わたし流の内観瞑想
中村清二
1.内観との出会い
昭和27年、苦しい闘病生活の最中に、神様の方から私に出会って下さいました。それから暫くして、我が家の近くに戦勝国アメリカの資本で、カトリック教会と学校ができました。
私は敗戦で落ちぶれた日本の仏教よりもキリスト教に魅力を感じ、日曜日にはラテン語のミサを覗くようになり、次第に公教要理を聞くようになりました。当時は教え方が下手で、私にはわからないことがかなりありましたが、民族的劣等感から、大抵のことは鵜呑みにしました。とはいえ、話を聞くうちに、キリスト教は素晴らしい教えであることを初めて知りました。と同時に、キリスト教の教えやしきたりの中に、日本人の私にはどうにも馴染みがたく、物足りない部分の多い宗教であることもわかってきました。しかし、これもいずれは解決できるものと期待して、昭和31年に37歳で洗礼を受けたのであります。
当時は第2バチカン公会議によるカトリック教会の大変革期のことですから、教会は、司祭も信徒も、その他すべてが揺れ動いている時でもありました。その後40年の間、悩みながらも、革新派の神父様や他宗教の方々の薫陶を受け、種々の角度から己の信仰を見直し続けました。
考えてみれば、ヨーロッパ大陸で育ったキリスト教という大木を、文化の違う日本という東洋の島国の土壌に移植した時、これが果たして土着するであろうか、日本人に受け入れられるであろうか・・・という疑問は、多くの先輩たちが悩んでいた共通の疑問でありました。
それから時は移り、平12年となりました。再度この時、横浜港南教会の催しで、藤原直達神父様によるカトリック内観研修会(10月23日〜25日)が行われました。この研修会で、私は初めて「内観」というものに出会ったというわけです。
ここで、まず一番嬉しかったことは、藤原神父様も、日本人として私たちと同じ悩みを抱えておられる一人であり、これを「内観」を通して克服しておられることでした。これは、私にとって実に大きな収穫で、それまで本物のカトリック信者になり切れない我が身の劣等感が、この時から自信へと変わり始める明るいチャンスとなりました。
(神父様の著書『内観の霊性を求めて(1)心の内なる旅』を見て頂ければ、このいきさつがきっとご理解いただけると思います)。
2.カトリック内観とは何か
2-1. 自我からの解放
前記の通り、神父様の著書をお読み頂ければわかることなので、ここでは私なりに理解したことを、ごく簡単に申し述べます。
これは自己探求方法の一つで、心の内を深く観ることです。即ち、自我から解放されて、神と出会うための秘訣だと理解していただければよいと思います。
それでは、自我とは何でしょうか。申すまでもなく、自分の考えです。我が強いとか、自我に執着すると言いますが、これは自己中心的で、物事にこだわり、他人の意見を受け入れない排他的な心の働きです。こういう人は、いざとなると自分の考えを優先し、神を無視するので、宗教的には罪人ということになりましょう。この意味では、大抵の人は罪人であると言えます。
また、傲慢でわがまま、人を憎む、執念深く欲が深い、よくわかりもしないのに他人の意見を盗み受け売りする、こういうことも自我の類です。
つまり、自我が強いのは人生を不幸にする大きな要因なのです。
2-2. 十牛図について
後ろの載せられている「十牛図」は、自我に束縛されている私たちが、内観を通してそのしがらみから解放されるには、いかなるプロセスを辿るかという、心の変化を示した絵図です。
この絵は、今年3日13日(日)に当教会で行われた講話会で、藤原神父様から頂いたものですが、僭越ながら、これに私流の注釈をつけてみました。(案内本欄に紹介されており、注文すれば手に入ります)
第10番目の絵は特に大切です。宗教の悟りや内観の極致は、ここにあるのではないかと思います。即ち、悟りとは頭で難しく捏ねたり、聖人めいたことを言ったり、不思議な業を見せようとすることではないということです。悟った人ほど、物静かで、目立つことを避けるものです。謙虚です。
内観の極致は、10番の絵にあるように、喜びに満ちた平凡な生活を、日々淡々と、しかも謙虚に生きることだと思います。カトリック内観瞑想とは、自分の心をひたすら見つめて、生涯を悟りのゴールへと進むことだと、私は理解しています。
瞑想を始めたばかりの1日目は、何もかも真っ暗闇です。それが2日たち、3日たつ内に、暗闇に目が慣れるように、次第に過去の人生が見えてきます。今まで一度も思い出したことのない世界が思い出され、驚きます。これが深層心理的に自己を探求する秘伝秘訣なのです。
内観は宗教だけに限らず、人生すべての変容に役立ちます。また、知識信仰、口先信仰を改めるのにも最適な方法であると私は思います。
私は、以前籍を置いていた教会で、昭和58年から平成4年までの12年間、キリスト教入門講座の講師を担当させて頂きました。そしてこれを修了された約40人の方々は洗礼をお受けになりましたが、仕上げのテーマに、これを講義してさしあげられなかったことが残念でなりません。
3.内観瞑想の行とは何か
ここでも、研修会当日に出席されなかったり、上述の神父様の著書を読んでいない方のために、この内観の行を私流に簡単にご紹介します。
これは座禅に少し似ていますが、あれほど窮屈ではありません。まず屏風で仕切られた場所に座ります。足腰に障害があるなら椅子にかけてもよし、疲れたら、横になり、体を伸ばしても構いません。
次に、内観に入る準備として、精神統一のために腹式呼吸をします。これは数息観と呼ばれ、大変重要です。首筋や腰骨を伸ばし、肩の力を抜きます。次にゆっくりと息を吸い、それを臍下丹田に押し下げるような感じで、息ごとに「ひとーつ」「ふたーつ」と数をかぞえながら、細く長く、ゆっくりと吐き出します。数息観のかわりに一息ごとに「聖霊、聖霊」と唱えることもありますが、これを10分間ほど繰り返します。そのうちに聖霊が全身に充満した感じがし、雑念は次第に消えていくはずです。私は肺活量が少ないので、自分に適した調子を見つけるのに、少し時間を要しました。
さて、静かにこの呼吸を続けながら内観に入り、徹底的に自分に向き合います。基本を身につけたり、深く内観するために集中内観という行がありますが、これは、入浴とトイレ以外は座る場所を離れず、食事と睡眠もその場所でとり、これを通常7日間連続して行います。そして、孤独や沈黙の行に飽きたり、迷ったときの助けとして、同行者という先輩が、時々、屏風の場所を訪れ、励ましてくれます。
3-1. わたし流の内観法について
さて、私もこの研修会で少し座って、初歩的な体験をしました。これは私のような86歳で片肺の老人には、肉体的にかなりきついと感じました。ですから集中内観のような業はあきらめ、自分の体に合わせたわたし流の内観をすることにしました。
それは特に改まったものではありません。老人夫婦だけの我が家はどこも小部屋ですから、内観向きで好都合です。体が疲れやすいので、大体1日1回、1時間程度にしています。瞑想中でも、疲れたら横になり、腹式呼吸をしながら背筋を伸ばすと楽になります。夜中に目が覚めた時は、頭が澄んでいて、深く瞑想できることもあります。また、病院の待合室で順番を待つ間にも、電車の中でも、歩きながらでも、時間を有効に利用できます。その他、自分の健康や環境にあわせれば、誰でも、どこでもできる行であると思います。
また、私は近年、目と耳の障害が進み、記憶力もひどく衰え、せっかく読書をしてもすぐに忘れてしまいます。内観のように、心の目、心の耳で己を見つめる修行は、今の私にとって大変適しているように思います。
これまで種々のキリスト教刷新運動や他宗教との対話にも首を突っ込みましたが、私はどれにも満足できませんでした。しかし、このカトリック内観だけは、私にとって自然な形でピタリときますので、もっと早く始めればよかったのにと、残念に思っている次第です。
多分、このカトリック内観が、私にとって人生の仕上げの修行となることでしょう。
3-2. 内観瞑想の順序
ここでは前記十牛図のプロセスを辿るための方法を、さらに具体的かつ簡単に述べることにします。
これは、過去の人生の棚卸しをすることでもあり、おおむね次の3項目をテーマとして深めていきます。
@・・・に、して頂いたこと
Aそれに対し、お返しをしたかどうか
B迷惑をおかけしたことはないか
@の対象には、まず自分の母を選びます。母は世界中で最も自分を愛してくれた人、しかも無償で愛してくれた人です。内観のテーマは母から始まって母に終わると言われますが、内観では、それほど母を大切にします。その理由は神父様の著書をぜひご覧下さい。
なお、配偶者の母も同様に大切にすることを忘れないで下さい。
ここで大切なのは、母がどうであったか、責任を果たしたかどうかなど、過去を思い出して裁くのではありません。(これを外観と言います)母の態度がどうであろうと、欠点だらけであろうと、そんなことは問題ではないのです。母の愛を自分はどう受け止めたかについて、自分の心の中を深く究明すること、これが内観です。
Aに対しては、何の感謝もせず大面していた親不孝者の自分に気づかされ、お詫びしたくなるものです。しかし、その母はもうこの世にいないとなると、泣きたいような思いになります。
私は、この@の部分で「外観」に陥ってしまい、初めのうちは、母の欠点ばかり拾っては裁き、内観瞑想の目的がわからなくなって、しばらくやめたことがあります。ですから、皆さまは、どうか、この外観と内観を間違わないように気をつけてください。
Bの迷惑をおかけしたこと。
ここは、お詫びしたいことばかりです。以上、@ABを内観するとき、母に限らず何事に対しても、自分は威張れるものなど一つもないことに気づき、感謝したり、他人の思いやりに心を向けたり、謙虚な生き方に目覚めてくるものです。ここで、いつしか神の霊に出会い、平凡で淡々とした生き方の素晴らしさがわかります。私はまだ未熟ですが、少し体験するだけでも、すがすがしい気分になります。
4.母に対する内観の体験
4-1. 子守唄
「ねんねんころりよ、おころりよ、坊やはよい子だ、ねんねしな」
瞑想していると、丸くなった背中で孫(私の息子)をおんぶしている母の姿が浮かんでくる。私もこの、ねんねこ半纏にぬくぬくとくるまれて、母に子守唄を歌ってもらったことであろう。遠い昔のことで、記憶がはっきりしない。この母は、親ばか丸出しで、欠点も人並みであったが、大切にしてもらった思い出がたくさんある。
私はこのご恩にお返しをしたであろうか。全くないわけではないが、やったと言えるほどの思い出はない。むしろ、当然の権利のように考えていた。母が亡くなって、もうすぐ43年になる。お墓参りをして、たくさんお詫びをしたい。
4-2. 叱られて
関東大震災で焼け出された我が家は、親戚や知人の家を点々として、5年の間、居候生活をしていた。昭和3年、池袋という草深い田舎町にやっと借家を見つけ、一家はほっとしたところであった。(これは我が家のエジプト脱出のようなものであった)。
そこ頃、私は小学3年生であった。ちょうど夏休みの頃で、友達はみな、海や山へ行って楽しそうであった。我が家にはそんな余裕はなかったのであるが、私にはそれがわからず駄々をこねたらしい。疲れて会社から帰ってきた父は、これを聞いていてさぞ辛かったであろうと思うのだが、ついに堪忍袋の緒が切れて、私は外へつまみ出されてしまった。道を隔てた向こうは大きな寺で、外灯もなく暗闇であった。「ひとだま」が出ると噂される寺のまわりで、ひどく恐ろしい思いをした。いくら泣いても、家には入れてもらえない。やぶ蚊には噛まれる、空腹にはなるで、泣き疲れてしまった。
そうしているうちに、母が握り飯と手拭をそっと持ってきてくれた。不安と悲しみでいっぱいだった私の涙をぬぐってくれた母がとても有り難く、その手が光って見えた。そしてその夜、家中が寝静まった後、母は自分の布団を濡れ縁まで引きずってきて、私を抱いて一緒に寝てくれた。私はカーチャンが無性に有り難くて、いつまでも泣いた。涙で月がにじんで見えた。
しかし、この母の愛を、私は長い間忘れていた。75年もたった今、内観のおかげで思い出すことができ、ただただ、感謝とお詫びの気持ちで一杯である。
4-3. 外套
私が14歳の頃のことである。満州事変は終わり、世は軍国主義一色となった。中学生の制服も軍服様式に変わり始めた。私の学校でも、外套は胸に金ボタンが2列に並び、剣吊りボタンのある、いかめしい制服となった。これは我が家には高価過ぎて、学校を中退するかどうか問題になった。この時も、母が自分の大切な着物を売って、外套を注文してくれた。これは有り難くて、感謝のしようがなかった。だが、しばらくすると、これにも慣れてしまい、剣道に夢中になり、勉強をサボって落第しそうになり、母に心配をかけたことを思い出す。だから、「母に何をお返ししたか」と問われると、返す言葉が全くないのである。
4-4. 母の幻
昭和18年には、私は北支の山東省にいた。24歳であった。最前線部隊の兵器を修理するのが任務であった。2月18日午後2時頃、36名の我が小隊は、徐縷という所を行軍中、数百名の共産系部隊に包囲され、死を覚悟の激戦となったが、援軍の到着により奇跡的に生還することができた。この戦闘中に母の幻が現れ、生きる望みを失いかけていた私を励ましてくれた。
「かあさん、こんな危険な所まで来てくれたの!ありがとう、ありがとう!」感激と興奮で、ヒュッ、ヒュッと飛んでくる弾の中で、私はしばし茫然と立ちすくんだ。余りにも不思議な体験だったから・・・。
母の愛とは、影法師のように、どこまでも追いかけて来ることを私は知った。しかし、それも日常の雑事に追われ、いつしか記憶の彼方に追いやってしまっていたことを申し訳なく思うのである。
4-5. 母の貯金
昭和38年になった。兄嫁が病死した。母はその病気中から手伝いに行き、自分も病気になって兄の家で亡くなった。84歳であった。世話になりっぱなしの母は、もう、この世にはいない。
あれから随分年月がたった今、母から5万円を預かっていたことを思い出した。母の最後の看病に、なぜこの貯金を使わなかったのか、自分の愚かさが悔やまれる。母に対する数々のお詫びと、母の永遠の安息を願って、43年目の法要を捧げようと思っている。
♪里のみやげに、何もろた
でんでん太鼓に、鉦の笛・・・
4-6. 母の愛を通して知る、神の愛
母のねんねこ半纏の中はぬくぬくと暖かく、どんなにヨダレを垂らしても、オシッコをしても、決して叱られなかった。影法師の如く、どこまでも追いかけて来てくださる母の愛を思う時、その背後にある、はかりしれない大きな神の愛にどう感謝してよいのか、私には言葉がない。
私たちは、飛んでも跳ねても、このとてつもなく大きな神の愛の外に飛び出すことは、万に一つもないのである。これに気づいたら、もう、転げて喜ぶ以外にすべはない。
私を包みくるんでくださる神の、大きな愛に感謝。
○無限に広がる大宇宙(bP)東京、HKさん
タイトルは一世を風靡した某アニメのオープニングナレーションではありません。私が10日の夕方から16日の午前中まで過ごした場所であり、ほんのちょっぴり体験したことを一言で表そうとしたらこんなタイトルになりました。
「内観」とは読んで字のごとく心の中を観ることです。由来その他は藤原神父様がお書きになった本の中で詳しく述べられていますので、私は一週間、どんな体験をしたかについて珍しくまじめ(?)に感想文まがいのものを書いて見たいと思います。
