けてくれた大事な時間でした。
今、私は一週間の集中内観を終えて、十分なものではなかったかもしれませんが、大きな満足感を持っています。今回の課題であった「妻が支えてほしかったとき、支えられなかった原因」を掴むことができたように思いました。そのことを帰りの新幹線の中で分かち合うことができました。また、夏休み中に内観の一週間の体験を整理できました。この成果を子どもたち、職場に活かしていきたいと考えています。時間の経過とともに、元に戻ってしまうかもしれませんので、妻と二人のミニ内観と分かち合いを実行してみたいと思っています。
〈奥さんからの手紙〉
西宮での内観の申し込みをした後でも、本当に二人で行けるのだろうかと少々心配でしたが、無事修道院(西宮トラピスチヌス)にたどり着き、6泊7日の心の旅をなんとか終えることが出来たのは、神父様と同行者のおかげと心から感謝しております。
帰りの新幹線の中で神父様の教えてくださった分かち合いを夫としました。(私は)夫の話をひたすら聞いて、(夫は)私の話をひたすら聴いてくれました。私はすべてを話しました。長い沈黙の時が流れました。そして、また二人のいつもの時が戻ってきました。母親の子宮から出てきたところに共に立って、痛み、喜びを分かち合っていきたいとの願いが叶い、感動しています。30年求めてきて、いえ50年求めてきて、『今』があります。私の内の神に確かに出会えました。もう私は一人ぽっちではありません。もう大丈夫です。
修道院のたたずまいが鮮明に心に甦ります。あの場所が私の心の再生の場になりました。また、二人で内観瞑想したいと思っています。そのためにも内観的見方を日常化していくつもりです。そして、一人でも多くの人に親との和解がいかに必要であるかを伝えて行きたいと思います。(了)
死の暗闇の淵から光へ 東京 42歳
3回目になる今回の集中内観は、死の淵を歩んでいる…そんな感じのする一週間でした。自分の中の暗闇を見ることでいのちに向かって歩めるのですが、それをするのも辛い。しかし、立ち止まっては死の中に落ちてしまうのではないかという不安の覚えた内観でした。
「嘘と盗み」、「兄弟姉妹たち」に対する内観が終わり、人生の夢(何をすればハッピーか、自分の居心地ののよいところはどこか)を調べる時も、心底嫌気がさし、このまま死んでもよいとの気持ちになり、眠り込んでしまいました。目が覚めてから、今までの私の中にあったおぼろげなイメージとして抱いていた事をはじめて言葉で表現してみました。それをすることで、死の淵を歩んでいた状況が希望・光に向かった感じがしました。
今回、私の内面において、希望・光に向かっての働きと、それとは逆の絶望・死に向かった働きの両方を強く感じました。前者の働きがわずかなもの、後者のそれは力ずくで奪うような働き。後者の働きかけに屈しないで進んでいくと、その後に、ほのかなそよ風のような働きがそこから届いてきました。
後者の思いに屈したいと強く感じると、死を意識しました。この戦いに負けると肉体は生きていても霊的生命は死んだままこの世の生活を送ることになると気づかされました。
こうした内観で、自分の対人関係の姿を見せていただきました。親・兄弟に対して否定的な感情を根強く持っていた事が、つまりは、外での人間関係にも影響を与えておりました。『愛』という言葉はこれまであまり使わずにいましたが、これからは親・兄弟に対して『愛』を持って自分から積極的に関わりを続けたいと決心しました。(了)
父との和解 千葉 シスターI
朝晩は秋を感じさせる涼しい風が吹いてくる頃となりました。大阪はまだまだ残暑が厳しいでしょうか。お礼が遅くなり申し訳ありません。戸塚では丁寧なご指導をいただき、ありがとうございました。
猛暑の中を、忍耐強く、同行してくださったことに深く感謝しております。
内観が終わり、帰るときには、自分には十分内観できなかったという悲しさが残っておりました。
何をやっても中途半端なんだ。もう、神様を求めるのもやめよう、との思いまで浮かんでおりました。幸い、その後時間がありましたので、祈ったり、自分なりに内観をしたり、いただいた本を読んだりしているうちにいろいろなことが整理され気づかされました。
内観中に神父様は、屏風の桟をさして言われました。「今、ここまで来ている。もっと、深くいくとパニックになってしまうから、神様はここまでにして下さっている」それは私にとって、とても悲しいことでした。なぜ?なぜ?という思いでした。帰ってから気づいたことは、私が望んだ恵みはいただけなかった。でも神様が私に与えたかった恵みはしっかり受け止めることが出来た。それを十分生かし、生きていこうということです。そして、自分の神様に対する姿勢にも一つの気づきが与えられました。それは、今までの私の神への思いは「我執」だったということです。つかもう、つかもうとして、しっかり自分を握り締めていたのです。つかむのではなく、手放すことが必要なのですね。
内観でいただいた一つの恵みは父との和解でした。12日から18日まで帰省して来ました。私自身の変化よりも、父が変わっていたことに驚き、また喜びでした。今までになく、一緒に時間をすごし、いろいろなことを話すことができました。そして18日の80歳の誕生日を姉や家族と一緒に祝い、用意していったお詫びの手紙も手渡すことができました。本当にありがとうございました。和解が必要だということすら、今までの私は気がついていなかったのです。
まだまだ、課題が残されておりますが、自分なりに深めてゆきたいと思っております。子どもたちにもこの経験を分かち合い、内観を授業の中にも取り入れたいと思います。(了)
宣教と内観 東京 GPさん
私はポルトガルから来たカトリックの宣教師で、今回2回目の内観をさせていただきました。もう一度内観をすることに決めたのは内観的な祈りと考え方、そして生き方を、もっと自分のものにしたかったからです。
今回の内観を通して改めて感じたのは、先ず第一に、自分の弱さと傾きを知ることの大切さでした。
イエスの後について行きたいと思っていた私ですけど、20年もの間、イエスと私のギャップを、どういう風に受け止めたらいいのかということが正直言って、よく分かりませんでした。「自分のエゴをなくすべきです」とよく黙想会等で聞いてきて、一生懸命に自分のエゴイズム、いわゆる、「肉の業」をなくそうとしました。しかし、自分の努力では何も出来ませんでした。パウロの言うとおり、自分のやりたいことは出来ないが、やりたくないことばかりやっています。
そこで内観はとても大切なことを教えてくれました。自分のエゴをなくすよりも、むしろ、そのエゴの癖を知って、「仲良く」するのが大事だということです。つまり、そのエゴを隠さないで、認めて、神様に捧げて、赦してもらって、そして謙虚さや自由、隣人の弱さを理解できる心など、聖霊からの恵みをいただくということです。完全なエゴをなくしたからでもない、ただ、ただ、神の憐れみ深い心により頼むことです。
これこそキリスト教のもっとも肝心なところだと思います。けれども、今までは、心の奥底から気づいていなかったことだったのです。私はいま、神の慈しみ深い心を知るたびを始めたばかりだと思っています。私は普段、宣教活動に取り組んでいるその時々に、御言葉についてお話をしていると「嘘をついているのではないか」と、ふと思って胸が痛くなることがあります。
内観をやり始めてから、新しい福音宣教の仕方があることに気づきました。それは、自分の回心について話すことだと思います。それが出来るように、つまり思い上がらないよう、そして自分をだまさないように毎日自分を見つめるのが必要だなと、この頃つくづく感じるようになりました。ですから、今回の内観を通して、私の普段の祈りに内観的な部分を取り入れたいと思います。御言葉を伝えるときは、謙虚な心になれないのなら、むしろ止めた方がいいとさえ感じるようになっています。
もう一つの今回の大事な気づきは、自分の人生を振り返ったときに、苦しい体験は神様からの恵みとして受け止めることが出来たことだと思います。例えば愛している人が苦しい体験をしているとき、私のやるべきことはその人を十字架から下ろすことだとおもいこんでいました。しかし、それはほとんどの時には無理で、大きな負担となりました。今回気づいたのが十字架は上手に担うものだということです。イエスは十字架を背負ってくれたし、私たちもお互いに愛し合うことは、お互いに十字架を担うために励ましあったり、助け合ったりすることではないかと思いました。自分自身の今まで受けた十字架に対しても感謝することが出来たし、将来についての恐れ、心配などは大分なくなりました。すべてそれらはお恵みなのだと、理解できるようになったからです。
今、神様に願っているのは、一日一日を共に、生きていくことです。今日一日だけ、神様、私は自分の弱さを見つめ、それをあなたに捧げる素直な心にしてください。今日一日だけ、あなたの憐れみ深い心をもう少し知り、あなたの慈しみの福音の使者にならせてください、と。(了)
外山富士雄さんの詩
「ですの譜」
善いと判断したらやってみるんです。
生きている証明にです。
失敗したら失敗を踏み台にするんです。
次のチャンスを見つけるんです。
幸せなら誰かが不幸を忍耐しているんです。
ありがたいことです。
不幸ならその分だけ誰かが幸せなんです。
喜んであげるんです。
神の人間の親なんです。
子供に父母があるようにです。
幼子イエズスは神に対する人間の姿です。
手放しの信頼です。
人生は生きることなんです。
復活の栄えをいただくためにです。
「両手の譜」
右手は父ちゃん、左手は母ちゃん
−両手合わせて僕になるのや
父ちゃんの手はごつい
僕の頭つかんで動きはらへん
焼きいもの皮むく母ちゃんの手は
短い指やった
小学五年の春 山の療養所に入る朝
母ちゃんがそっと握らせてくれはった
五十銭玉はぬくう濡れとった
そして−四十年
父ちゃんも母ちゃんも死んでしもた
五十銭ものうなったけど
母ちゃんの手のぬくもりはおぼえとる
父ちゃんは右の手 母ちゃんは左の手
−両手合わせて僕生きてるねん
外山さんは、富士山のふもと御殿場市にお住まいです。長年の闘病中、故岩下壮一神父様との出会いにより洗礼を受けられ、以降深い信仰をもって生きておられます。といっても、心はいつも社会の出来事と連帯しつつ、様々な祈りに発言してこられました。私が司祭になって以来、ずっと祈りと励ましとご鞭撻を送って下さっている大切な恩人の一人です。 (藤原神父)
母の道行き 横浜 OKさん
母の顔をはっきりと覚えている。骸骨に皮が張り付いているだけの、目が鈍く動いているので生きているとようやくわかる顔。生気などというものはない。死相というのはこれなんだと、初めてだがはっきり思った。ただ死んでいくから死相というのではない。「死」に貼りついている「いのち」が見えるから「死相」というのだと、これも初めてだがはっきりと悟った。
4週間ほど前から食事が喉を通らなくなっていた。胃がんだから早晩食べられなくなるという周囲の予想を裏切って、母は最期近くまでよく食べた。最晩年の癌であったことが、おそらくは幸いだった。若い人のそれほど、母を脅かさなかったと思う。告知せず、手術をという医者の勧めを退けた。術後の苦痛・リハビリを負わせるほうが酷だと思ったから。最後まで母は知らなかったのかしら。それはわからない。
思えば、母は死への旅支度をしていたのだった。「タオルやシーツの替えは、押入れの茶箱の中にあるから」「この土地は半分売ってしまえば、あなたたちにも扱いやすくなる」。自分で出来ることがだんだんと少なくなる。金銭の管理ができなくなった。通帳、実印、財布を私が預かった。服薬の管理ができなくなった。薬の箱を預かった。一人で病院に行けなくなった。私が付き添っていった。老人介護施設に入所することに私が決めた。「どこでも、あんたが行けというところに行くから」。施設や病院に訪ねていけば必ず「早く帰りなさい。子供たちが待っているから」「うちにはもうチビはいないのよ。みんな大きくなったんだから」「それでも待っているわよ。早く帰りなさい」。引き止められたことはなかった。「また来るね」という私に、「うん、うん」と頷いて手を振る母だった。