場所は茅ヶ崎(他の数ヶ所でも行われています)。内観という言葉だけを聴くと仏教くさいですが、イエス様はもちろん、パウロなど多くの聖者達が内観していたんだなと思いました。内観が終った後で、そのへんの感想を神父様は聞かれましたが、私には違和感どころか『ああ、これぞバタ臭くない日本のキリスト教!』という印象を受けました。
神父様は「カトリック内観(瞑想)」という言葉を使っておられますが、内観をされる方はもちろんカトリック信者ばかりではありません。信者でない方もいらっしゃいますし、様々な方がなさっておられます。
内観所の周りには精神的なハンディを持った方の施設があるほかはなにもない。時折飛行機の轟音が聞こえるほかは、小鳥のさえずり、夜は星が見え、水道もありません(毎朝バケツで水をくんでくる)。裸電球に掃除機をかけるだけで電圧が下がるという、これぞまさしく『隠遁所』とよぶにふさわしい木造の古い一軒家。
荷解きして早速「内観」の始まりです。たたみ半畳分に屏風をたて、朝6時起床から、10時就寝までトイレ・入浴以外はこの屏風の中のみが時分の生活空間です。食事は同行者(神父様)が屏風まで運んでくださり、以前に内観された方のテープを聞きながら、食事も屏風の中でします。
いよいよ、内観の本論。心を調べる方法は次の3視点である。
1、していただいたこと。
2、おかえししたこと。
3、迷惑をかけたこと。
先ずは「母」について。母に始まり、母に終りました。年代を区切って現在に至るまで「他者が」ではなく、「自分が」どうであったかを屏風で遮断された中で壁に向かって上の三点についてひたすら調べます。
この調子で書くと「内観」ではなく「外観」になってしまうので、恥ずかしいけれど私の例をあげます。以下は小学一年生から三年生までの母に対しての自分を調べたものです。
「していただいたこと」
吹雪の日、そのころはマメタンを入れてくれましたが、子どもの足には熱くてこたつに入れるのを嫌がると、母は自分のスカートの中に私の両足を入れさせ、腿をぴったりとくっつけて暖めてくれました。
「お返ししたこと」 何もございません。
「ご迷惑をかけたこと」 体操服やクレヨンなどを忘れると、「お母さんがちゃんと用意してくれなかったから先生にしかられた」と、いつもは母に責任転嫁をしておりました。
自分で前の日に用意せず、常に母に甘えて用意してもらって当たり前だと思っておりました。
一日に7〜8回同行者(ここでは藤原神父様)との面接があり、調べたことを申し上げます。でもこれは報告会ではありません。
去年、女子医大の外科の帰りに地下鉄に発作的に飛び込みそうになったけれど、私は自分で自分が愛せなくなっていました。今回、集中内観を受けたいと思った理由の一つがこれでした。「クリスチャンがなんてこったい」って頭で思うほど泥沼に。
父母の内観を通して「いかに自分が愛されてきたか」に気づかなかったが気づかされました。
今まですべて「当たり前」だと思っていたからです。何もお返ししていない、迷惑ばかりかけている。でも親は無償で愛してくれる。両親ですらそうなのだから親の親である神様の愛はいかばかりか、と感じました。
このように両親から近親者へと調べていきます。
ところが神父様は、いったん近親者への内観から離れ、つぎに「身体」についての自分の内観をするように提案されたのでした。
「体に対する自分の内観」
実は、内観をする理由の一つとして、私は自分の病気を受容できていなかったのです。
年代順に見てみると、風邪一つひかない健康な頃は「健康で当たり前」だと思っていました。だから特別、身体にも迷惑もかけていなかったけれど、お返しもしていませんでした。
ちょっと外観になるけれど、…。私が身体の不調をきたしたのは、今から12年ほど前。就職して2〜3年目でとにかく忙しくて夜の9時、10時まで残業し、カルテを書きながらカップラーメンで夕食を済ませ、土曜日へたすりゃ日曜も出勤。この不摂生で身体に大いに迷惑をかけていました。
身体は「これ以上無理するとだめだよ」というシグナルを出してくれていたにもかかわらず、「こういう職場の状態だもの、しょうがない。父の借金を返すためだもの」と私はすべてそれを無視していました。
でもこれはよく調べると環境のせいにしていたに過ぎないのに気づかされました。本当は職場のせい、父のせいではなく、自分が安定した生活を捨てたくなかったのです。これって、エゴ。自分のエゴのために身体に迷惑をかけ続けていました。
それでもギリギリまで身体は頑張ってくれていました…私は仕事に戻るために、職場復帰するために股関節の手術を受けました。これも自分の「我」です。自分のエゴのために股関節と膝に迷惑をかけたのです。
それでも私は「当然、身体は私の意思についてくるものだ。私が好きでこんな身体になったんじゃない。」という考えでした。そしてとうとう、して頂きっぱなしの身体に副作用だらけのステロイド剤を使う状態になり、結局退職しました。
ここで同行者である神父様に「では、これから体に対して、どう、お返しするか?」と問われました。まずは身体に「よく今まで頑張ってくれたね。ありがとう」と素直にほめてあげて、いたわる事だと思いました。
私は未だかつて、一度も、自分の身体に耳を傾けたことがありませんでした。いかに無茶苦茶なことをしてきたかに気づき、愕然として落胆する私に、神父様は「今、面接しながら思いついたんだけど」と「特別メニュー」を入れてくださったのです。これが効きました。
それは「医療と身体」というテーマでした。私が患者であると同時に医療従事者であるからこそのテーマともいえました。
「医療(医者・薬)」にしていただいたこと、「身体」はそれにいたか、「自分」はどうであったか。最初はピンと来なかったのですが、身体に聞くしかありません。たとえば、医療の代表として「ステロイド剤」を取り上げてみると、
「していただいたこと」
・めまい発作から開放されて聴力が少し戻った。
・ベーチェット病の進行が抑えられる。
「お返ししたこと」
・体は上の二つに対しては即座に反応してくれた。
「迷惑をかけたこと」
・耳はよくなったけれど、身体全体に副作用を及ぼして、身体をパーツとしてしか診ません。しかも判断材料はすべて生化学検査などの「数値」です。
そこからはみ出していれば「異常」、範囲以内なら「正常」と決め付ける傾向にあります。それで理屈に合わなければ私のように「原因不明の難病」と言い渡されます。
医者は薬その他が身体の他の部分に及ぼす影響は考慮しない。あるいは副作用を抑えるために、また更に薬を出す。いわゆる「対処療法」でしかないわけです。それが現代医学の限界でした。
こうして医療・身体・自分と三つの対象について観たら、それぞれが食い違っていたのです。
神様は人間の身体を実に精巧にお造りになっておられますから…私は自然治癒力を引き出すことができないものかと考えていました。…太極拳で同じ流派のDrはホリスティック医学の第一人者と呼ばれていましたが、彼はいいます。東洋医学は部分ではなく、身体全体を観ます、そしてその土台は『心』であると言われました。
内観は『心』を観るわけですから内観自体が私にとって治療でもあることに気づかされました。しかも副作用はありません。かつ、土台に直接働きかけるのですから、これこそ根治治療であるといってもいいでしょう。(了)
○EA・座禅・カウンセリングの体験から見た内観 神奈川・MN氏
この論文は、1999年1月の「カトリック内観研究会」で発表されたMN氏のものを、研究会が編集したものである。様々な経験を踏まえてのご自分の内観体験は、すでにニュースレター三号でも述べておられたが、このたび、個人的な内観体験を更に思索し続けておられる。大変、貴重な記事だと思う。
(編集者) |
EAと内観
内観に興味を持ったのはEAという感情的問題をもった人たちの12ステップ・自助グループの活動を通じてでした。私も中年期の精神的危機を経験したものとしてそのグループに加わらせていただいています。
EAはアルコール依存症の自助グループを母体としており、AAの12ステップを使っています。この12ステップが内観法の過程とよく似ているのを知りました。内省により自分の過ちを認める。すなわち、沢山の周りの人たち、自分自身、そしてハイヤーパワーへの過ちをまず認める。また、それにもかかわらず、周りの人たちやハイヤーパワー(自分より大きな力・自分の信じる神など)によって大切に生かされていることを知る。そこから感謝が生まれ、過ちへの埋め合わせへの強い動機付けがなされるようになる。
内観法では、内観三項目「していただいたこと」「お返ししたこと」「迷惑をかけたこと」を調べることを通して、自分の自己中心性による周りへの過ちに気づき、それにもかかわらず周りの人たちの愛によって許され、生かされており、強い報恩への動機付けをいただく。
このように人格変容への過程は極めて似ている。違う点としては、体験的に言えば12ステップには仲間との連帯意識が強く、そこに働くハイヤーパワーへの信仰がある。それゆえ、ミーティングには霊的な働きをまざまざと実感できる場合もあり、現実に神様に出会い洗礼を受ける人もいる。
内観法では12ステップと比べて大きな特徴は、その短期の集中性である。隔離された個人で行うため精神的集中性は極めて高く、人格の変容は顕著なものとなる。
また集中内観の場合、通常一週間にわたり、一日15時間の内観となる。これは合計105時間に達し、EAミーティングの週2時間の一年分に相当する。
その他の特色に相違は多いが、両者の特徴を生かし、両者を同時に行う場合、その相乗効果はきわめて大きいものになると思われる。
編集者注:12ステップにつながったばかりの人には、まず、12ステップをこなすように勧める。12ステップのなかの4・5ステップは過去の棚卸であり、その徹底としての内観を勧めている。 |
座禅と内観
私の参禅は、秋川・神冥窟が立てられ第二回目の接心に人から勧められて参加したときに始まり、今に続いている。
最初の接心は極めて強烈なものであった。その頃、私は実生活と信仰の遊離に悩み、また長期にわたるヨーロッパ海外出張で、いわゆるカルチャーショックの洗礼を受けていた。自分とは何か、日本人とは何か…と考えめぐらしていた時であった。
神冥窟では円覚寺の雲水であった方の厳しい指導の下に、一週間はアッという間に過ぎていった。終了直後は、「あぁ終ったか。まぁよくやったなぁ」位の印象であった。しかし翌日目を開けた時、世界は一変した如くであった。「心身一如」というのか身体に喜びが満ち満ち、気力が身体全体に満ち、手の指先までエネルギーが満ちているように感じられた。心は透明に澄んでいるようであり、深い平和があった。これこそ、無意識のうちに、いつからか私が探していたものだと分かった。それから7〜8年盆・正月なく坐禅に没頭し、現在までいくつかの山はあったが座禅は続けている。
内観法と座禅を比べてみると、興味ある相違点がある。座禅も内観法も無意識の世界を対象としている。しかし、前者は主としてユングの言う「普遍的無意識」を扱っており、後者は「個人的無意識」を扱っているように思う。したがって、見性(悟り)した人に老師が「謙遜になれ、謙遜になれ、そうでなければ見性などしないほうがよい」とうるさいほど言われるのが理解できる。禅での個人的無意識を通り越しての目覚めには、個人的無意識の問題(注・我欲)が未解決であるからだろう。それに対し、内観では個人的無意識を主として扱う。それは後天的、個人的に獲得されたものであり、より倫理的比重の高いものである。個人的経験の意識化は人間を謙遜にする。
三重県桑名市の宇佐美和尚様は鎌倉での数百の公案を済ませてから、まもなく奈良の吉本先生(注・今日の内観方の創始者)のもとに行かれたと聞いている。吉本先生から「あなたのように座禅を極めた方が、なぜ内観をされる必要があるのですか」と尋ねられ、宇佐美和尚様は「自分の匂いを消したいのです」と言われたと聞いている。和尚様のところでは、内観の中に禅のすぐれたところを取り入れた独特の内観法を行っているそうだ。
私の体験では、内観においてキリスト者は己の原罪の存在を意識するのではないかと思う。自分ではどうすることもできない自己中心性の我執に対して、キリストに贖われた罪の後を見るように感じる。「罪のあるところに恩寵もいや増した」ということが実感できるように思う。
カウンセリングと内観
五十代になり、中高年の心の危機を体験した。当時の私は、遺産をめぐる家族の争い、会社部署内での人間関係のもつれ、OA機器を使っての連日の残業、新しく配属されてきた若い女子社員が(もともと不適応行動があって…)神経症にかかり、などなどで私自身の心労も重なり、友人のカウンセラーに私の話を聞いてもらうことになった。
カウンセリングやその後の自己分析では自分でも予期できない自己像が次々と意識化されてきた。
信仰に基づいての高い理想と現実の自分とのギャップからくる心の葛藤、地位や名誉への願望が強いにもかかわらず無意識に抑圧したり、会社でラインからはずされた恨みがあるにもかかわらずそういうことへの愛着は卑しいことのように言ったり、他人下の過度の親切は他人から嫌われるのを恐れていたためであったり、自分の寂しさを満たすためであったりした。また困っている人に献身的に奉仕することが、その重荷に疲れると「お前なんかどこかに行ってしまえ」と心でささやいている自分がいた。こうした無意識を探っているうちに、自分の現在の根に触れたように思う。こうして無意識が爆発してきたのも、神の前での二日間にわたる祈りの結果出てきたものであったと思っている。髪はそんな罪人をも許してくださっているという実感があった。
これを契機として回復が少しずつ生じた。また、回復の過程で、ヤクザ風の男と路地裏で喧嘩をしたりした。これは子どもの頃、よい子であり喧嘩などまったくしたことがなかった事への反動であった。子ども返りさえし、自我の再構築をしていった。自分の理想と違った、認めたくない自分のありのままの姿を受け入れていったときに自我は再統合されていった。
そしてゲシュタルト心理学でいう「鍵体験」即ち、鍵穴にカチッと鍵が合い、扉が開くような経験をした。いわゆる「図」と「地」が反転したように、すべてがOKの状態になった。
これは座禅の時の体験・心の澄んだ透明な平和な感じというよりも、感覚的に高揚したような感じであり、嬉しくて嬉しくてたまらないという感じであった。無意識の浅い層での統合なのかもしれない。こうしてある意味で、個人的無意識の問題は解決されたかもしれない。しかし、社会生活での適応には問題を感じないが、霊的な深みへの飢えを満たすものを求めていた。私はOK、あなたもOK、すべてはOKという領域にはまだいなかった。
まさにそんな時、EAを通して内観を知りえたことは幸運であった。
昨年、集中内観をした時、自分の中にあったユングの言う「太母的元型」に近い母のイメージが大きく変わった。母への内観で、清清しい個性的な近代的な自我を持った母に気づくことができた。
今後の自分の課題としては、内観に座禅の深さと、カウンセリングの受容と共感、そして原初的エネルギーの解放、またEAの集団の中に働く霊的力を併せて、主として心理療法的な側面から実証的に研究していきたいと思っている。
編集者:MN氏の論文は大きな課題で終りました。それらの総合化の過程はどういう方向に行くのだろうか。異質なものの統合は深層領域に突入するのであろう。すべての基底にある、ゼロポイント、大極、一者、絶対無、あるいは聖なる四文字の方(ヤーヴェと云われる神)…そういうところで確かに統合されるだろうと思う。
最近、内観が中国宋学での静座により「理」を悟ってゆく修道と似ていることを知った。それは一見禅と似ているが、日常の事物・出来事の理ことわりを一つ一つ極めてゆくというものであり、座禅より内観法に近い。
多くの場合、内観では表層領域での思考態度を反省するに留まっているが、内観が深まるということは、もっと無意識の深いところ(深層無意識領域)に下ってゆくのだろう。それは絶対的な暗黒にまで降下されたキリストのへりくだりに呼応する営みであり、まさにそれを目指して、カトリック内観瞑想と呼んでいる。
同行者として、そのへんが一番興味のある領域である。論文をありがとうございました。
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心の姿勢 神奈川県 TH氏
港南教会に藤原直達神父が出張で「集中内観」をしていただけるというお誘いがあった。三日間だけの変則形式とはいえ、「内観」に具体的に参加できる。嬉しかった。多少の都合はやりくりしてしまった。怠け者にはもったいない機会が与えられ、期待と不安で10月23日を迎えた。
小教会内の遮断環境をどう創るのだろうかなどという心配は、神父の見事な采配で吹っ飛んだ。長椅子を少し動かし、参加者の各人とは十分距離のとれた沈黙の空間がたちまち確保できた。御聖堂内での左右の壁面に対座する。「身調べ」に入った。抽象的でなく具体的にというアドバイスを頂き助かった。
二日間を亡き「おふくろ」に使う。五年間位の時系列で具体例を拾い出す。始めてすぐに気がついた。「なんとかなるさ」という安易な気分の故か、集中できないのだ。雑念が廻り、探すべきものは片方に押しやられ、空転とブレーキの繰り返しが、恐ろしいほどのエネルギーを費やした。何回目かに、同行者藤原司祭の短い面接で、体力は消費しないが、精神の消耗にぐったりしている迷う自己を発見した。かつて経験したことがなかった心体験だった。じわじわ心底に潜む実体が浮き上がり、見たくない、押し込んでいた「我」の影がチラつく。このような訓練を受けたことがなかった。外見は坐っているだけで、講義も何もない。あるのは貴重な「沈黙」だけである。
三視点で調べたわずか二日間の「対おふくろ」の身調べは、私の完敗に終る。してもらったことに口先だけの感謝だったのが分かった。与えられてきた事と与えたと思ってきたことの落差というかアンバランスに愕然とする。こんなはずは無いと又考える。ざわつく心が続く。素直に「参った」と呟いてみて、落ち着きが戻るのだ。弱い己に初めて気づいたようである。
第三日目前半を一転して、どうしてもゆるせない一人の男に対する「身調べ」に当てた。さらに膨大な時間が要りそうだ。私の中に住む鬼は容易に妥協しない。二重人格みたいな自らの姿勢を実感している。業か、狂か、今後の大宿題が残った。
毎日終了後、ミサにあずかった。「ありのままの自分を奉献」しようという神父の言葉は私の救いだった。委ねる姿勢に初めてはれたのではないか。素直に感謝と言えたと思う。(了)
夫と同時に内観 大阪 KH氏
先日はお世話になり、ありがとうございました。無い寒中も、本当に祈ってくださいましてありがとうございます。帰宅すると夫の表情が変わっていました。ちょうど、夫に対する自分の内観をしているとき、神様は夫にも内観をさせてくださいました。夫の話では「何か分からんけど若いとき教会(日本メノナイト・プレザレニ教団受洗)へ行ってた頃のことが浮かび、その頃の気持ちになった。何で、今まで、イライラしてギャーギャー言っていたんやろ。すべて悪いのは人のせいにして批判ばかりして腹を立てていた。悪いのは自分で、自分の問題だった。いかに自我に生きていたか!自分が変わらんといかんと思った。お前は、何や、いつも1に信仰、2に信仰、3、4がなくて5に信仰と思っていた。H神父さんに話を聞いていて自分は、ついていけないと思い、行くのを直ぐやめたけど、いかに、自分が高慢だったかと分かった。改め、お前を見直したといったらおかしいかも知れんけど、世間一般の人は上ばかり見ているが下を見て生きていたんや、今まで気がつかなかったけど、一番近くによい見本が居た。自分が、定年までいけたのはF病院に通院していたからできたと思っていたが、そうではなく、普通はできないけど、いつもお前が受け止めてくれていたから定年までいけたと分かった。今まで、その度に言ってくれてたな!自分が聞かなかっただけで…」「そうよ、幾ら言っても聞く耳を持っていなかったよね、それどころか、反対にとっていたね。お父さん、すごい、良かったね」「私が、お父さんの内観をしていた時、同じようにお父さんも内観していたんやね。感謝。今まで、ずっと、このようになるのを待っていたんよ」と夫にいいました。神父さん、こんな大きいお恵みをいただきました。本当にお世話になりありがとうございました。追伸:A神父さんが、いつも仰っておられる、潜心して神の現存に生きる、接触すること。内観も同じことですね。(了)
夫婦一緒に内観 盛岡 U夫妻
〈ご主人の手紙〉
私たちは8月西宮トラピスチヌスで開催された内観に夫妻二人で参加しました。大阪からわずか1時間の大変便利のよい場所でありながら、木々と静寂に包まれた修道院での一週間の時間は、現実ではなかったような不思議で爽やかな印象を残してくれました。
半畳の屏風の中は、意外と居心地のよい空間でした。殻に閉じこもり、空想の中で遊んでいた自分を思い出しました。しかし、自分と向き合う作業は苦しいものがありました。毎朝あのミサと、同じ目的を持って参加された方との無言の交流ができた食事の時間は私を勇気付けてくれた大事な時間でした。
今、私は一週間の集中内観を終えて、十分なものではなかったかもしれませんが、大きな満足感を持っています。今回の課題であった「妻が支えてほしかったとき、支えられなかった原因」を掴むことができたように思いました。そのことを帰りの新幹線の中で分かち合うことができました。また、夏休み中に内観の一週間の体験を整理できました。この成果を子どもたち、職場に活かしていきたいと考えています。時間の経過とともに、元に戻ってしまうかもしれませんので、妻と二人のミニ内観と分かち合いを実行してみたいと思っています。
〈奥さんからの手紙〉
西宮での内観の申し込みをした後でも、本当に二人で行けるのだろうかと少々心配でしたが、無事修道院(西宮トラピスチヌス)にたどり着き、6泊7日の心の旅をなんとか終えることが出来たのは、神父様と同行者のおかげと心から感謝しております。
帰りの新幹線の中で神父様の教えてくださった分かち合いを夫としました。(私は)夫の話をひたすら聞いて、(夫は)私の話をひたすら聴いてくれました。私はすべてを話しました。長い沈黙の時が流れました。そして、また二人のいつもの時が戻ってきました。母親の子宮から出てきたところに共に立って、痛み、喜びを分かち合っていきたいとの願いが叶い、感動しています。30年求めてきて、いえ50年求めてきて、『今』があります。私の内の神に確かに出会えました。もう私は一人ぽっちではありません。もう大丈夫です。
修道院のたたずまいが鮮明に心に甦ります。あの場所が私の心の再生の場になりました。また、二人で内観瞑想したいと思っています。そのためにも内観的見方を日常化していくつもりです。そして、一人でも多くの人に親との和解がいかに必要であるかを伝えて行きたいと思います。(了)
死の暗闇の淵から光へ 東京 42歳
3回目になる今回の集中内観は、死の淵を歩んでいる…そんな感じのする一週間でした。自分の中の暗闇を見ることでいのちに向かって歩めるのですが、それをするのも辛い。しかし、立ち止まっては死の中に落ちてしまうのではないかという不安の覚えた内観でした。
「嘘と盗み」、「兄弟姉妹たち」に対する内観が終わり、人生の夢(何をすればハッピーか、自分の居心地ののよいところはどこか)を調べる時も、心底嫌気がさし、このまま死んでもよいとの気持ちになり、眠り込んでしまいました。目が覚めてから、今までの私の中にあったおぼろげなイメージとして抱いていた事をはじめて言葉で表現してみました。それをすることで、死の淵を歩んでいた状況が希望・光に向かった感じがしました。
今回、私の内面において、希望・光に向かっての働きと、それとは逆の絶望・死に向かった働きの両方を強く感じました。前者の働きがわずかなもの、後者のそれは力ずくで奪うような働き。後者の働きかけに屈しないで進んでいくと、その後に、ほのかなそよ風のような働きがそこから届いてきました。
後者の思いに屈したいと強く感じると、死を意識しました。この戦いに負けると肉体は生きていても霊的生命は死んだままこの世の生活を送ることになると気づかされました。
こうした内観で、自分の対人関係の姿を見せていただきました。親・兄弟に対して否定的な感情を根強く持っていた事が、つまりは、外での人間関係にも影響を与えておりました。『愛』という言葉はこれまであまり使わずにいましたが、これからは親・兄弟に対して『愛』を持って自分から積極的に関わりを続けたいと決心しました。(了)
父との和解 千葉 シスターI
朝晩は秋を感じさせる涼しい風が吹いてくる頃となりました。大阪はまだまだ残暑が厳しいでしょうか。お礼が遅くなり申し訳ありません。戸塚では丁寧なご指導をいただき、ありがとうございました。
猛暑の中を、忍耐強く、同行してくださったことに深く感謝しております。
内観が終わり、帰るときには、自分には十分内観できなかったという悲しさが残っておりました。
何をやっても中途半端なんだ。もう、神様を求めるのもやめよう、との思いまで浮かんでおりました。幸い、その後時間がありましたので、祈ったり、自分なりに内観をしたり、いただいた本を読んだりしているうちにいろいろなことが整理され気づかされました。
内観中に神父様は、屏風の桟をさして言われました。「今、ここまで来ている。もっと、深くいくとパニックになってしまうから、神様はここまでにして下さっている」それは私にとって、とても悲しいことでした。なぜ?なぜ?という思いでした。帰ってから気づいたことは、私が望んだ恵みはいただけなかった。でも神様が私に与えたかった恵みはしっかり受け止めることが出来た。それを十分生かし、生きていこうということです。そして、自分の神様に対する姿勢にも一つの気づきが与えられました。それは、今までの私の神への思いは「我執」だったということです。つかもう、つかもうとして、しっかり自分を握り締めていたのです。つかむのではなく、手放すことが必要なのですね。
内観でいただいた一つの恵みは父との和解でした。12日から18日まで帰省して来ました。私自身の変化よりも、父が変わっていたことに驚き、また喜びでした。今までになく、一緒に時間をすごし、いろいろなことを話すことができました。そして18日の80歳の誕生日を姉や家族と一緒に祝い、用意していったお詫びの手紙も手渡すことができました。本当にありがとうございました。和解が必要だということすら、今までの私は気がついていなかったのです。
まだまだ、課題が残されておりますが、自分なりに深めてゆきたいと思っております。子どもたちにもこの経験を分かち合い、内観を授業の中にも取り入れたいと思います。(了)
宣教と内観 東京 GPさん
私はポルトガルから来たカトリックの宣教師で、今回2回目の内観をさせていただきました。もう一度内観をすることに決めたのは内観的な祈りと考え方、そして生き方を、もっと自分のものにしたかったからです。
今回の内観を通して改めて感じたのは、先ず第一に、自分の弱さと傾きを知ることの大切さでした。
イエスの後について行きたいと思っていた私ですけど、20年もの間、イエスと私のギャップを、どういう風に受け止めたらいいのかということが正直言って、よく分かりませんでした。「自分のエゴをなくすべきです」とよく黙想会等で聞いてきて、一生懸命に自分のエゴイズム、いわゆる、「肉の業」をなくそうとしました。しかし、自分の努力では何も出来ませんでした。パウロの言うとおり、自分のやりたいことは出来ないが、やりたくないことばかりやっています。
そこで内観はとても大切なことを教えてくれました。自分のエゴをなくすよりも、むしろ、そのエゴの癖を知って、「仲良く」するのが大事だということです。つまり、そのエゴを隠さないで、認めて、神様に捧げて、赦してもらって、そして謙虚さや自由、隣人の弱さを理解できる心など、聖霊からの恵みをいただくということです。完全なエゴをなくしたからでもない、ただ、ただ、神の憐れみ深い心により頼むことです。
これこそキリスト教のもっとも肝心なところだと思います。けれども、今までは、心の奥底から気づいていなかったことだったのです。私はいま、神の慈しみ深い心を知るたびを始めたばかりだと思っています。私は普段、宣教活動に取り組んでいるその時々に、御言葉についてお話をしていると「嘘をついているのではないか」と、ふと思って胸が痛くなることがあります。
内観をやり始めてから、新しい福音宣教の仕方があることに気づきました。それは、自分の回心について話すことだと思います。それが出来るように、つまり思い上がらないよう、そして自分をだまさないように毎日自分を見つめるのが必要だなと、この頃つくづく感じるようになりました。ですから、今回の内観を通して、私の普段の祈りに内観的な部分を取り入れたいと思います。御言葉を伝えるときは、謙虚な心になれないのなら、むしろ止めた方がいいとさえ感じるようになっています。
もう一つの今回の大事な気づきは、自分の人生を振り返ったときに、苦しい体験は神様からの恵みとして受け止めることが出来たことだと思います。例えば愛している人が苦しい体験をしているとき、私のやるべきことはその人を十字架から下ろすことだとおもいこんでいました。しかし、それはほとんどの時には無理で、大きな負担となりました。今回気づいたのが十字架は上手に担うものだということです。イエスは十字架を背負ってくれたし、私たちもお互いに愛し合うことは、お互いに十字架を担うために励ましあったり、助け合ったりすることではないかと思いました。自分自身の今まで受けた十字架に対しても感謝することが出来たし、将来についての恐れ、心配などは大分なくなりました。すべてそれらはお恵みなのだと、理解できるようになったからです。
今、神様に願っているのは、一日一日を共に、生きていくことです。今日一日だけ、神様、私は自分の弱さを見つめ、それをあなたに捧げる素直な心にしてください。今日一日だけ、あなたの憐れみ深い心をもう少し知り、あなたの慈しみの福音の使者にならせてください、と。(了)
外山富士雄さんの詩
「ですの譜」
善いと判断したらやってみるんです。
生きている証明にです。
失敗したら失敗を踏み台にするんです。
次のチャンスを見つけるんです。
幸せなら誰かが不幸を忍耐しているんです。
ありがたいことです。
不幸ならその分だけ誰かが幸せなんです。
喜んであげるんです。
神の人間の親なんです。
子供に父母があるようにです。
幼子イエズスは神に対する人間の姿です。
手放しの信頼です。
人生は生きることなんです。
復活の栄えをいただくためにです。
「両手の譜」
右手は父ちゃん、左手は母ちゃん
−両手合わせて僕になるのや
父ちゃんの手はごつい
僕の頭つかんで動きはらへん
焼きいもの皮むく母ちゃんの手は
短い指やった
小学五年の春 山の療養所に入る朝
母ちゃんがそっと握らせてくれはった
五十銭玉はぬくう濡れとった
そして−四十年
父ちゃんも母ちゃんも死んでしもた
五十銭ものうなったけど
母ちゃんの手のぬくもりはおぼえとる
父ちゃんは右の手 母ちゃんは左の手
−両手合わせて僕生きてるねん
外山さんは、富士山のふもと御殿場市にお住まいです。長年の闘病中、故岩下壮一神父様との出会いにより洗礼を受けられ、以降深い信仰をもって生きておられます。といっても、心はいつも社会の出来事と連帯しつつ、様々な祈りに発言してこられました。私が司祭になって以来、ずっと祈りと励ましとご鞭撻を送って下さっている大切な恩人の一人です。 (藤原神父)