若い頃から身勝手気まま、疲れきったときだけ帰る私に、何も聞かず、何も言わずにいた母だった。物言えば、厳しく、恨めしく、小言になるとわかっていたから、もらさずに辛抱したのだろうと、今は理解できる。姉に時にはこぼしたのかしら。姉も辛抱強い人だったから、母の心配を聞きながら、二人で案じてくれていたに違いないと、今になってやっと分かる。母の愚痴は小さいときからいやというほど聞かされてきた、と思っていたけれど、アルバムで見る母の姿は記憶していたよりずっと穏やかで優しげで、幸福そうだった。幸福そうな母の姿を、私は意外に感じた。母は幸福に恵まれなかった女性だと思っていたから。母は私たち姉妹にそういったのではなかったのかしら。「私の人生は不幸せだった」と。それとも、わたしがそう思い込んでいただけなのかしら。
姉はいつも私より一歩も二歩も前にいた。鶴岡八幡宮とはっきりわかるその場所に、母と姉と私がいる。姉は3歳くらい。年子だから私は2歳。ということは母は40歳くらい。鳩が集まってきている。姉がしゃがみこんで鳩に餌をやろうとしているそのすぐ後ろで、私は母の膝に貼りついて離れずに、姉の手元を見ている。姉のあることが羨ましかった。私も同じようにしたかった。私は臆病だった。怖気づいている私を膝で支えながら、母は笑っている。笑っている。誰が撮ったのだろう、この写真。半世紀近くも前の、白黒の粗末な写真。
私の息子・娘と遊びながら、「こんな日が来るとは思わなかったわ」と母は言った。理不尽なことを私が言ったのに、「一足す一が二にならなくても、もういい」とつぶやいた。
母の晩年。失っていく様、したがっていく様、衰えていく様、死んでいく様。母の道行き。私はそれをすぐ近くで見ていた。最後の母の顔。何もかもそぎ落として、余計な肉も脂も意思も感情も、すべて洗い清めて、いのちだけになった母の顔。いのちは、このように現れてくる。私はこの顔を忘れない。
母の道行きは私の小賢しさ、愚かさを砕いた。お母さん、ごめんね。愛し足りない娘だったね。今の私は信じられないくらい素直に、母の前に坐っている。母は生活を愛していたのだった。働いて生きていくことが誇りだった。姉と私の二人の姉妹は、母に愛されて育ったのだった。
内観からの帰り、つくづくと母を思い出す。にわかに、もくもくと心が大きくなった。母のように生きよう。母が愛したように生活を愛そう。内観の、虚を砕く力は、かくも大きかった。
様々な人々の内観経験
107(修道女)
このたび、還暦を迎える前に、節目として内観に参加しました。・・・実は、私は子供の頃から無意識のうちに「いい子でなければならない」と考えてきていたようです。ところがそうした堅苦しい生き方が、他者に対してわがまま・身勝手さ・エゴの固まりとして現れていました。皮肉なものです。無理があったのでしょうね。ところが、一週間の内観で、まわりの人から欠点だらけの私が支えられ受け入れられてきたことを見させてもらいました。それで「いい子じゃなくても愛されていい」と思うようになり、また母親の声として「いい子でなくても愛しているよ」と聞こえてきました。それは暖かい声でした。そのとき、私は自然に涙があふれてきました。
あとで考えると「涙」にはいろんな種類があるんだなあ、この度の「涙」は決して「痛改」の涙ではなく、「ありがたい感謝」「愛されていることの分かり」の涙と思いました。・・・。
108(主婦)
内観のやり方、面接のあり方が、とても印象的でした。私には、いい加減なところがありますので、自分を厳しく正していただきたかったのです。けれども内観では、教えを請うというよりも、自分自身で答えをしぼりだす形ですので、最初はなかなか難しかったです。慣れてくるに従い、厳しい父親のことで、こんなにも自分の人生に影響を与えてくださっていたのかと、改めて感謝できるようになりました。
それから、面接者の深々と下げる頭は、たぶん私に対してというより、その後ろの神に向かってであるなぁと、次に考えました。それから私も先方(面接者)の神に向かってご挨拶をしているうちに、気づいたのですが、母や父も夫にも神の手が入っていると、感じるようになりました。母も夫も神様から送られた、そして神様に向かう指導者でした。これを、頭でなく、まさに、肚で感じました。
109(独身女性)
「生かされて生きるや今日のこの命、雨土の恩、限りなき恩」という大学時代の恩師が卒業するときに生徒一人ひとりに書いてくださった色紙の言葉(家のどこかにホコリをかぶって放ってありますが)が胸にぐっと来ました。今まですっかり忘れていた言葉でしたが内観中に突然思い出しました。
また「愛は痛む、愛は傷つく」というマザーテレサの言葉が頭に浮かんできました。私の至らなさの為に涙してくださった方、傷ついた方のことを思っていましたら、その方の痛みに気づいたとき、私たちの心は癒されるのではと感じました。目の前にいる方が苦しんでいるのは自分の至らなさが原因であったと気づいたとき、本当になんともいえない気持ちになりました。今まで十字架のイエス様が架かってくださったのは私たちのためだったという意味が実感できませんでしたが、身近な人の苦しみが自分のせいだと目が開けたときに、その人が苦しむイエスであったと分かりました。
また、小さい頃から繰り返してきた生き方、感じ方のパターンが根強いこと、そして生きづらさの原因がこの辺にあったことに気づかせていただきました。
意味が実感できませんでしたが、身近な人の苦しみが自分のせいだと目が開けたときに、その人が苦しむイエスであったと分かりました。
また、小さい頃から繰り返してきた生き方、感じ方のパターンが根強いこと、そして生きづらさの原因がこの辺にあったことに気づかせていただきました。
内観のいろんな展開
学校内観
屏風の中に入って、日に8回以上の面接を行い・・・という方法だけではなく、学校などで若い人たちに数時間いっせいに瞑目し、自分に向き合う方法として内観を伝えるということは、この混乱した時代にあってとても重要なことだ。すでに、「学校内観」として、講堂などで呼吸法と内観と記録と体操を組み合わせて、二日間あるいは数時間行う、という方式で数校において行ってきた。