母の道行き 横浜 OKさん
母の顔をはっきりと覚えている。骸骨に皮が張り付いているだけの、目が鈍く動いているので生きているとようやくわかる顔。生気などというものはない。死相というのはこれなんだと、初めてだがはっきり思った。ただ死んでいくから死相というのではない。「死」に貼りついている「いのち」が見えるから「死相」というのだと、これも初めてだがはっきりと悟った。
4週間ほど前から食事が喉を通らなくなっていた。胃がんだから早晩食べられなくなるという周囲の予想を裏切って、母は最期近くまでよく食べた。最晩年の癌であったことが、おそらくは幸いだった。若い人のそれほど、母を脅かさなかったと思う。告知せず、手術をという医者の勧めを退けた。術後の苦痛・リハビリを負わせるほうが酷だと思ったから。最後まで母は知らなかったのかしら。それはわからない。
思えば、母は死への旅支度をしていたのだった。「タオルやシーツの替えは、押入れの茶箱の中にあるから」「この土地は半分売ってしまえば、あなたたちにも扱いやすくなる」。自分で出来ることがだんだんと少なくなる。金銭の管理ができなくなった。通帳、実印、財布を私が預かった。服薬の管理ができなくなった。薬の箱を預かった。一人で病院に行けなくなった。私が付き添っていった。老人介護施設に入所することに私が決めた。「どこでも、あんたが行けというところに行くから」。施設や病院に訪ねていけば必ず「早く帰りなさい。子供たちが待っているから」「うちにはもうチビはいないのよ。みんな大きくなったんだから」「それでも待っているわよ。早く帰りなさい」。引き止められたことはなかった。「また来るね」という私に、「うん、うん」と頷いて手を振る母だった。
若い頃から身勝手気まま、疲れきったときだけ帰る私に、何も聞かず、何も言わずにいた母だった。物言えば、厳しく、恨めしく、小言になるとわかっていたから、もらさずに辛抱したのだろうと、今は理解できる。姉に時にはこぼしたのかしら。姉も辛抱強い人だったから、母の心配を聞きながら、二人で案じてくれていたに違いないと、今になってやっと分かる。母の愚痴は小さいときからいやというほど聞かされてきた、と思っていたけれど、アルバムで見る母の姿は記憶していたよりずっと穏やかで優しげで、幸福そうだった。幸福そうな母の姿を、私は意外に感じた。母は幸福に恵まれなかった女性だと思っていたから。母は私たち姉妹にそういったのではなかったのかしら。「私の人生は不幸せだった」と。それとも、わたしがそう思い込んでいただけなのかしら。
姉はいつも私より一歩も二歩も前にいた。鶴岡八幡宮とはっきりわかるその場所に、母と姉と私がいる。姉は3歳くらい。年子だから私は2歳。ということは母は40歳くらい。鳩が集まってきている。姉がしゃがみこんで鳩に餌をやろうとしているそのすぐ後ろで、私は母の膝に貼りついて離れずに、姉の手元を見ている。姉のあることが羨ましかった。私も同じようにしたかった。私は臆病だった。怖気づいている私を膝で支えながら、母は笑っている。笑っている。誰が撮ったのだろう、この写真。半世紀近くも前の、白黒の粗末な写真。
私の息子・娘と遊びながら、「こんな日が来るとは思わなかったわ」と母は言った。理不尽なことを私が言ったのに、「一足す一が二にならなくても、もういい」とつぶやいた。
母の晩年。失っていく様、したがっていく様、衰えていく様、死んでいく様。母の道行き。私はそれをすぐ近くで見ていた。最後の母の顔。何もかもそぎ落として、余計な肉も脂も意思も感情も、すべて洗い清めて、いのちだけになった母の顔。いのちは、このように現れてくる。私はこの顔を忘れない。
母の道行きは私の小賢しさ、愚かさを砕いた。お母さん、ごめんね。愛し足りない娘だったね。今の私は信じられないくらい素直に、母の前に坐っている。母は生活を愛していたのだった。働いて生きていくことが誇りだった。姉と私の二人の姉妹は、母に愛されて育ったのだった。
内観からの帰り、つくづくと母を思い出す。にわかに、もくもくと心が大きくなった。母のように生きよう。母が愛したように生活を愛そう。内観の、虚を砕く力は、かくも大きかった。
様々な人々の内観経験
107(修道女)
このたび、還暦を迎える前に、節目として内観に参加しました。・・・実は、私は子供の頃から無意識のうちに「いい子でなければならない」と考えてきていたようです。ところがそうした堅苦しい生き方が、他者に対してわがまま・身勝手さ・エゴの固まりとして現れていました。皮肉なものです。無理があったのでしょうね。ところが、一週間の内観で、まわりの人から欠点だらけの私が支えられ受け入れられてきたことを見させてもらいました。それで「いい子じゃなくても愛されていい」と思うようになり、また母親の声として「いい子でなくても愛しているよ」と聞こえてきました。それは暖かい声でした。そのとき、私は自然に涙があふれてきました。
あとで考えると「涙」にはいろんな種類があるんだなあ、この度の「涙」は決して「痛改」の涙ではなく、「ありがたい感謝」「愛されていることの分かり」の涙と思いました。・・・。
108(主婦)
内観のやり方、面接のあり方が、とても印象的でした。私には、いい加減なところがありますので、自分を厳しく正していただきたかったのです。けれども内観では、教えを請うというよりも、自分自身で答えをしぼりだす形ですので、最初はなかなか難しかったです。慣れてくるに従い、厳しい父親のことで、こんなにも自分の人生に影響を与えてくださっていたのかと、改めて感謝できるようになりました。
それから、面接者の深々と下げる頭は、たぶん私に対してというより、その後ろの神に向かってであるなぁと、次に考えました。それから私も先方(面接者)の神に向かってご挨拶をしているうちに、気づいたのですが、母や父も夫にも神の手が入っていると、感じるようになりました。母も夫も神様から送られた、そして神様に向かう指導者でした。これを、頭でなく、まさに、肚で感じました。
109(独身女性)
「生かされて生きるや今日のこの命、雨土の恩、限りなき恩」という大学時代の恩師が卒業するときに生徒一人ひとりに書いてくださった色紙の言葉(家のどこかにホコリをかぶって放ってありますが)が胸にぐっと来ました。今まですっかり忘れていた言葉でしたが内観中に突然思い出しました。
また「愛は痛む、愛は傷つく」というマザーテレサの言葉が頭に浮かんできました。私の至らなさの為に涙してくださった方、傷ついた方のことを思っていましたら、その方の痛みに気づいたとき、私たちの心は癒されるのではと感じました。目の前にいる方が苦しんでいるのは自分の至らなさが原因であったと気づいたとき、本当になんともいえない気持ちになりました。今まで十字架のイエス様が架かってくださったのは私たちのためだったという意味が実感できませんでしたが、身近な人の苦しみが自分のせいだと目が開けたときに、その人が苦しむイエスであったと分かりました。
また、小さい頃から繰り返してきた生き方、感じ方のパターンが根強いこと、そして生きづらさの原因がこの辺にあったことに気づかせていただきました。
意味が実感できませんでしたが、身近な人の苦しみが自分のせいだと目が開けたときに、その人が苦しむイエスであったと分かりました。
また、小さい頃から繰り返してきた生き方、感じ方のパターンが根強いこと、そして生きづらさの原因がこの辺にあったことに気づかせていただきました。
内観のいろんな展開
学校内観
屏風の中に入って、日に8回以上の面接を行い・・・という方法だけではなく、学校などで若い人たちに数時間いっせいに瞑目し、自分に向き合う方法として内観を伝えるということは、この混乱した時代にあってとても重要なことだ。すでに、「学校内観」として、講堂などで呼吸法と内観と記録と体操を組み合わせて、二日間あるいは数時間行う、という方式で数校において行ってきた。
このほど、関東のあるミッションスクールの中学2年生(181名)に、総合学習「人とのかかわり」というテーマの一環として内観と呼吸法を実習した。講堂に集まり、鐘を鳴らしての実習誘導であった。参考までご紹介する。
第一時限は、呼吸法と内観の説明(オリエンテーション)、
第二時限は呼吸法と内観の実習。母に対する生まれてから小学校入学以前の自分を調べる。
昼食後の第三時限は同じく母に対する小学時代の自分の内観。
第四時限は、母に対する中学一年と現在の中学二年の自分。
第五時限は「振り返り」「まとめの講話」という按配である。
昼食をはさんで、10時20分から15時20分までの正味5時間の実習であった。
感想を書いてもらったが、半数以上はよい経験であったと述べている。こちらの伝えたいことを的確に受け止めていて、喜んでいる様子だった。ありがたいことだ。知的教育に偏りすぎるなかで、こういう呼吸法と内観という、人間教育の基礎的な実習は重要だと思う。学校側も好意的で、講師任せではなく、生徒に対して準備などをしていた。実習を継続して、他学年生徒たちにも経験して欲しい事柄だ。
モーゼのサンダル
110 (修道女)
説教のない七日間の黙想会でした。しかし、今も心に何か「どかっ」と宝が詰まっています。そんな黙想会から頂いた恵みと一平方メートル屏風に囲まれた空間について、書いてみようと思います。
この黙想会に参加しようと思ったある日、姉妹にそれを伝えたら「エッ、刑務所の黙想会に参加するの?」と言われ、心は動揺しました。しかし、黙想会の日が近づくにつれて、なぜか「逃げてはいけない。神のメッセージを聴かなければならない」という思いに駆られ「どうしょうか」と迷い続けていました。そんな時、ある友人が励ましてくれました。「一日中屏風の中で祈る日程に、健康が心配なら、面接の時に『今は休みたい』と、自分の気持ちをそのまま話せばいいんです。規則は外観的なこと。その人に応じた日程に変えて下さいます」と。
内観中、宿舎となっている「祈りの家」は、不思議な雰囲気に包まれます。その神秘な静けさに、修道院の姉妹たちも日ごとに祈りの中に引き込まれていく。その謎は、自分自身が参加して分かりました。
さて、最初の日の昼食後、次の面接は一時頃の予定で「一時まで休憩時間、それまでリラックスを」と思ったとたん面接のノックがしました。あわてて屏風の中に飛び込んだ時のそのびっくりしたこと。後で分かったのですが「絶え間なく祈れ(絶えず内観せよ!)」の配慮のようでした。それ以来、わずかな時間でも屏風の中に入って祈る自分に変わりました。屏風の外では、他人から受けた苦しみや批判心が湧き出、自分の名誉を求めることに向かうのに対し、屏風の中では、自分の内面「私の心に内在される主」と一つに場所となったからです。
指導者が一日八回の面接に部屋を訪問してくださる。そんな日程にも次第に慣れ、面接終了後トイレに行くのが唯一の楽しい散歩の時間となりました。ところが、ある部屋の前に、面接中の神父様のスリッパが廊下に脱いでありました。それを見て、ビックリ!!!・・・「アッ、モーゼのサンダルだ。燃える柴の前に立っているモーゼのサンダルが脱いである」と心で叫びました。「今、神父様はこの部屋の人と面接中だ。モーゼのように、主とお話をなさっているのだ。内観者との面接は主と、主との対話の時間だったのか!!!・・・」と驚き、リラックス気分から、神秘な世界へと誘われていったのです。
屏風の中の一平方メートルの空間は自分の内面の世界でした。聖書に「主の前に立ったら、顕にされないものはない」とあったと思います。そのように自分の内面がそのまま見えてくるのです。裸の姿で、生きている神と出会うのですからたまりません。「ただただ、多くの恵みを人様から頂くばかりの私。お返しをしていない私。迷惑ばかり・・・」しかも、その時に与えた相手の気持ちに気づいた時、胸の痛みでいたたまれなくなり、参加者のゴミ箱はティシュの山となりました。
「他者への批判は横において・・・あなたが頂いたものは・・・」と私を抱きしめてくださる主がそこにおられる、という自分の心の宝に気づきました。屏風の中に私ではなく主がおられる。そんな空間に変わったとき、もう屏風は見えなくなり、広い祈りの場となりました。生活に戻っても、ドカンと私の中にその主が座っておられる。そんな、ありがた〜い内観黙想でした。
二回の集中内観で生き返った
北海道・修道者
長年の働き通しで、心身ともにつかれきり、喉から歌声も出なくなっていたときに、同僚姉妹が内観を進めてくださった。初めての参加のときに、静寂な雰囲気と指導などに驚きと感動いたしました。しかし、つい慣れてしまっている外観的見方が優先してしまい、面接者から「それは横において」としばしば指摘されました。浅い内観だったのです。それで、面接指導者は、再度の、参加をお誘いくださり、ひと月後に2回目の内観に参加することになりました。
実は、内観参加前の私は、仕事上の外面的な処遇に不満を持ち、心理的にも不安定な状態におりました。しかし、「家つくりの捨てられた石が、隅の親石になった。神の不思議な業」と詩篇にあるように、神様は自分を内観という素晴らしい集いに招き導きいれ、私を生き返らせて下さったのです。
今までの黙想会との違いに戸惑いながらも、屏風の「庵の中」で自分を徹底的に見つめる戦いでしたが、いつの間にか見えなかったものが少しづつ見えるようになり始めました。これは今まで見たことのない光ですが、いつも自分の側で輝いていたのに見つけようとしなかったので見えなかっただけなのです。それによって、自分の頭が低く下がって、改悛の涙があふれ出るのでした。
母親から始まって、父や家族、また、関わりのある方々から「していただいたこと」「お返ししたこと」「迷惑かけたこと」を見つめるのですが、一回目より二回目の参加の時には、特に母親から頂いた恵みの多さに改めておどろきました。また周りのいろんな人から多く支えられてきたことか! 一つ一つ丁寧にしていただいたことを観ていますと、未信者の人々、あるいは浄土真宗であった母親の「ナムの心」と私たちの「アーメンの心」が同じであることがよくわかりました。
今までは全て外面的・自己中心的な見地から、人や出来事を判断し優劣をつけて裁いておりました。その結果、自分も惨めで周りの人達をも平和にすることが出来ませんでした。
二回の内観参加により、最初の洞察がさらに深まり、自分の醜さ罪深さが赤裸々に見せ付けられ、今まで「クリスチャンでございます」と思い込んでいた傲慢な姿は、「神抜きのファリザイ人」であったことがわかりました。
これから神を信じるものとして一人一人の中に内在していらっしゃる神と向き合い、しっかり受け止め、自分を見つめ直しながら生きるのでなければ真の証し人にはなれないでしょう。
内観で見つけた恵みの光を見失わないように努力しながら歩み続けられる人生であることを願いつつ・・・。内観の喜びを一人でも多くの人々の体験できるよう奔走されている藤原神父様や陰で支えてくださっているたくさんの方々に心より感謝いたします。
(息吹32号より)
内観黙想の味わい
横浜・修道女
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんな事にも感謝しなさい。」これは私の好きな「みことば」である。にもかかわらず、日常生活の中でそこ彼処から不満が湧き上がり、現実の人間関係の中で身勝手なイメージからの期待はずれに落ち込んだり、自分が汚されていく不満に対し無性に腹立たしくなってしまう。心の平和を失い、鋭い言葉や態度で相手を傷つけてしまう日々が続いた。
早く解放されたい、癒されたいと願いつつ、「相手の宝を探そう」「視点を変えよう」と努めてみるのだがあまり成功しない日々を過ごしていた。そんな頃、上長のすすめで内観黙想に与ろうと決心した。内観黙想体験者から時間割やすすめ方について多少の知識を得たもののある種の不安を抱えながら、一方では主への信頼に勇気づけられて会場に赴いた。
同行司祭の「よくいらっしゃいました。」とのやさしい挨拶の一声でほっと安堵しながら、いよいよ体験第一号が始まった。
すべての外界からの刺激や日常生活から遮断された屏風の中で、終日、生身の自分と正直に向かい合って内観のすすめ方・三項目に従って、各々の人間関係の身調べをゆっくりのペースで行っていった。かなりハードなスケジュールの波に一応乗っても、特別息苦しいとか身体の不調に陥ることもなかったが、はじめのうちは同行者に身調べとそこでの気づきを述べる緊張感が煩わしく感じられた。幸い内観に欠かせない呼吸法と数息観を細やかな指導のもとで毎日練習を繰り返して行くうちに、緊張感が薄れてゆったりした気分になっていった。そして現象に囚われてしまわず、もう一歩深い意識下の、自分自身の心の動きと、内在される三位一体の神様と交われる喜びを少しずつ味わうになって行きました。
いかに自分が相手から頂いたものが多く、それに対してのお返しはほとんど数に入っていなかったこと、迷惑をかけたことに至っては見苦しい自分の心の動きや思い上がり、不誠実、欺瞞、悪さ加減が次々と思い出され、いまさらながらあきれ果て、お詫びとゆるしを願う心に押し潰されることも度々体験させられた。
しかし慈しみ深い主の眼差しを受けながらの身調べでこんなに惨めな、忘恩者を見守り続け、ゆるしながら忍耐して私の成長を待ち望み真の出会いを待ち焦がれておられたお方の愛の懐に飛び込んで行く喜びを味わうことが出来るのだった。また如何に外観に振り回され、浅薄で空しい生活を長年してきたことか、自己中心的で自己認識をせず、神様を脇に追い出し高慢に満ち満ちた生活を繰り返していることにも気づかされるのだった。
内観黙想を経て、神との語らいの幸せを味わったからには日常内観を続けようとの決心を持って通常の生活に戻るのだが、月日が経つうちに再び身の回りに起きる様々な出来事や人間関係の中で生じる思い煩いに心が占領され、いつの間にか呼吸法や数息観も怠りがちでますます心が荒れてくるのだった。
内観黙想に再度与りたいとの望みが沸々と湧き上がっては、年に一度の恵みの時を待ち焦がれ、参加を申し込むのだった。同じ人間関係を観るのがテーマであってもその都度新しい気づきと、心の中に一歩下がっていのちの主との交わりが知識によらず身体全体で計り知れない愛の神秘に吸い込まれていくようで、平和で温かい光の中にとどまる喜びを味わうのだった。そして身調べをする様々な人間関係、特に母に対するものは神様との関係と重なって、身調べ・呼吸法・数息観は今現に私を生かし育んで下さっている偉大な神の愛の中に分け入る道であることに感動させられた。
今回特に頂いた恵みは、受洗を通してキリストの司祭職に与っていることであった。キリストの救いの業―受肉・受難・十字架・復活への信仰の広さと深さ、すなわち神秘に少しずつ入れていただきキリストと共に御父に奉献出来る喜びに満たされた。
今後は色々な理由付けを止め、出来る限りキリストの思いの中に留まろう。決してキリストを脇にまわして自己主張をしたり、御父、御子、聖霊の生きた交わりからはずれてしまわないように努めたい。またそれらに気づく時は、直ちに憐れみを乞うて主のお側に駆け寄り、全身全霊でその息吹を味わいたいと篤く祈り求め、この身をゆだねる謙遜の道を歩む以外に救いはないと心底思う今日である。
(息吹32号より)
リウマチが治り習字特選・秀作に
118 北海道
「息吹」を送ってくださりありがとうございました。早速3人の方に差し上げました。前回の内観で自分の間違いに気づき、アドバイスをいただきましたとおり、A神父様に和解のお電話はしておりましたが、この度、教会を訪ねミサにあずかりA神父様のところに行って参りました。とても平和なこころになりました。感謝しております。姉も「今度神父様をお食事におよびしないとね」といっております。
このたびの内観で心が癒されただけではなく、リウマチが驚くほどよくなり、日常生活が快適です。2002年5月13日にはRAPA(炎症をあらわす。−が正常)320でしたが40に、CRP(炎症をあらわす。−が正常)はひどいときは3.7でしたが2008年1月22日には0.9になっておりました。歩くのも針の山を歩いているように痛く、階段を一歩一歩両足そろえて降りていたのが、すいすいです。今までかなり人の外観に縛られていたようです。1回の内観体験で表面の浅い内観でしたのに、これほど体も癒されるとは!!
またまた驚くことがあったのです。7月から習字を習い始め、半年しか練習していないのに出品したところ特選と秀作で習字の月間誌に写真までのったのです。「あなたの息吹を受けて、わたしはあたらしくなる」と歌いますが、心底そのように歌いたくなりました。神様からのプレゼントに感謝。
内観をして一人一人の中に神様はいらっしゃることを体験させていただきました。一人でも多くの方に内観瞑想に参加していただきたいですね。とうとう、りん(呼吸法・祈りの際に使うため)を買いました。香炉は姉からもらい、祈りの雰囲気が出来てきました。神父様の講話の本を何度も読んでおります。2月韓国での内観、向うは寒いので風邪をひかぬよう気をつけてください。感謝のうちに。
(息吹33号より)
ひとりでは生きてゆけない
119 障害者施設勤務・看護士
私は家族への感謝の気持ちを伝える、そのコミュニケーション方法が見つからず躊躇しておりました。しかし、内観によって「していただいたこと」がたくさんにもかかわらず、「感謝」の気持ちが不足していたことに気づきました。コミュニケーションというよりも、自分の気持ちが見えていなかったことに気づかされ、逆に「感謝せずにはおれない」気持ちになりました。これが現在の人間関係に影響していたんだと気づきました。
また、家族の中でのこだわりが明確に出来たことが一番の収穫でした。いつも家族に不平不満を持つ自分の棚卸が出来ました。家族から「していただいたこと」が多く「愛され、生かされ」ている自分であることの気づきで心温かくなりました。一人で生きているつもりが、人の助けなしでは生きて来れず、これからも生きてゆけないことを知りました。
その次に私の生き方、信仰についての問題が、浮上してきたことにも驚きました。「信仰」については少し頭が混乱してきており、今までの考え方を見直しする必要を感じています。これは次の内観の課題にしたいと思います。
(息吹33号より)
クセを直す決心
120 母子クリニック開業
自分には問題がないと思っていましたが、代母の「とてもいいよ」とのすすめで内観に与りました。実は、内観前の私は、自分が愛されていたことに自信がなかったのですが、内観後の私は記憶がぬりかえられて「私は充分に愛されてきた」と自信を持つようになりました。他方、愛を頂く一方で全然ご恩返しが出来ていない姿も知り、これから家族と周囲の人々に無償の愛を流してゆきたいと思います。
幼いときから妹とよくけんかをし、妹から指摘されたり批判されたりしたことを恨みに思っていましたが、指導者の勧めによってリストアップしてみると、他の人間関係でも出ていた私の欠点・わるいクセであることだと確認できました。そして「私のクセ」をやめる決心が出来ました。
こうして今回は過去が新たに塗りかえられ、私の人生は愛と神からの祝福に満ち溢れていたことに気づかされました。この一週間で私は再び生まれ変わりました。感謝です。
今までも一日15分の沈黙の時間を行ってきましたが、現実に戻って、私自身もっと謙虚になることが出来るよう、これらの時間を大切にし、内観に当てたいと考えています。そして次の内観ではその「謙虚さ」を調べたいと思いました。
(息吹33号より)
内在の神
121 77歳修道女
この度は、大変お世話になり心より感謝とお礼を申し上げます。内観のめぐみを祈り求めましたが、しどろもどろの日々で外観だけで本当の内観になっていなかったことを痛悔しております。気づかせていただいた点(自分中心)を認め、生まれたばかりのベビーのようにありのままの自分にと願っております。
迷える羊のために神父様が何回となく面接訪問してくださり、頭を下げた謙遜のお姿に、キリストを見、感動し心に深く焼きつきました。感謝のみです。
内観参加の動機について話せませんでしたが、家が曹洞宗で、看護学校が浄土真宗で、禅に興味があり、内観も同じものと思い一週間も坐る事は自分に無理と思っていました。ところが昨年、ホテルで箱根内観センターのプリントをよみ、井の中の蛙で、外観だけの自分に恥ずかしくなり、カトリックの内観を試みるつもりで願いました。
内観と言えないかも知れませんが、同行者に導かれ、自分の傲慢の姿に気づかされ、生かされている身を感謝し、内在の神の慈しみを実感しました。「禅」にはない経験でした。この度は内観の入り口のところで浅いものでしたが、次回は深める事が出来たらと、祈っております。
(息吹33号より)
先祖の信仰
122 30代主婦
始めまして。私は2006年12月に北海道の教会で洗礼を受け、アヴィラの聖テレサの霊名をいただきました。代母が冊子「内観瞑想のすすめ」「心の内なる旅」「ナムの道もアーメンの道も」を送ってくださいました。
私の祖父は黄檗宗の坊主です。そこに嫁いだ祖母は学生時代までキリスト教の教えを学んでいました。実家は浄土真宗です。ですからキリスト教徒になれた喜びはありますが、私の心を育ててくれた祖父母や両親の思いも大切にしたいし、彼らが見えないものを信じているように私も同じように信じています。私と仏教は切り離せず、また、キリストの教えも私の宝です。矛盾しているでしょうか。
自分勝手に出した答えは、神様は良い心の中にいるということです。
(息吹33号より)
フランシスコの世界に通じる
123 フランシスコ会司祭
2008年1月11日から17日まで宝塚売布での内観黙想会に行って来ました。"目からうろこ"の体験でした。特に両親との関係での新しい発見となりました。まだ自分の心の深くに内在される神との出会いとまでは行きませんでしたが予感させるものを感じました。
内観はフランシスカンの生き方にも光を与えてくれるように思いました。自分の心を深められれば兄弟との関係性もおのずと豊かなものになっていくのではないかと思っています。内観はひとつの回心の歩みだと思っています。
(息吹33号より)
内観同行アシスタント体験記
キリスト・砂漠隠遁者・内なる旅
ソウル・沈教俊
2年前ソウルのベネディクト修道院で1週間の集中内観を経験した後、内観の持つ深い味に魅了されました。特にそれが藤原直達神父同行の"キリスト者のための内観瞑想"だったからでしょう。それ以後内観に関した本も読んで間接的な理解も深めようとして来ました。今回また韓国で内観が行われるという話を聞いて神父様に参加を申し込みしたら通訳とアシスタントとしての勤めの許諾を頂きました。
私は仕事の都合で夜の9時に到着したのですが、すでに参加者全員が集まってオリエンテ−ションが行われていました。みんな初心者で期待感と好奇心を抱きながら聞いていました。
・・・今回のアシスタントとしての体験は、内観参加者としての体験とは全然違う経験でした。つまり、内観参加者の時はひたすら当時(過去)の自分が相手に対してどうであったかの三つの事を精一杯思い出して同行人に話せば済む事でした。しかし、今回は目の前(現在)の内観者が内観の三項目で(過去に)どうであったかを報告するのを聴いて受け止める事でした。そして自己洞察の具合を確認しつつ、場合によっては導いてあげるとかのアドバイスをしながら、すすむのでした。
これは西欧風の心理相談の接し方に慣れていた私には、東洋的な深い土壌から生まれた内観的応対法を身に付けるのが大変でした。今後、韓国で内観の同行人(面接者、指導者)を育てるのに一番注意しなければならないのはこの点ではないかと思います。内観の微妙な所を理解しないと自分も思わず非内観的な要素を入れ込みがちでしょう。そして同行人養成の際は内観的な事と非内観的な面の差を正確に分けて教える必要があるでしょう。
ある男性は二日目の日にもう帰りたいと言いました。社会や家族に対した怒りが爆発してこれ以上内観が出来ない、現実は厳しいのでこういう風にのんびり座って時間を無駄にする暇がないと言う事でした。神父様がすんなりいいよと許諾したら、彼は仲間と相談してから引き続き参加継続を行うことになりました。結局、彼は誰よりも大きな洞察を得て喜びました。振り返り作業の時の発表で、今までは奥さんが自分を愛してくれなかったと思い込んでいましたが、内観を通してそうじゃなくてむしろ自分が彼女を愛して上げなかったという事に気づきました。顔も明るくなって終わりの日には大きい声で皆に歌を披露しました。まるで生命の賛歌みたいに。
そのほか、長年精神分析を受けた後、自分も精神分析を学び、今は人々を治療している参加者女性の場合、精神分析では得られなかった心の平和と安定感を初めて感じたとの報告もありました。みなそれぞれの素晴らしい体験の分かち合いが出来たのも今回の収穫でした。
そしで今回、もっとも良かったのは神父様の側で過ごしながら学んだ事でした。内観中には通訳したり内観中以外も日程調整などをしたり一日中ほとんど一緒にいる機会に恵まれ、いろいろ話せた事です。それを通して神父様独特のやり方を学べるのが出来たし、内観のいろんな事に関して詳しく教わったことでした。
それと山荘で、砂漠の隠遁者の話を聞きました。彼らは砂漠の中で何をやっていたのか?イエスやパウロはもちろん砂漠の教父たちは・・・。現在の砂漠の隠者たちは・・・。彼らはつまり内観をやっておられたと言うお話でした。その伝統はおもに東方教会を通して今日まで続いているという話もおもしろかったです。
特に今回のアシスタントとしての体験からは三つの宝物を得ました。まず一番目が"呼吸法"でした。吸う息より吐く息を3倍にしなさいと言うお教えはまるで人生事の原理のように心を打たれました。2番目は内観の本質でもいえる"3H論"でした。すなわちHealing(治癒)、Holistic(全体)、Holy(神聖)の事です(みんな語源は同じである)。まさに内観はHealing(治癒)を目指すが、それはあくまでHolistic(全体)な観点から接近するのです。そして治癒をしながら、させながら、された瞬間、治った後は自然に聖なる世界を味わう事になる。あるいは聖なる世界に連結される。また、
Holyがあってこそすべてが出来てくると言えるでしょう。3番目は"4調"の内観の効果あるいは方法論でした。
言うまでもなく調身、調息、調心、調生(活)がそれである。内観が深まっていくとこの四つが調和されてゆき、やがては健実な人生に成れるでしょう。
人はみんな自分なりの傷を抱いて生きてゆく。その痛みを耐えながら人に見せないようにする。実に孤独な存在かも知れません。しかし、内観を通してその傷の模様とか、意味を読み替える時、洞察を得る時、その傷は祝福の贈り物に変わるのです。
神父様は苦しみとか辛さを抱えている内観者の前に出るとき、苦しみ悩んでいるイエス・キリスト様に会ってるような気持ちを感じながら接するとおっしゃった時、私は感動しました。
内観参加者として得た物も多かったのですが、今回アシスタントとしての体験はもっと大きくて深い学びと喜びの時間でした。そして私がもっと大きく成長した感じで嬉しくてたまりません。私をアシスタントとして受け入れて教えてくださいました藤原神父さまに心から感謝申し上げます。(沈教俊)