このほど、関東のあるミッションスクールの中学2年生(181名)に、総合学習「人とのかかわり」というテーマの一環として内観と呼吸法を実習した。講堂に集まり、鐘を鳴らしての実習誘導であった。参考までご紹介する。
第一時限は、呼吸法と内観の説明(オリエンテーション)、
第二時限は呼吸法と内観の実習。母に対する生まれてから小学校入学以前の自分を調べる。
昼食後の第三時限は同じく母に対する小学時代の自分の内観。
第四時限は、母に対する中学一年と現在の中学二年の自分。
第五時限は「振り返り」「まとめの講話」という按配である。
昼食をはさんで、10時20分から15時20分までの正味5時間の実習であった。
感想を書いてもらったが、半数以上はよい経験であったと述べている。こちらの伝えたいことを的確に受け止めていて、喜んでいる様子だった。ありがたいことだ。知的教育に偏りすぎるなかで、こういう呼吸法と内観という、人間教育の基礎的な実習は重要だと思う。学校側も好意的で、講師任せではなく、生徒に対して準備などをしていた。実習を継続して、他学年生徒たちにも経験して欲しい事柄だ。
モーゼのサンダル
110 (修道女)
説教のない七日間の黙想会でした。しかし、今も心に何か「どかっ」と宝が詰まっています。そんな黙想会から頂いた恵みと一平方メートル屏風に囲まれた空間について、書いてみようと思います。
この黙想会に参加しようと思ったある日、姉妹にそれを伝えたら「エッ、刑務所の黙想会に参加するの?」と言われ、心は動揺しました。しかし、黙想会の日が近づくにつれて、なぜか「逃げてはいけない。神のメッセージを聴かなければならない」という思いに駆られ「どうしょうか」と迷い続けていました。そんな時、ある友人が励ましてくれました。「一日中屏風の中で祈る日程に、健康が心配なら、面接の時に『今は休みたい』と、自分の気持ちをそのまま話せばいいんです。規則は外観的なこと。その人に応じた日程に変えて下さいます」と。
内観中、宿舎となっている「祈りの家」は、不思議な雰囲気に包まれます。その神秘な静けさに、修道院の姉妹たちも日ごとに祈りの中に引き込まれていく。その謎は、自分自身が参加して分かりました。
さて、最初の日の昼食後、次の面接は一時頃の予定で「一時まで休憩時間、それまでリラックスを」と思ったとたん面接のノックがしました。あわてて屏風の中に飛び込んだ時のそのびっくりしたこと。後で分かったのですが「絶え間なく祈れ(絶えず内観せよ!)」の配慮のようでした。それ以来、わずかな時間でも屏風の中に入って祈る自分に変わりました。屏風の外では、他人から受けた苦しみや批判心が湧き出、自分の名誉を求めることに向かうのに対し、屏風の中では、自分の内面「私の心に内在される主」と一つに場所となったからです。
指導者が一日八回の面接に部屋を訪問してくださる。そんな日程にも次第に慣れ、面接終了後トイレに行くのが唯一の楽しい散歩の時間となりました。ところが、ある部屋の前に、面接中の神父様のスリッパが廊下に脱いでありました。それを見て、ビックリ!!!・・・「アッ、モーゼのサンダルだ。燃える柴の前に立っているモーゼのサンダルが脱いである」と心で叫びました。「今、神父様はこの部屋の人と面接中だ。モーゼのように、主とお話をなさっているのだ。内観者との面接は主と、主との対話の時間だったのか!!!・・・」と驚き、リラックス気分から、神秘な世界へと誘われていったのです。
屏風の中の一平方メートルの空間は自分の内面の世界でした。聖書に「主の前に立ったら、顕にされないものはない」とあったと思います。そのように自分の内面がそのまま見えてくるのです。裸の姿で、生きている神と出会うのですからたまりません。「ただただ、多くの恵みを人様から頂くばかりの私。お返しをしていない私。迷惑ばかり・・・」しかも、その時に与えた相手の気持ちに気づいた時、胸の痛みでいたたまれなくなり、参加者のゴミ箱はティシュの山となりました。
「他者への批判は横において・・・あなたが頂いたものは・・・」と私を抱きしめてくださる主がそこにおられる、という自分の心の宝に気づきました。屏風の中に私ではなく主がおられる。そんな空間に変わったとき、もう屏風は見えなくなり、広い祈りの場となりました。生活に戻っても、ドカンと私の中にその主が座っておられる。そんな、ありがた〜い内観黙想でした。
二回の集中内観で生き返った
北海道・修道者
長年の働き通しで、心身ともにつかれきり、喉から歌声も出なくなっていたときに、同僚姉妹が内観を進めてくださった。初めての参加のときに、静寂な雰囲気と指導などに驚きと感動いたしました。しかし、つい慣れてしまっている外観的見方が優先してしまい、面接者から「それは横において」としばしば指摘されました。浅い内観だったのです。それで、面接指導者は、再度の、参加をお誘いくださり、ひと月後に2回目の内観に参加することになりました。
実は、内観参加前の私は、仕事上の外面的な処遇に不満を持ち、心理的にも不安定な状態におりました。しかし、「家つくりの捨てられた石が、隅の親石になった。神の不思議な業」と詩篇にあるように、神様は自分を内観という素晴らしい集いに招き導きいれ、私を生き返らせて下さったのです。
今までの黙想会との違いに戸惑いながらも、屏風の「庵の中」で自分を徹底的に見つめる戦いでしたが、いつの間にか見えなかったものが少しづつ見えるようになり始めました。これは今まで見たことのない光ですが、いつも自分の側で輝いていたのに見つけようとしなかったので見えなかっただけなのです。それによって、自分の頭が低く下がって、改悛の涙があふれ出るのでした。
母親から始まって、父や家族、また、関わりのある方々から「していただいたこと」「お返ししたこと」「迷惑かけたこと」を見つめるのですが、一回目より二回目の参加の時には、特に母親から頂いた恵みの多さに改めておどろきました。また周りのいろんな人から多く支えられてきたことか! 一つ一つ丁寧にしていただいたことを観ていますと、未信者の人々、あるいは浄土真宗であった母親の「ナムの心」と私たちの「アーメンの心」が同じであることがよくわかりました。
今までは全て外面的・自己中心的な見地から、人や出来事を判断し優劣をつけて裁いておりました。その結果、自分も惨めで周りの人達をも平和にすることが出来ませんでした。