(息吹33号より)
三回目の内観
原風景に導かれて
2008年6月、5年ぶりに3度目の内観に与らせていただきました。
私にとっての内観は、どの時もいつも大きな意味がありましたが、とりわけ今回は自分の奥深くへと信仰の道に誘われていく旅になりました。その余韻が深いところでいつまでも静かにずっと響いているような感覚を覚えます。
1度目の内観で、当時家族の中で一番大切に感じていた妹との関係を見つめ直せたこと。その体験を通じて、そのときには調べることのできなかった両親への自分を、再度内観する決意ができたこと。
2度目の内観で、母親に対してひどくこじれたこだわりを持ち続け、その上に作り上げた価値観でがんじがらめになっていた自分自身の姿を見いだせたこと。それと一緒にずっとかかえていた腰の痛みまでもが和らいだこと。
その不思議な心の旅路を歩めたおかげで、家族との関係や人間関係までもが穏やかで楽しいものとなって過ごすことができた幸せなこの5年間でした。しかし、一方で、どこかでいつか再び内観が必要な時が巡ってくるような気がしながら、再び決意して屏風の中に座るまでにずいぶんたくさんの時間が必要になってしまったなあと振り返って思う5年間でもありました。
3度目になる今回の内観では、自分のこれからの生き方を深める助けになればと願い、神父様にもそうお話ししたこともあってか、これまでと違い3項目で調べるというより、少し大きな枠組みの中で祈り、振り返る作業の時間をいただきました。内観というものへの理解もまた深まっていったように思います。
2日目の夜に見えてきたものは、ずっと心の奥にふたをしてきた幼い頃からの「私の原風景」でした。
幼い頃病弱だったこともあって、いつもどこかこの世とあの世の狭間に片足をおいて生きているような心もとなさを感じ続けていたこと、眠れぬ夜に部屋の隅の暗闇をおそれて過ごした日々、周りの子供たちが当たり前にできることが自分にはできず、あからさまな意地悪をされているわけでもないのにいつの間にか一人はじかれてしまう寂しさや劣等感、そこから生じる周りの人に対する引け目、恨みつらみがさらに大きく深い闇の世界に自分を引きずり込んでいってしまうように感じる恐怖・・・。こうした私の内面の暗闇は、蓋をして一度も目の前に出して、しかと向き合うことのできなかった光景です。
面接の最中に、座っておられた神父様がするすると屏風をしめていわれた言葉は印象的でした。
『この部屋のドアの外(廊下)がこの世です。人々が忙しく生きている場所です。教会もそこで動いている。そしてあなたは部屋の内側の片隅・屏風の中に坐っているが、そこは神様が内在しておられる至聖所です。外と至聖所の間に、私(面接者)が座っています。私のいる場所(あなたが坐っている屏風の外の場所)はあたかも深海か密林です。この深海はドアの外から見たときにはうす暗くてはっきりしない闇ですが、神様の側(屏風の中)から眺めたときには、それは違う風景になる。彼岸からいただいた光によって、理解し直すと、この闇は恵みに変容する。あなたのその原風景は、その光をいただいたとき、そのままあなたの生きる独自のカリスマとなりますなあ。』
この神父様の言葉で伝えられたイメージは、そのまま屏風の中で淡く広がる光となって私を包みました。
もう一度「原風景」に向かいました。過去の様々な体験の中でそうした原風景に脅かされそうになるたび感じてきた胃の縮む思いのする一つ一つを目の前にさ
らけ出していくのはつらい作業でした。
内観はなかなかすすまず、おそれと怯えにつきまとわれる時間が過ぎていきました。なまじ、闇の世界がそこにあるということを知っているばかりにかえってその闇に引き込まれてしまうのではないかという根強い恐怖感もぬぐうことができなかった。そんな思いにも同行していただきながら神父様に教えていただいたこと。
『呪文というのは祈りである。「兄」は膝まづいて祈る人の姿。彼が「口」で祈りを唱えている。「主よ、憐れんでください」「南無阿弥陀仏」とひたすら唱える、それらはみな、闇の世界を歩く時に支えとなる呪文・祈りだ。それがないと闇の世界に飲み込まれますわなあ』と。
はじめ、その闇を歩く自分を確かに支える呪文が私にはないように思われました。それがつらかった。聖堂で祈るように勧められ、毛布をかぶり(梅雨で冷えていたので)、ご聖体の前で呼吸法を繰り返しながらイエズス様とマリア様のお名前を呼びました。すると突然自分の深いところから湧き上がってくるようにして見えた光景が、イエズス様が十字架の道を歩まれるすさまじく悲惨で惨めな姿と、張り裂ける思いででも決して目をそらさずその御子を見守り続けたマリア様の姿でした。マリア様は一度も目をそむけられることがなかった。イエズス様はそのマリア様に支えられて十字架への道を歩まれた。そこに深く交わされていた決して一方通行ではなかったお二人の愛が、私のおそれている闇の中にいつも確かにある。あの時自分の生身でその確信に包まれたことは、大きな恵みでした。
内観を終えて2週間ほど過ぎた今、感じることですが、漠然とした無理をどこかで感じながらもドアの外での働き場をいつも探していた私にとって、この体験は自分の立つ場の軸がどこかでいつの間にか別のものへと移動していく体験になっているようです。自分の「本来性に落ちていく、連れ戻されて還帰していく」という田中神父様の言葉がこういうことをさしておられるのかなとわかるようになった気がします。
それと同時に「ナムの道もアーメンの道も」の中で田中神父様が、いっておられることが興味深く読めるようになってきました。内観、生身の自分に正直に向き合い、自分の内面に下っていく際ベースとなるのは私自身の生身の心と体であるのだ、ということ。根本仏教で説かれている「無明」というのは実は私が体験した闇のことで、「無明」そのものは実は「光」の手前に私たちの眼差しに塗ってあった「汚れ」であったという考え方。
これからが、自分の「本来性」に落ちていく生き方を日常の中で少しずつ模索していく新たな歩みとなれますようにと願っています。
藤原神父様のご同行とご指導が、ありがたかったです。感謝。
(息吹34号より 京都・IC)
父母、祖母の笑顔
静岡 教員
今回の内観で、一番の収穫は、イエス様との距離が近くなったことだと思う。
母、父、3人の弟、祖母、伯母の7人に、@して頂いたことAお返ししたことB迷惑かけたことを、余裕のある時間帯の中で思い巡らすことが出来た。そして今まであまり気に留めていなかった場面が、今回とても印象に残った。
それは母、父、祖母の笑顔だった。笑顔を思い出すということは、幸せだったということだ。3人からいただいたものでもあるし、お返しできたものでもあるし、迷惑かけたにもかかわらず赦してもらっているということでもある。3人との親しいかかわりを通して、神様が私に触れてくださったのだ。
自分はいらない存在との思いが強く、心の病気で長年苦しみ、どこにいても何をしても不安で自信がなかった。そのくせ自己主張が強く、他人を傷つけることも多かった。
しかし、愛と赦しを深く感じた今、自我を通そうと頑張る必要がなくなった。誰も見ていなくても一人ぼっちでも、安心して生きことが出来る。自然に振舞うことが出来る。生きるのが楽になった。呼吸が楽になり、心が軽く、明るくなった。
二回修道院の門をたたいたことの意味も明確になり、やめたことを今まで納得できず、自分や相手を攻めていた不自由さから抜け出せた。自分のいのちにとって、あわせて6年間の祈りの生活は必要だったのだとわかったからだ。生かしてくださったのだ。
そして今、自分固有の奉献生活の形がすっと心に落ちた。今回内観中に奉献文を書いたことはとても意味があった。イエスの生き方に惹かれ、その歩みに従いたいとの思いは以来ずっと続いている。それが修道生活であると思っていたが、自分が生き生きと生きられる道はそれとは異なることがよくわかった。私の場合は教員という天職を軸に、祈りと奉仕に道を歩むことだ。生徒をはじめ、病人や助けを必要としている人を通してイエスに出会う道である。そして、イエスをさらに深く知り、より強く結ばれたいと切に望んでいる。
今後は祈りを生活の中心に据え、出会う人々の中にイエスを見出すことができるよう、行いの一つ一つに心を込めてやって生きたいと思っている。(息吹35号)
摂食障碍というユニークさ
神奈川 OY
私は幼い頃から小児喘息で病弱でした。14歳から摂食障碍が始まり、その後、人生の様々な「病み・闇」を味わっておりました。キリスト者向けの内観については約10年前にインターネットで知り合った方から教えて頂き、内観に与って自分の人生に大きな転機となったとのことで私も是非参加したいと思っておりましたが、時が熟さず長い期間が経ってしまいました。その間にも様々な心身の苦しみを味わっておりました。今年には半年間、入院しており、「退院したら必ず内観に行くんだ」と、熱望しておりました。そして漸く参加の機会が与えられました。
入院中に行動制限、心理療法を受けていましたので、母についてはある程度考えていました。でも、今回、母は自分のいのちを削って私に与えて下さった、ということ。なのに私は「足りない、足りない」とお乳を吸って、母が枯れてもまだ欲しがっている赤子のようだと気付かされました。また、父と兄について内観したときに「私は両親・兄をどんなことがあっても見捨てない!」と強く思いました。その後、その気持ち・叫びは、父なる神・御子イエズス様と同じ気持ちなのだと気付き、まさに私に内在される神様を深く自覚しました。もちろん家族を調べてゆくことは考えていましたが、叫びとして神を自覚したことが、今回、特に印象に残りました。
私には摂食障碍があるけれども、根本的には「依存的」なユニークさを持つ一人の人間なんだ、ということがわかりました。それは良くも悪くもない、私の個性、私を苦しめることもあるけれども、幸せや神の愛を知らされるお恵みでもあると感じました。でもまだまだ苦しい事の方がいっぱいです。今後、内観することによって、苦しみから変えて行けるようにしたいです。また、今までの自分が行ってきた赦しの秘跡への心構えが変わりました。これは大きな気付きとなり、またお恵みとなりました。(息吹35号)
妻業(つまぎょう)
三重県 主婦
数年前から、夫婦や家族や自分の生き方に関して、妻業や坐禅断食や心理学的な学び、いろんな研修に参加してきて、随分と自己を知るようになりました。
しかしこの度、内観を知り合いの先生から薦められて、参加しました。厳しい雰囲気ではないかと心配して、おそるおそるの参加でした。しかし、とても暖かな雰囲気、落ち着いた雰囲気、穏やかか気持ちで、自分に向き合うことが出来ました。
なかなか記憶が出てこないグレーゾーンにこそ、賜物・大きな気付きが隠されていました。今までも自分との向き合い方は、ヒントやあやしい部分を見つけていただけでした。これらのグレーゾーンを感じていたからこそ、何か胸につっかかりがあったのだろうと思う。今回、その部分へ下りてゆくことは、決して、恐ろしいことではなく、喜びの涙で洗われる幸せなことであるとの体験でした。
また、いままでいろんな研修会に参加して学びましたが、知識でグイグイやることがなんと意味のないことか!とわかりました。なぜなら問題や解決は全部、自分のなかにあり、「愛」もすでにあったことを確認できました。外観・内観の見分け方を体験できましたし、今後も、いろんなことが整理できてゆくことと思います。決して難しい理論や技術ではなく、子供たち(テープで聴きましたように)の素直な心をお手本にしたいです。
これは直ちに、日常生活で実行できます。お料理、お掃除など家事をするとき、ついつい外観してしまっていたことを、これからは家族への祈りや愛に変えてゆこうと思います。
内観直後のいま、とても充実感を覚えています。日常現実で、私一人の時間も、生き生き実りが増えるかもしれないと、希望の気持ちで家に帰ります。
大嫌いだった父が仏様に
33歳、東京女性
わたしは、今回初めて内観をさせていただきました。始めは、自分自身に向き合うことに恐れを感じていましたが、家族との関わりについてどうしても見なければならないと思い、屏風の中に入りました。
今までは両親に対して、「ああしてくれなかった、こうしてくれなかった」ということばかり頭の中にありました。しかし「していただいたこと」、「お返ししたこと」、「迷惑を掛けたこと」の3項目について記憶をたどっているうちに、わがままで自分勝手にふるまい、ほとんど「お返し」と言えるようなことをしていないわたしに対して、両親が、衣食住をはじめさまざまなことを通して、無償の愛を注いでいてくれていたかに気づかせていただきました。人間は皆、欠点や弱さを持っていますが、その限界の中で、報いを省みずに自分自身を与えることができると、両親の姿を通して教えられました。自己中心的なわたしをあたたかく受け入れてくれていた両親や妹が仏様のように感じられました。
また、わたしは父の浮気のことをどうしても赦せず、「裏切られた」という気持ちを拭いきれないでいました。父は、今ではその女性と疎遠になりましたが、当時わたしは精神的にかなりまいってしまい、死ねるものなら死んでしまいたいとさえ思っていました。しかし今回そのことを思いめぐらしたとき、昔の苦しかった思いは消え、なぜか「いい体験をさせてもらった」と思うことができました。わたしは頭のタイプの人間なのですが、これは理屈ではなく、自分でも何とも表現しようのない不思議なことでした。そして、「あの時あんなに苦しかったけれども、わたしの中でイエス様が苦しんでいて、わたしは主のご受難にあずからせていただいていたんだ」と感じることができました。そして父がそのようになったのは、わたしが物心ついたときから父を嫌い、家の中にいても「まるで存在しないかのように」接していた自分に原因があると気づきました。わたしは小学生の頃、クラスでいじめられていたことがあり、人から存在を認められないことがどんなにつらいことか、身にしみて分かります。そのため、「人からされて嫌だったことは、決して人にしない」と決めていたのですが、気づかないうちに、わたしは父に対して同じことをしていたんだと思いました。
内観をなさった方が、「人間関係におけるさまざまな問題の原因は、実はわたしが作っていた」と話されるのを以前聞いたり、読んだりしたとき、「自己卑下しすぎているのではないか」という印象を受けていました。しかし、「お返ししたこと」、「迷惑を掛けたこと」を探しているうちに、決してオーバーなのではなく、わたしの場合も、自分が家族をはじめ人に対してもっとやさしく接していれば、問題は起こらなかったのだろうと反省させられました。
今回気づかせていただいたことは、わたし自身が発見したことではなく、わたしの自己中心的な態度が見えなくしていた、すでにあった事実を、神様が見せてくださったと感じています。日常生活の中でも3項目を振り返ることで、自分を見つめ、多くの人に自分が支えられていることに感謝し、「お返し」していきたいです。指導してくださった藤原神父様をはじめ、スタッフの方々に心から感謝しております。
大鹿村の3泊4日
東京・IC
2008年の暮れ、3泊4日の内観に預かるために、大鹿村に向かいました。
バスターミナルから車でさらに1時間ほどの雪景色とあたりを包むきりりとした空気が新鮮な道のりを、ご主人が村での生活を話されながら案内してくださいました。新聞すらも、自宅までは届けてもらえない山の中。そ、そうなんですかと少しひきながらもご主人の楽しそうな様子にちょっと惹かれながら今回の内観は始まりました。
とはいっても、内観自体は相変わらず厳しさを伴うことには変わりはありません。これまで3回の内観で大きな心の変化を体験して、ある程度、自分の心の内側を見直すことができてきた今、その後の自分の生活を少し静かに退いて見直しながら自分を整えていくことが今回の内観の目的でしたけれど。ところが、神父様から、これまでのように過去に焦点を当てての問題探しはもちろん、見直しも必要ないと最初に釘をさされ、ずいぶん勝手の違う身調べのスタートになりました。
新しい生活を始めてほんの数ヶ月。自分の生き方にずいぶん迷いながら、つまずきながら、祈りながら、ようやくたどり着いた「今」でしたが、屏風の中に座ってみると日ごろの生活では見ないですませてきた不安が自分の心をまだまだ根強く巣くっていることに改めて向き合わされます。毎回思うのですが、屏風の中というのは不思議な世界です。ふつふつとごまかしてきた自分の心が浮き彫りにされてしまう。そして、また面接のたびに神父様にそこを容赦なく指摘され・・・。今回もつらかったです。そんな自分の不安な気持ちの原因を過去の自分や心の傾きに原因を探すことを止められてしまうと、こうなったときの自分がどうなってしまうのか、社会のただ中で生きていける自信があまりにもない自分はいったいどうしたらいいのだろうか?そんなことばかりをが頭の中をめぐってしまいます。すると神父様は「先のことは考えんでもいいですな。未来は神の手の中にしかないから。荒波を見ないで深海を見ないとなあ。キリスト者の生き方は本来そうした社会のただ中にあって深みを生きる生き方やからねえ。」神父様はこともなげに一言いいおいて障子を閉めていかれてしまう。
過去をみることも未来を思うこともとめられて私はどれだけ「今」を生きることができないでいるか、ただ神の前に座ることができない者なのかをどん底の気分で思い知らされるだけでした。障子の中でこんなにも心がざわついたままで過ごしたことはなかったように思います。現実逃避からかひたすら眠りこけて。
次の面接で「ははぁ、見えてきましたなあ。まあ、年の瀬やし好きなだけ冬眠したらよろしいですがな。」と、ニヤリと笑って言ってくださいましたが、何か霧が晴れるような体験が多かったこれまでの内観と違い、心細さと消えない不安を抱えたまま最後の日を迎えたことに、自分の信仰を神さまから問われ、突き放されたような気持ちにすらなって、身の置き所のない気分でした。
そんなすっきり答えの見えない中で終えた今回の内観こそが答えのようなものだったのかなあと思えるようになったのが、草々庵での皆さんとの分かち合いの中ででした。これまでの内観は修道院での聖堂のもと、神さまの気配に満ちた空間でのものでしたが、この草々庵での内観は静かな山奥の民家でのものです。いつもと違う空気の中で逆に人を通して食事ひとつ、お風呂の準備ひとつとっても、温かさや心遣いにより強く触れる体験となったことを、皆さんとの分かち合いの中で改めて実感したせいかもしれません。人とのふれあいはどこかあいまいなものを残していくようなものとの気がしますが、私自身はいつもそういったものが苦手でもっとはっきりした答えを神さまから直接いただくことを期待して生きてきたように思いますが、自分の不安も心細さも解決できないあいまいさの中に身をおきながら、人とのふれあいを通していただくものを受けとること。社会の中で生きていくということは、そういうことなのかなあと、感想を書いている今になって改めて思ったりしています。
2ヶ月近くがたつ今も、休む前に座って行う呼吸法では、相変わらずすぐに眠りこけています。毎日も必死で綱渡りのような生活ですが、自分の陥りやすい失敗と隣りあわせで楽しいと熱中できるひと時もいただいていることと、これからも時々静かに退く時間を意識して持つこと、そうした中で新たに自分が向かう先が模索できたらいいなと願っています。
草々庵はいいところでした。ありがとうございました。
み言葉にぶつかる
草々庵 小 倉 和 恵
(クリスマスをはさんで、長野・大鹿村で農業を始めた小倉さんご夫婦の草々庵で、集中内観をしました。その心境を書いていただきました。)
いつも読みすごしているみ言葉がドンと身体にぶつかってくる、そんな経験を何度かした。今回もそう。今年の第二主日(1月18日)第二朗読の「使徒パウロのコリントの教会への手紙」の「自分の体で神の栄光を表しなさい」(コリント6:20)。そして、ミサの最後、拝領祈願「主キリストから力を受けたわたしたちの生活が、神に従う喜びを表すものとなりますように」。
ずっと感じ続けてきたこと。百姓をすることがいのちを養うことであるという実感。祈りが生活にあるという感覚。土の匂いに顔を近づけ、風の音に顔を上げる。沢の流れに耳をそばだて、ミツバやセリの収穫を喜ぶ。それが祈りになると感じること。それがここ中峰の生活。
15年もご聖体をいただいていれば、髪の毛の先、足の爪の先までイエスが浸透している。私の身体を構成しているのはイエスだ。パウロが言っていることは間違いない。「もはや生きているのは私ではなく、イエスだ」。
松川教会主任司祭の伊藤神父(フランシコ会)は言う。「私たちは海にいる魚のようなもの。広大な海は神様のふところ。私たちはその中で自由に泳いでいる。それが当たり前と思っているが、実は神様の大きな、大きな愛の中にいる。」「み国というのは死んだ後に行くところではなくて、実は私たちが生きているこのとき、この場所、この関係の中にある。」
この説教を聞いてから、生活空間に目をこらすようになった。神様を感じたい。
「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を表しなさい。」
こうして黙想してきたことを総合すればこういうことか。私のいのちはイエスで、私が生きているこの場がみ国ということになる。
横浜に住んでいる間は、教会に行くのは私だけで、家にいる時の私はキリスト者でないふりすらできた。ところが大鹿村に住み、松川教会まで夫とともに行き、草々庵で集中内観をした。夫は食事の支度やら、薪の支度やらなんでも惜しみなく働いてくれる。これはもう、生活の只中で神様を知らないふりなどできない。夫も否も応なく神様のために働かざるを得ない、という状況がすでに現出してしまっている。夫はそのように思っていないだろうけれど。
百姓をすることも、生活をしていくことも、祈ることも、内観をすることも、全てが同じところにある。ああ、何たる不思議なみ業!
そうか、だから草々庵での集中内観のとき、特別なことをしているという感じがしなかったのか。普段の生活と変わりなかった。私はもっと大事だと思っていたのに。
こうして働くことが、神の栄光を表すこと。ここにみ国がある。有頂天になるのはやめようと、自分に禁止していたのだが、この発見はうれしかった。そうか、み国はある。この手で、この体で、こつこつと働く。小さな手、たいして力のない体、それなのに神様はそのみ国の完成という栄光に参与させてくださる。
平坦に見える暮らしに深さを見つけよう。繰り返しの労働にみ業の神秘を思おう。何一つ偶然に置かれたものはない。そう気づいた瞬間に神の場が出現するのかもしれない。
大事な大事な気づきをいただいたクリスマス内観でありました。
カウンセラーは内観するがいい
岡山 カウンセラー
私は心理カウンセラーとして様々の人々の相談や援助の仕事、講演などを精力的に行ってまいりました。藤原神父様とも、昔から知り合いでしたので、昨秋、ミニ内観(3泊4日)をお願いして、私の周りの人達12名に内観面接をしていただきました。好評でしたし、私自身も自分の魂のうちに向き合わなければと感じていましたので、この度、スタッフと一緒に、2月下旬、一週間の集中内観を体験した次第です。
本当に苦しい一週間でした。神父様は、私がカウンセリング研究所の所長だから特別に「御慈悲をかけて、厳しくした」、とおっしゃっていましたが、本当に苦しいものでした。でも内観者の状況に従って対応してくださると聞いて安心していますが。 二日目、母に対する身調べ中に、「強欲」「むさぼり」「暴れている野獣」「夜叉」である自分の姿を見ました。それはうすうす感じていたことではありましたが、想像以上の自分の姿、これほどまでに強欲だったのかと知り、とうとう息も出来なくなり、禁じられていた屏風から飛び出てしまいました。外の空気を吸い込み再び屏風の中に戻ると、今度は、胃が痛くなりました。
(裏を返せば)そういう私を受けとめてくださっていた母の無償の愛(アガペの愛)を感じて、涙するしかありませんでした。そしてあふれ出てくる祈りは「神様、助けて〜!」でした。この度の経験は、クリスチャンを50年以上やってきて、いろんなワークショップや黙想会やグループに参加してきていましたが、それらでは経験することのなかったもので、偽善者であり、原罪の重さを身に帯びていることをはじめて自分のものとして感じた瞬間でした。
カウンセリング現場では、ほどよいぬるま湯で、手を打ってしまっています。誰にも見せたくない弱点や影を、相手の痛みの伴った赦しに目覚めさせ、導くほうが、(崩れてしまっている今日の)社会では必要ではないだろうかと反省した次第です。ただし、クライエントを追い込まないで、(自分も罪人であるという)寛容な愛を持って、接したいと思いました。
また、私の現場には「パニック障害」「拒食症」「うつ的な人」「不安症」などで、比較的軽い人達が出入りしています。ミニ内観よりも、思い切って6日間の集中内観の参加をすすめたほうがいいと思いました。特に、まずはカウンセラーをしている仲間たちにも進めたい体験でした。
苦しい体験でしたが、さらに次ぎの集中内観の参加が出来ればと願っています。
内観に携わる教会関係者たちの集い 2009・IN・唐崎
★2009年4月、復活祭直後、唐崎ノートルダム「祈りの家」において、カトリックの内観関係者たちの集いを開きました。北海道から鹿児島まで、遠路もいとわず、琵琶湖・湖畔の修道院に2泊3日の集いに参集。ある参加者の表現では(カトリックにおける)「歴史的集会」でありました。参加者は司祭・修道者・信徒の14名で、大和内観研修所の橋本氏も参加してくださり、実り多いものでした。今後も年に一度は集まりを持とうと望んでおります。カトリックの内観を立ち上げて十数年になりますが、個人的な使徒職にとどまらず、目立たずに静かに、展開し広がりを見せております。神(聖霊)の運びであると感じさせられます。
以下は、感想を書いてくださった小倉さんの一部を引用させていただきます。
至聖所へ
134 草々庵 小倉和恵
・・・4月14〜16日、唐崎ノートルダム修道院で行われた内観奉仕者研修会では皆様に大変お世話になりました。二泊三日の各セッションはどれをとっても興味深いものでありました。今でもその黙想が続いていて農作業の手が止まることもしばしばです。お一人お一人に直接お目にかかりお礼を申し上げたいところでありますが、この紙面を借りまして感謝をお伝えしようと思い立った次第です。
シスターKの、「内観と日本人の精神性が深く結びついている」という内容の発題は、私にとっては胸に沁みるものでありました。特にお母様の思い出のお話で、長時間「南無阿弥陀仏」と称名を繰り返すお母様の姿をご覧になって「感謝以上の感謝のこころ」をお感じになり、「ほっとした」とおっしゃったのが私の心にすっと入って参りました。私たちには先祖から受け継いだ合掌心、南無の遺伝子のようなものが刻まれている、と深く感じ入ったのであります。己の内へ内へと入っていく内観という方法の末にたどり着く「感謝以上の感謝」。印象深い大切なフレーズをいただきました。
またシスターYが「霊的同伴者として内観者に接して感じる内観の独自性」という内容のお話から、シスターが内観者に同行しながらご自身の内観を怠ることなくしておられることにシスターのお人柄と発心を感ずるとともに、内観を通して神の愛、親の愛を実感し、己の忠実さがこの世の規範に対してではなくて、己の内にある促し、導きにどっかりと自分を預けていくでことであると確信していくプロセスは、ますます自由になっていく道程であろうと思ったことでありました。この世でもなく、人でもなく、また自分自身でもなく、己の中にある促しに常に注意を向けていること。この肝要さをシスターから教えていただいたように感じております。
参加者の発題の合間に、それぞれ発言される方々の内容にもグイッと肩をつかまれる思いでありました。ある方が「聖職者(司祭やシスター)は勉強も修行もされていて、出来上がった方というイメージがあり、そういう方が内観されるのは難しいことではないか」と問えば、ある司祭は「我、罪人なれば・・・とはイエスが言ってくださっていることで、私は自分が罪深いと思えるほど砕かれておりません。砕かれているのはイエスであって、それを思えば『主イエス、憐れみたまえ』と言わざるを得ない」。又、他の司祭は「内観が目指すところ、そして私たちが欲しているのは、神について説明したり解釈したりすることではなくて、神を体験すること、イエスと出会うということだ」と、そのぬきさしならなさを告白してくださいました。私たちキリスト者は神について、あるいはイエスについての説明はずっと聞いてきた。しかし、今自分は・・・とふり返れば、欲しいのは説明ではない、解釈ではない、生き生きとした神の体験。神への渇きが告白されているのを聞くことはいつも厳粛な経験であります。
北海道から来てくださったシスターO。この地方の霊的渇きを語ってくださる。外国人司祭の熱心な働きにイエスを見たとおっしゃる。イエスに従って、福音に従って生きようと思ったら、常識や世間体などかまっておられない。従って周りからは厄介で面倒な人と思われがち。しかしその姿は、内観してみれば、本当にイエスの姿だった。そのことに気づき関係が改善されたとき、持病のリュウマチが楽になっていた。
横浜から来て下ったシスターNは同行者としての霊的恵みを話してくださった。面接アシスタントとして働く恵み。カテキスタを長くやってきた経験からどうしても説教してしまう自分に、内観者はその驕りたかぶりを教えてくれた。回を重ねるたびに変わっていく自分の姿。一度目より二度目、二度目より三度目。自由になっていく自分。修道会も自分が内観同行アシスタントをすることを喜んで送り出してくれる。自分のために祈ってくれている。この喜び。
一日目のスケジュールが終わるとかなり打ち解けて、自由な雰囲気となりま
した。
東京から来られたIさん。直感的なタイプの方で、経験された「いのちの不思議」と「聴くことの大切さ」を繰り返し話してくださいました。
参加者の中ではアシスタントとしての経験は一番豊富なTさん。集中内観一週間中の外的ケアについて、かなり具体的な示唆をいただきました。面接同行者、アシスタントの内的な沈黙。沈思の深さが内観者への心遣いとして現れる。ああ、私はなんて騒がしく動き回っていたことだろう。
岡山から参加してくださった長老のドクターKさん。現代医学が外観的であること、本来、医は仁術であって心と体の両方を癒すものであるはずなのに、そうなっていない現在。老人保健施設で働いていると、老人の、特に男性高齢者の孤独が突き刺さるように感じられる。内観三項目は無理であっても、一人一人が語りつむぐ自分史を丁寧に聞いて差し上げるような奉仕を、岡山から参加しているカウンセラーFさんと共同して模索していこうという方向が見えてきました。集うということで生じ動き出すご縁を、このときも感じました。
内観の発祥の地、奈良県大和郡山で修行されている青年Hさん。一番若い彼の口から「内観がめざすのは『感謝報恩の心』」と聞いて、自分が彼の年齢の時には好き勝手に生きていたことを思い、「感謝報恩」といういささか黴臭く感じられるこの言葉が現代においても生きていて、一人の青年の人生を動かしていることを、感慨深く感じました。