二回の内観参加により、最初の洞察がさらに深まり、自分の醜さ罪深さが赤裸々に見せ付けられ、今まで「クリスチャンでございます」と思い込んでいた傲慢な姿は、「神抜きのファリザイ人」であったことがわかりました。
これから神を信じるものとして一人一人の中に内在していらっしゃる神と向き合い、しっかり受け止め、自分を見つめ直しながら生きるのでなければ真の証し人にはなれないでしょう。
内観で見つけた恵みの光を見失わないように努力しながら歩み続けられる人生であることを願いつつ・・・。内観の喜びを一人でも多くの人々の体験できるよう奔走されている藤原神父様や陰で支えてくださっているたくさんの方々に心より感謝いたします。
(息吹32号より)
内観黙想の味わい
横浜・修道女
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんな事にも感謝しなさい。」これは私の好きな「みことば」である。にもかかわらず、日常生活の中でそこ彼処から不満が湧き上がり、現実の人間関係の中で身勝手なイメージからの期待はずれに落ち込んだり、自分が汚されていく不満に対し無性に腹立たしくなってしまう。心の平和を失い、鋭い言葉や態度で相手を傷つけてしまう日々が続いた。
早く解放されたい、癒されたいと願いつつ、「相手の宝を探そう」「視点を変えよう」と努めてみるのだがあまり成功しない日々を過ごしていた。そんな頃、上長のすすめで内観黙想に与ろうと決心した。内観黙想体験者から時間割やすすめ方について多少の知識を得たもののある種の不安を抱えながら、一方では主への信頼に勇気づけられて会場に赴いた。
同行司祭の「よくいらっしゃいました。」とのやさしい挨拶の一声でほっと安堵しながら、いよいよ体験第一号が始まった。
すべての外界からの刺激や日常生活から遮断された屏風の中で、終日、生身の自分と正直に向かい合って内観のすすめ方・三項目に従って、各々の人間関係の身調べをゆっくりのペースで行っていった。かなりハードなスケジュールの波に一応乗っても、特別息苦しいとか身体の不調に陥ることもなかったが、はじめのうちは同行者に身調べとそこでの気づきを述べる緊張感が煩わしく感じられた。幸い内観に欠かせない呼吸法と数息観を細やかな指導のもとで毎日練習を繰り返して行くうちに、緊張感が薄れてゆったりした気分になっていった。そして現象に囚われてしまわず、もう一歩深い意識下の、自分自身の心の動きと、内在される三位一体の神様と交われる喜びを少しずつ味わうになって行きました。
いかに自分が相手から頂いたものが多く、それに対してのお返しはほとんど数に入っていなかったこと、迷惑をかけたことに至っては見苦しい自分の心の動きや思い上がり、不誠実、欺瞞、悪さ加減が次々と思い出され、いまさらながらあきれ果て、お詫びとゆるしを願う心に押し潰されることも度々体験させられた。
しかし慈しみ深い主の眼差しを受けながらの身調べでこんなに惨めな、忘恩者を見守り続け、ゆるしながら忍耐して私の成長を待ち望み真の出会いを待ち焦がれておられたお方の愛の懐に飛び込んで行く喜びを味わうことが出来るのだった。また如何に外観に振り回され、浅薄で空しい生活を長年してきたことか、自己中心的で自己認識をせず、神様を脇に追い出し高慢に満ち満ちた生活を繰り返していることにも気づかされるのだった。
内観黙想を経て、神との語らいの幸せを味わったからには日常内観を続けようとの決心を持って通常の生活に戻るのだが、月日が経つうちに再び身の回りに起きる様々な出来事や人間関係の中で生じる思い煩いに心が占領され、いつの間にか呼吸法や数息観も怠りがちでますます心が荒れてくるのだった。
内観黙想に再度与りたいとの望みが沸々と湧き上がっては、年に一度の恵みの時を待ち焦がれ、参加を申し込むのだった。同じ人間関係を観るのがテーマであってもその都度新しい気づきと、心の中に一歩下がっていのちの主との交わりが知識によらず身体全体で計り知れない愛の神秘に吸い込まれていくようで、平和で温かい光の中にとどまる喜びを味わうのだった。そして身調べをする様々な人間関係、特に母に対するものは神様との関係と重なって、身調べ・呼吸法・数息観は今現に私を生かし育んで下さっている偉大な神の愛の中に分け入る道であることに感動させられた。
今回特に頂いた恵みは、受洗を通してキリストの司祭職に与っていることであった。キリストの救いの業―受肉・受難・十字架・復活への信仰の広さと深さ、すなわち神秘に少しずつ入れていただきキリストと共に御父に奉献出来る喜びに満たされた。
今後は色々な理由付けを止め、出来る限りキリストの思いの中に留まろう。決してキリストを脇にまわして自己主張をしたり、御父、御子、聖霊の生きた交わりからはずれてしまわないように努めたい。またそれらに気づく時は、直ちに憐れみを乞うて主のお側に駆け寄り、全身全霊でその息吹を味わいたいと篤く祈り求め、この身をゆだねる謙遜の道を歩む以外に救いはないと心底思う今日である。
(息吹32号より)
リウマチが治り習字特選・秀作に
118 北海道
「息吹」を送ってくださりありがとうございました。早速3人の方に差し上げました。前回の内観で自分の間違いに気づき、アドバイスをいただきましたとおり、A神父様に和解のお電話はしておりましたが、この度、教会を訪ねミサにあずかりA神父様のところに行って参りました。とても平和なこころになりました。感謝しております。姉も「今度神父様をお食事におよびしないとね」といっております。
このたびの内観で心が癒されただけではなく、リウマチが驚くほどよくなり、日常生活が快適です。2002年5月13日にはRAPA(炎症をあらわす。−が正常)320でしたが40に、CRP(炎症をあらわす。−が正常)はひどいときは3.7でしたが2008年1月22日には0.9になっておりました。歩くのも針の山を歩いているように痛く、階段を一歩一歩両足そろえて降りていたのが、すいすいです。今までかなり人の外観に縛られていたようです。1回の内観体験で表面の浅い内観でしたのに、これほど体も癒されるとは!!
またまた驚くことがあったのです。7月から習字を習い始め、半年しか練習していないのに出品したところ特選と秀作で習字の月間誌に写真までのったのです。「あなたの息吹を受けて、わたしはあたらしくなる」と歌いますが、心底そのように歌いたくなりました。神様からのプレゼントに感謝。
内観をして一人一人の中に神様はいらっしゃることを体験させていただきました。一人でも多くの方に内観瞑想に参加していただきたいですね。とうとう、りん(呼吸法・祈りの際に使うため)を買いました。香炉は姉からもらい、祈りの雰囲気が出来てきました。神父様の講話の本を何度も読んでおります。2月韓国での内観、向うは寒いので風邪をひかぬよう気をつけてください。感謝のうちに。
(息吹33号より)
ひとりでは生きてゆけない
119 障害者施設勤務・看護士
私は家族への感謝の気持ちを伝える、そのコミュニケーション方法が見つからず躊躇しておりました。しかし、内観によって「していただいたこと」がたくさんにもかかわらず、「感謝」の気持ちが不足していたことに気づきました。コミュニケーションというよりも、自分の気持ちが見えていなかったことに気づかされ、逆に「感謝せずにはおれない」気持ちになりました。これが現在の人間関係に影響していたんだと気づきました。
また、家族の中でのこだわりが明確に出来たことが一番の収穫でした。いつも家族に不平不満を持つ自分の棚卸が出来ました。家族から「していただいたこと」が多く「愛され、生かされ」ている自分であることの気づきで心温かくなりました。一人で生きているつもりが、人の助けなしでは生きて来れず、これからも生きてゆけないことを知りました。
その次に私の生き方、信仰についての問題が、浮上してきたことにも驚きました。「信仰」については少し頭が混乱してきており、今までの考え方を見直しする必要を感じています。これは次の内観の課題にしたいと思います。
(息吹33号より)
クセを直す決心
120 母子クリニック開業
自分には問題がないと思っていましたが、代母の「とてもいいよ」とのすすめで内観に与りました。実は、内観前の私は、自分が愛されていたことに自信がなかったのですが、内観後の私は記憶がぬりかえられて「私は充分に愛されてきた」と自信を持つようになりました。他方、愛を頂く一方で全然ご恩返しが出来ていない姿も知り、これから家族と周囲の人々に無償の愛を流してゆきたいと思います。
幼いときから妹とよくけんかをし、妹から指摘されたり批判されたりしたことを恨みに思っていましたが、指導者の勧めによってリストアップしてみると、他の人間関係でも出ていた私の欠点・わるいクセであることだと確認できました。そして「私のクセ」をやめる決心が出来ました。
こうして今回は過去が新たに塗りかえられ、私の人生は愛と神からの祝福に満ち溢れていたことに気づかされました。この一週間で私は再び生まれ変わりました。感謝です。
今までも一日15分の沈黙の時間を行ってきましたが、現実に戻って、私自身もっと謙虚になることが出来るよう、これらの時間を大切にし、内観に当てたいと考えています。そして次の内観ではその「謙虚さ」を調べたいと思いました。
(息吹33号より)
内在の神
121 77歳修道女
この度は、大変お世話になり心より感謝とお礼を申し上げます。内観のめぐみを祈り求めましたが、しどろもどろの日々で外観だけで本当の内観になっていなかったことを痛悔しております。気づかせていただいた点(自分中心)を認め、生まれたばかりのベビーのようにありのままの自分にと願っております。
迷える羊のために神父様が何回となく面接訪問してくださり、頭を下げた謙遜のお姿に、キリストを見、感動し心に深く焼きつきました。感謝のみです。
内観参加の動機について話せませんでしたが、家が曹洞宗で、看護学校が浄土真宗で、禅に興味があり、内観も同じものと思い一週間も坐る事は自分に無理と思っていました。ところが昨年、ホテルで箱根内観センターのプリントをよみ、井の中の蛙で、外観だけの自分に恥ずかしくなり、カトリックの内観を試みるつもりで願いました。
内観と言えないかも知れませんが、同行者に導かれ、自分の傲慢の姿に気づかされ、生かされている身を感謝し、内在の神の慈しみを実感しました。「禅」にはない経験でした。この度は内観の入り口のところで浅いものでしたが、次回は深める事が出来たらと、祈っております。
(息吹33号より)
先祖の信仰
122 30代主婦
始めまして。私は2006年12月に北海道の教会で洗礼を受け、アヴィラの聖テレサの霊名をいただきました。代母が冊子「内観瞑想のすすめ」「心の内なる旅」「ナムの道もアーメンの道も」を送ってくださいました。
私の祖父は黄檗宗の坊主です。そこに嫁いだ祖母は学生時代までキリスト教の教えを学んでいました。実家は浄土真宗です。ですからキリスト教徒になれた喜びはありますが、私の心を育ててくれた祖父母や両親の思いも大切にしたいし、彼らが見えないものを信じているように私も同じように信じています。私と仏教は切り離せず、また、キリストの教えも私の宝です。矛盾しているでしょうか。
自分勝手に出した答えは、神様は良い心の中にいるということです。
(息吹33号より)
フランシスコの世界に通じる
123 フランシスコ会司祭
2008年1月11日から17日まで宝塚売布での内観黙想会に行って来ました。"目からうろこ"の体験でした。特に両親との関係での新しい発見となりました。まだ自分の心の深くに内在される神との出会いとまでは行きませんでしたが予感させるものを感じました。
内観はフランシスカンの生き方にも光を与えてくれるように思いました。自分の心を深められれば兄弟との関係性もおのずと豊かなものになっていくのではないかと思っています。内観はひとつの回心の歩みだと思っています。
(息吹33号より)
内観同行アシスタント体験記
キリスト・砂漠隠遁者・内なる旅
ソウル・沈教俊
2年前ソウルのベネディクト修道院で1週間の集中内観を経験した後、内観の持つ深い味に魅了されました。特にそれが藤原直達神父同行の"キリスト者のための内観瞑想"だったからでしょう。それ以後内観に関した本も読んで間接的な理解も深めようとして来ました。今回また韓国で内観が行われるという話を聞いて神父様に参加を申し込みしたら通訳とアシスタントとしての勤めの許諾を頂きました。
私は仕事の都合で夜の9時に到着したのですが、すでに参加者全員が集まってオリエンテ−ションが行われていました。みんな初心者で期待感と好奇心を抱きながら聞いていました。
・・・今回のアシスタントとしての体験は、内観参加者としての体験とは全然違う経験でした。つまり、内観参加者の時はひたすら当時(過去)の自分が相手に対してどうであったかの三つの事を精一杯思い出して同行人に話せば済む事でした。しかし、今回は目の前(現在)の内観者が内観の三項目で(過去に)どうであったかを報告するのを聴いて受け止める事でした。そして自己洞察の具合を確認しつつ、場合によっては導いてあげるとかのアドバイスをしながら、すすむのでした。
これは西欧風の心理相談の接し方に慣れていた私には、東洋的な深い土壌から生まれた内観的応対法を身に付けるのが大変でした。今後、韓国で内観の同行人(面接者、指導者)を育てるのに一番注意しなければならないのはこの点ではないかと思います。内観の微妙な所を理解しないと自分も思わず非内観的な要素を入れ込みがちでしょう。そして同行人養成の際は内観的な事と非内観的な面の差を正確に分けて教える必要があるでしょう。
ある男性は二日目の日にもう帰りたいと言いました。社会や家族に対した怒りが爆発してこれ以上内観が出来ない、現実は厳しいのでこういう風にのんびり座って時間を無駄にする暇がないと言う事でした。神父様がすんなりいいよと許諾したら、彼は仲間と相談してから引き続き参加継続を行うことになりました。結局、彼は誰よりも大きな洞察を得て喜びました。振り返り作業の時の発表で、今までは奥さんが自分を愛してくれなかったと思い込んでいましたが、内観を通してそうじゃなくてむしろ自分が彼女を愛して上げなかったという事に気づきました。顔も明るくなって終わりの日には大きい声で皆に歌を披露しました。まるで生命の賛歌みたいに。
そのほか、長年精神分析を受けた後、自分も精神分析を学び、今は人々を治療している参加者女性の場合、精神分析では得られなかった心の平和と安定感を初めて感じたとの報告もありました。みなそれぞれの素晴らしい体験の分かち合いが出来たのも今回の収穫でした。
そしで今回、もっとも良かったのは神父様の側で過ごしながら学んだ事でした。内観中には通訳したり内観中以外も日程調整などをしたり一日中ほとんど一緒にいる機会に恵まれ、いろいろ話せた事です。それを通して神父様独特のやり方を学べるのが出来たし、内観のいろんな事に関して詳しく教わったことでした。
それと山荘で、砂漠の隠遁者の話を聞きました。彼らは砂漠の中で何をやっていたのか?イエスやパウロはもちろん砂漠の教父たちは・・・。現在の砂漠の隠者たちは・・・。彼らはつまり内観をやっておられたと言うお話でした。その伝統はおもに東方教会を通して今日まで続いているという話もおもしろかったです。
特に今回のアシスタントとしての体験からは三つの宝物を得ました。まず一番目が"呼吸法"でした。吸う息より吐く息を3倍にしなさいと言うお教えはまるで人生事の原理のように心を打たれました。2番目は内観の本質でもいえる"3H論"でした。すなわちHealing(治癒)、Holistic(全体)、Holy(神聖)の事です(みんな語源は同じである)。まさに内観はHealing(治癒)を目指すが、それはあくまでHolistic(全体)な観点から接近するのです。そして治癒をしながら、させながら、された瞬間、治った後は自然に聖なる世界を味わう事になる。あるいは聖なる世界に連結される。また、
Holyがあってこそすべてが出来てくると言えるでしょう。3番目は"4調"の内観の効果あるいは方法論でした。
言うまでもなく調身、調息、調心、調生(活)がそれである。内観が深まっていくとこの四つが調和されてゆき、やがては健実な人生に成れるでしょう。
人はみんな自分なりの傷を抱いて生きてゆく。その痛みを耐えながら人に見せないようにする。実に孤独な存在かも知れません。しかし、内観を通してその傷の模様とか、意味を読み替える時、洞察を得る時、その傷は祝福の贈り物に変わるのです。
神父様は苦しみとか辛さを抱えている内観者の前に出るとき、苦しみ悩んでいるイエス・キリスト様に会ってるような気持ちを感じながら接するとおっしゃった時、私は感動しました。
内観参加者として得た物も多かったのですが、今回アシスタントとしての体験はもっと大きくて深い学びと喜びの時間でした。そして私がもっと大きく成長した感じで嬉しくてたまりません。私をアシスタントとして受け入れて教えてくださいました藤原神父さまに心から感謝申し上げます。(沈教俊)
(息吹33号より)
三回目の内観
原風景に導かれて
2008年6月、5年ぶりに3度目の内観に与らせていただきました。
私にとっての内観は、どの時もいつも大きな意味がありましたが、とりわけ今回は自分の奥深くへと信仰の道に誘われていく旅になりました。その余韻が深いところでいつまでも静かにずっと響いているような感覚を覚えます。
1度目の内観で、当時家族の中で一番大切に感じていた妹との関係を見つめ直せたこと。その体験を通じて、そのときには調べることのできなかった両親への自分を、再度内観する決意ができたこと。
2度目の内観で、母親に対してひどくこじれたこだわりを持ち続け、その上に作り上げた価値観でがんじがらめになっていた自分自身の姿を見いだせたこと。それと一緒にずっとかかえていた腰の痛みまでもが和らいだこと。
その不思議な心の旅路を歩めたおかげで、家族との関係や人間関係までもが穏やかで楽しいものとなって過ごすことができた幸せなこの5年間でした。しかし、一方で、どこかでいつか再び内観が必要な時が巡ってくるような気がしながら、再び決意して屏風の中に座るまでにずいぶんたくさんの時間が必要になってしまったなあと振り返って思う5年間でもありました。
3度目になる今回の内観では、自分のこれからの生き方を深める助けになればと願い、神父様にもそうお話ししたこともあってか、これまでと違い3項目で調べるというより、少し大きな枠組みの中で祈り、振り返る作業の時間をいただきました。内観というものへの理解もまた深まっていったように思います。
2日目の夜に見えてきたものは、ずっと心の奥にふたをしてきた幼い頃からの「私の原風景」でした。
幼い頃病弱だったこともあって、いつもどこかこの世とあの世の狭間に片足をおいて生きているような心もとなさを感じ続けていたこと、眠れぬ夜に部屋の隅の暗闇をおそれて過ごした日々、周りの子供たちが当たり前にできることが自分にはできず、あからさまな意地悪をされているわけでもないのにいつの間にか一人はじかれてしまう寂しさや劣等感、そこから生じる周りの人に対する引け目、恨みつらみがさらに大きく深い闇の世界に自分を引きずり込んでいってしまうように感じる恐怖・・・。こうした私の内面の暗闇は、蓋をして一度も目の前に出して、しかと向き合うことのできなかった光景です。
面接の最中に、座っておられた神父様がするすると屏風をしめていわれた言葉は印象的でした。
『この部屋のドアの外(廊下)がこの世です。人々が忙しく生きている場所です。教会もそこで動いている。そしてあなたは部屋の内側の片隅・屏風の中に坐っているが、そこは神様が内在しておられる至聖所です。外と至聖所の間に、私(面接者)が座っています。私のいる場所(あなたが坐っている屏風の外の場所)はあたかも深海か密林です。この深海はドアの外から見たときにはうす暗くてはっきりしない闇ですが、神様の側(屏風の中)から眺めたときには、それは違う風景になる。彼岸からいただいた光によって、理解し直すと、この闇は恵みに変容する。あなたのその原風景は、その光をいただいたとき、そのままあなたの生きる独自のカリスマとなりますなあ。』
この神父様の言葉で伝えられたイメージは、そのまま屏風の中で淡く広がる光となって私を包みました。
もう一度「原風景」に向かいました。過去の様々な体験の中でそうした原風景に脅かされそうになるたび感じてきた胃の縮む思いのする一つ一つを目の前にさ
らけ出していくのはつらい作業でした。
内観はなかなかすすまず、おそれと怯えにつきまとわれる時間が過ぎていきました。なまじ、闇の世界がそこにあるということを知っているばかりにかえってその闇に引き込まれてしまうのではないかという根強い恐怖感もぬぐうことができなかった。そんな思いにも同行していただきながら神父様に教えていただいたこと。
『呪文というのは祈りである。「兄」は膝まづいて祈る人の姿。彼が「口」で祈りを唱えている。「主よ、憐れんでください」「南無阿弥陀仏」とひたすら唱える、それらはみな、闇の世界を歩く時に支えとなる呪文・祈りだ。それがないと闇の世界に飲み込まれますわなあ』と。
はじめ、その闇を歩く自分を確かに支える呪文が私にはないように思われました。それがつらかった。聖堂で祈るように勧められ、毛布をかぶり(梅雨で冷えていたので)、ご聖体の前で呼吸法を繰り返しながらイエズス様とマリア様のお名前を呼びました。すると突然自分の深いところから湧き上がってくるようにして見えた光景が、イエズス様が十字架の道を歩まれるすさまじく悲惨で惨めな姿と、張り裂ける思いででも決して目をそらさずその御子を見守り続けたマリア様の姿でした。マリア様は一度も目をそむけられることがなかった。イエズス様はそのマリア様に支えられて十字架への道を歩まれた。そこに深く交わされていた決して一方通行ではなかったお二人の愛が、私のおそれている闇の中にいつも確かにある。あの時自分の生身でその確信に包まれたことは、大きな恵みでした。
内観を終えて2週間ほど過ぎた今、感じることですが、漠然とした無理をどこかで感じながらもドアの外での働き場をいつも探していた私にとって、この体験は自分の立つ場の軸がどこかでいつの間にか別のものへと移動していく体験になっているようです。自分の「本来性に落ちていく、連れ戻されて還帰していく」という田中神父様の言葉がこういうことをさしておられるのかなとわかるようになった気がします。
それと同時に「ナムの道もアーメンの道も」の中で田中神父様が、いっておられることが興味深く読めるようになってきました。内観、生身の自分に正直に向き合い、自分の内面に下っていく際ベースとなるのは私自身の生身の心と体であるのだ、ということ。根本仏教で説かれている「無明」というのは実は私が体験した闇のことで、「無明」そのものは実は「光」の手前に私たちの眼差しに塗ってあった「汚れ」であったという考え方。
これからが、自分の「本来性」に落ちていく生き方を日常の中で少しずつ模索していく新たな歩みとなれますようにと願っています。
藤原神父様のご同行とご指導が、ありがたかったです。感謝。
(息吹34号より 京都・IC)
父母、祖母の笑顔
静岡 教員
今回の内観で、一番の収穫は、イエス様との距離が近くなったことだと思う。
母、父、3人の弟、祖母、伯母の7人に、@して頂いたことAお返ししたことB迷惑かけたことを、余裕のある時間帯の中で思い巡らすことが出来た。そして今まであまり気に留めていなかった場面が、今回とても印象に残った。
それは母、父、祖母の笑顔だった。笑顔を思い出すということは、幸せだったということだ。3人からいただいたものでもあるし、お返しできたものでもあるし、迷惑かけたにもかかわらず赦してもらっているということでもある。3人との親しいかかわりを通して、神様が私に触れてくださったのだ。
自分はいらない存在との思いが強く、心の病気で長年苦しみ、どこにいても何をしても不安で自信がなかった。そのくせ自己主張が強く、他人を傷つけることも多かった。
しかし、愛と赦しを深く感じた今、自我を通そうと頑張る必要がなくなった。誰も見ていなくても一人ぼっちでも、安心して生きことが出来る。自然に振舞うことが出来る。生きるのが楽になった。呼吸が楽になり、心が軽く、明るくなった。
二回修道院の門をたたいたことの意味も明確になり、やめたことを今まで納得できず、自分や相手を攻めていた不自由さから抜け出せた。自分のいのちにとって、あわせて6年間の祈りの生活は必要だったのだとわかったからだ。生かしてくださったのだ。
そして今、自分固有の奉献生活の形がすっと心に落ちた。今回内観中に奉献文を書いたことはとても意味があった。イエスの生き方に惹かれ、その歩みに従いたいとの思いは以来ずっと続いている。それが修道生活であると思っていたが、自分が生き生きと生きられる道はそれとは異なることがよくわかった。私の場合は教員という天職を軸に、祈りと奉仕に道を歩むことだ。生徒をはじめ、病人や助けを必要としている人を通してイエスに出会う道である。そして、イエスをさらに深く知り、より強く結ばれたいと切に望んでいる。
今後は祈りを生活の中心に据え、出会う人々の中にイエスを見出すことができるよう、行いの一つ一つに心を込めてやって生きたいと思っている。(息吹35号)
摂食障碍というユニークさ
神奈川 OY
私は幼い頃から小児喘息で病弱でした。14歳から摂食障碍が始まり、その後、人生の様々な「病み・闇」を味わっておりました。キリスト者向けの内観については約10年前にインターネットで知り合った方から教えて頂き、内観に与って自分の人生に大きな転機となったとのことで私も是非参加したいと思っておりましたが、時が熟さず長い期間が経ってしまいました。その間にも様々な心身の苦しみを味わっておりました。今年には半年間、入院しており、「退院したら必ず内観に行くんだ」と、熱望しておりました。そして漸く参加の機会が与えられました。
入院中に行動制限、心理療法を受けていましたので、母についてはある程度考えていました。でも、今回、母は自分のいのちを削って私に与えて下さった、ということ。なのに私は「足りない、足りない」とお乳を吸って、母が枯れてもまだ欲しがっている赤子のようだと気付かされました。また、父と兄について内観したときに「私は両親・兄をどんなことがあっても見捨てない!」と強く思いました。その後、その気持ち・叫びは、父なる神・御子イエズス様と同じ気持ちなのだと気付き、まさに私に内在される神様を深く自覚しました。もちろん家族を調べてゆくことは考えていましたが、叫びとして神を自覚したことが、今回、特に印象に残りました。
私には摂食障碍があるけれども、根本的には「依存的」なユニークさを持つ一人の人間なんだ、ということがわかりました。それは良くも悪くもない、私の個性、私を苦しめることもあるけれども、幸せや神の愛を知らされるお恵みでもあると感じました。でもまだまだ苦しい事の方がいっぱいです。今後、内観することによって、苦しみから変えて行けるようにしたいです。また、今までの自分が行ってきた赦しの秘跡への心構えが変わりました。これは大きな気付きとなり、またお恵みとなりました。(息吹35号)
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