私自身は自分の拙い経験と思索とをお話しすることしか出来ませんでしたが、多くの方から意見や感想をいただいて、感ずることも多く、今も黙想が続いております。
中でも特に印象に残り、且つ黙想の材料となったのは「結界(けっかい)」のお話でありました。「結界」とは「境」のことであります。「浄と不浄」、「聖と俗」、「正気と狂気」など、相反するものの分かれ目。鳥居や門、注連縄、境界線、聖堂、祭壇が一段高くなっているのも、俗世界から区別する意味でしょう。掟や戒律なども結界を形作る護符の役割をもつものでありましょう。ほとんどが人為的に作られたものですが、この世ではそうは見られない。人為を超えた超人間的、超社会的な畏怖や禁忌を伴っていて、その侵犯には厳しい罰が課される、そういう性質のものであります。藤原神父は「内観においては、会場という結界、個室という結界、屏風という結界、3項目という結界、更に個人の心の深みという結界がある。」とおっしゃいました。その封印された結界に、祈りながら厳かに侵入していくのが内観であります。特に面接者は、内観者という尊い修行者がまします法座に、平身低頭しながら入っていく。内観者も屏風の中で、これまで明らかにされなかった自身の神秘の中に、祈りながら入っていくのでしょう。
これらを黙想しながら私は思い出しました。「キリストは幕屋の垂れ幕を取り除きに来た。」「内観者は自らの魂の暗闇に下って行きます。それは垂れ幕というさまざまな意識的なあるいは無意識的な防衛機制により秘密にされていた『至聖所』に近づいていく営みです。それは旧約時代には祭司の役割でした。司祭である同行者も内観者とともにそこに下って行きます。・・・三項目は自我で捕らわれている『無明の闇』を照らす光です。・・・同行者・司祭は内観者が自らの至聖所に下っていく彼の祭司的営みを援助します。」(藤原神父著『東西のはざまで−カトリック内観の試み−』第二部V「魂の深層での祭司」より) 「キリストは、・・・この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、・・・ご自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。」(ヘブライ9:11〜12)「それで兄弟たち、わたしたちはイエスの血によって聖所に入れると確信しています。イエスは垂れ幕、つまりご自分の肉を通って、新しい生きた道を私たちのために開いてくださったのです。」(ヘブライ10:20)
イエスが十字架上で亡くなられた時、「神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた」とはヨハネを除く福音書に共通して書かれていることです。垂れ幕とは結界を示す注連縄であります。私たちはまことの命、まことの自由、まことの神がまします聖所をめざして旅しておりますが、その旅をさえぎる垂れ幕をイエスはご自身をささげて取り除いてくださいました。にもかかわらず、目に大きな梁をもった私たちには、その梁自体が聖所への障害物となっています。その結界をすぎるには必要とされる手続きがあり、精進潔斎し、試みに耐えねばなりません。そうしてはじめて「霊とまことによる真実の礼拝」(ヨハネ4:24)ができるのです。内観者と内観同行者はこの歩みを共にします。
内観が深まるにつれ、平素当たり前とおもっていたことが当たり前では片付けられないことであった、という経験をします。逆に、特別だと思っていたことが、実はそうではなくて自分の生活の場に当然あるべくしてあったことだった、という経験もいたします。当たり前であるか、そうでないか。特別かそうでないか。それを峻別するのは人間の浅薄な脳味噌です。全てがいのちの場に同じように備えられているのに、人は己のものさしで「当たり前」と「特別」を区別してしまいます。それは自我のなせる業です。
自我まみれの、欲まみれの凡人にとって、やはりある程度の舞台装置(垂れ幕、結界)は必要なのでしょう。準備せずに垂れ幕を破ってしまっては、ただ暗黒しか見えません。光をみるためには目を光に慣らす必要があります。精進潔斎し、試みに耐えねばならない理由がここにあります。内観三項目はその訓練です。聖所への道行きは胸をたたきながらの修練でありましょう。
(息吹・2009年・夏号より)
はじめての内観学会に参加して
135 岡山・藤 惠子
第32回日本内観学会奈良大会に初めて参加いたしました。6月19日から2泊3日の公開講座はじめ内容ぎっしりのプログラムを終えて、期待以上の沢山の学びを頂きました。仲間3名で参加しましたが、終わった瞬間、頭も止まった状態でした。プログラムは私達にとって満杯でまだ消化不良ですが、3名とも感謝感謝の日々でした。久しぶりの魂の小旅行で心身ともぐったりしています。普通の疲れではなく、じっと留まっていたい気持ちです。
今回の学会で、(面接)同行者の大変さを、身にしみて分かりました。 そして、今回のテーマである「内観をどう広めていくのか?」をめぐり、基本を大切に動かぬ部分と今の時代の柔軟性・遊び心の大切さ、など前向きな意見も飛び交いました。
深層的な部分は、どの時代も揺るぎがないように思われますが、その伝え方・伝える方々の資質の部分が問われているように感じました。
大会では、心理学の専門家・医者の方々も多く、圧倒されました。専門的に病理者に対しての取り組みの深さにも頭が下がりました。初心者の私達に対しての接し方も優しく思いやりのある謙虚な方々でした。本当に優し過ぎるくらいに居り心地がよかったのです。内観者とは、実践者とはこうあるべき姿を見せて頂きました。私もいつかそうなりたいと強く願います。お手本が沢山でしたから、有難かったです。
私の周りには、私のように弱い人達が一杯います。様々な囚われから解放されたい、もっと身軽になりたい、ものの見方がすべて感謝できれば、などなどですが、誰かに変えてもらいたいと願う人も多いです。
NPOとして10月には出発する「マザーリーフ」の理事達は、内観を怖がりますが、一度は体験してほしいと願っています。グループの資質を高めるためにも。
表層的な部分しかまだ見えていない私ですが、実践するしかないと感じています。
親睦会では、岡山ではけっして話す機会のない沢山の諸先生方とお話しできました。3年後は岡山で内観学会があるのでお手伝いして下さいと言って下さり、3年後までの準備期間があることが嬉しく思いました。それまでに、私達3名が どれほど実践しているかです。
夜の部は、藤原神父様とご一緒だった丸山展生様のお蔭で沢山の方々を紹介してもらい、実り多い親睦会でした。
私は6年前から、軽いパニック障碍、摂食障碍、人間関係のトラブルを持つ人達のカウンセリングをしながら、当事者と一緒に病院にも通いました。ともすれば、依存的になりそうな方々にたいして、近道があることを知ったのです。それはミニ内観や集中内観をお勧めすることです。私自身が集中内観を受けて衝撃的な体験をしました。そして内観後、解放感や感謝の気持ちが豊かになりました。活かされていることの有難さを感じ続けていることです。
誰もが幸福になりたいのに、悩み苦しんでいる。どんな些細な事でも感謝の心さえあれば幸福感を味わえる。幸福の近道は内観の中にあると実感しました。まだまだ表層面しかわからない私ですが…。
一緒に内観学会に参加させていただいた二人は放送大学岡山センター「心理学クラブ」のメンバーでした。放送大学から予算を頂き、心理学クラブの学生・同窓会・地域の方々に呼びかけ、内観を広く知らせたくて、藤原神父様にご無理を言って「内観の講義」を2日間して頂くことになりました。9月5日・6日です。 また、12月18日〜21日には第三回目のミニ内観を、岡山・小鳥の森・三徳園で予定しています。参加者はカウンセラー・相談員・保育士・看護師・教師など、人間関係にかかわっている方々です。
さらに内観を必要とされる方々にどのようなお手伝いが出来るかという課題も浮上してきました。まず、自分自身が内観を実践するのは言うまでもありません。次の内観学会が岡山で行われるまでの3年間、自分の実践がどう展開しているかも、楽しみです。きちんと記録もとっておきたいです。
私は沢山のグループとかかわりを持っています。様々のグループにおいて、マザーリーフとして活動している沢山のリーダーがおられます。そのリーダー達のお一人お一人が内観と出会ってくださることを願っています。幸い私の周りには豊かな人材が多くて感謝しておりますが、育ち合い・魂の救い・成熟に向かう団体でありたいと強く願っております。
先ほども申しましたように、まず私自身の身調べを徹底的にすることからはじまりますが・・・。多忙の自分であるからこそ、静寂と孤独の空間と贅沢な時間が必要です。
昨年の11月に内観に出会い、指導者にも恵まれ、この先の人生、5年先10年先の変容し続ける自分を想像すると、内観の人生を大切に生ききりたいと祈るしかありません。皆様の御指導よろしくお願いいたします。
(2009年・息吹・夏号より)
初めての集中内観
(放送大学での体験報告)
141 S・Rさん
私は09年2月に、初めて1週間の集内観に参加させていただきました。1週間は暗い長い日々だろうなー。でも1週間後には変わっているだろうな・・・と期待いっぱいに、そして行けば何とかなるだろう、と他力本願的に思い込んで出かけました。
最初は、ただただ思い出すことに集中して、3日間は、自分がされた事とか、してもらった事に感傷的に浸って、涙ぐんでいました。
出来事の表面的な事だけを思い出していたように思います。それでも包み隠さず自分を出していけば神父様がなんとかしてくださると思い込んでいました。
そんな私を神父様は「自分はどうであったか?」と何度も何度も内観へと導いてくれましたが、外観ばっかりで内観に至りませんでした。その間、神父様は黙って私に同行してくださいました。そして、とうとう3日目に神父様は、厳しくはっきりと「無駄だ」と厳しく内観の三項目に従って、もう一度同じ事を調べるようにと言われました。
私は同じ事を三項目で繰り返しました。
一つ一つ、していただいた事、 お返しした事、 迷惑かけた事、それだけに集中してやってみるうち、だんだんと軽く、素直に楽な気持ちになれて、ホッとしている自分が居ました。また、三項目で具体的に一つ一つみていくと事柄が整理できてきました。
同時に、矛盾も出てきました。「あれ!おかしいぞ」と、思って調べていくと自分の思い違いや、いつのまにかかわいそうなヒロインに脚本していた自分に気付かされる事もありました。過去を振り返って見直す作業は、本当に必要だなーと思いました。
それでは私の体験を話させていただきます。小学校高学年の頃の母に対しての私を調べていたときのこと。
(していただいた事)修学旅行に行かせてくれた。当時私は修学旅行に行けるのが嬉しくて、ただただ喜んでいたのを思い出しました。でも、そんなお金あったのだろうか?旅行となると、相当なお金がいるのでは?どうしたんだろう?・・・でも母は困った様子はちっとも見せなかった。私に他の子と同じように普通にいかせてくれた。母のあたたかさに感謝、感謝でいっぱいになりました。
内観後、4ヶ月ほど経って奈良のほうで30分ほどの内観を受ける機会があり、小学校高学年の頃の、母に対して調べてください。ということでした。
その際、(していただいた事が2割)、(お返しした事が2割)、(迷惑かけたことが6割)で調べるようにと言う事でした。
私は、また修学旅行の事が頭に浮び、スカートが気になっている自分が居て、それを調べました。修学旅行の写真を見ますと、私の穿いているスカートが異様に短いのです。隣に写っている子にスカートを借りて、旅行に参加していた事を思い出していました。
でも本当に「私が」借りたのかな?・・・どうしても・・・記憶にないのです。当時、箱折スカートは、高いし、子どもにすぐに貸してくれるものではなかったと思う。
じゃ誰が?母かなー。母はどう言って借りたのかな?そこで、母側にたって具体的に想像してみた。「娘の修学旅行に穿くスカートが無いので、貸してください」と頼んだんだろうか?そう思ったら、母の親心に触れて涙が出た。きっと頭ぺこぺこ下げてくれたのだろうなー。若いあの頃の母はどんな気持ちだったんだろう。恥ずかしかっただろうなー。母の気持ちになると、涙がおちた。
私の知らないところで母はきっと何度も何度も私のために頭を下げ、お願いしていたのだろうなー。想えば想うほど私の知らないところでの母が想像できた。
私はとても聞き分けのいい子で迷惑はかけてないと思っていましたが、いっぱい、いっぱい、数知れない迷惑をかけていることを感じた。
していただいた事はそのまま迷惑をかけたことに繋がるんだなと思いました。
でも今思っている以上に昔は、していただいた事は大変なことで、きっと想像を超えた苦労があったと思います。
母に感謝して終わりにしたいと思います。
再び内観に出会う
Naikan for Christian
142 IK
私は26歳の時に英国駐在から帰国し、逆カルチャーショックの為、ひどいノイローゼに陥りました。かろうじて仕事はしておりましたが、日本人でありながら日本の社会に適応出来なくなり、電車や町の雑踏が恐くなり発作で度々倒れました。クリニックをはじめいくつかの大学病院まで神経科(当時は診療内科などありませんでした)を転々としましたが、一向に改善せず、そんな折に友人の勧めで栃木の瞑想の森にて集中内観を体験し、救われ、ノイローゼから解放されました。
この時は、母への内観が助けとなりました。幼少の折からお世話になった伯父や伯母、近所のおばさん達との関わりが走馬灯のように甦った不思議な癒しの体験でした。水墨画のような雪の帰り道は今でも忘れられません。
内観の翌日は抜けるような晴天、既に嫁いでいた姉(故人)が弟である私の回復の様子を見にわざわざ千葉からかけつけてくれて、たいそう慶んでいただきました。
その後、外資系の企業に転職し30歳で一度目の結婚、6年後離婚。絶望の時に、縁あって心理の世界に出会い救われ、二度目の結婚、自営業と心理カウンセリング業を営み幸福な生活を送っていました。しかし事業の不振を発端に、父との衝突が始まり、妻への不満も高じてアルコールにつかまり、当然の帰結として離婚、仕事も財産も失い、奈落の底に落ちました。失意のどん底にある中、回復を求めてニュージーランドまでおもむき、12ステップの仲間たちと出会い、帰国後も日本の12ステップ・グループとつながりました。回復の道を歩み始めた頃、通っていたプロテスタント教会の友人から神父様の内観の紹介され、導かれるままに昨年の11月の唐崎での内観を受けました。
飲酒と喫煙への渇望がやって来る度に「イエズス様、私を憐れんで下さい」と神父様からいただいたご指導の通り、救いを求めて祈り、己の酷さに向き合い、ひたすら父と前妻へ懺悔をしました。
その後、ソブラエティー(飲まない生き方)を深めるために12月の小金井、今年3月の売布、7月の神戸ヨハネと連続して集中内観をさせていただきました。アルコールに一度でもつかまってしまった私はソブラエティー(飲まない生き方)を通して謙虚さの中で霊的に成長し、平安の中に身を委ねる必要が日々あります。
内観の度に「どうしようもない自分」が出てきて心のざわめき苦しみと絶望の中で、神に幾度となく「主イエズス、憐れみ給へ」と叫び祈りました。
私は自己中心的で、傲慢で、プライドが高く、そんな生き方を長年やって来たのだとようやく認めました。自己中心性(我執)が己も他者をも見えなくさせていました。そのような酷い私でも両親、姉にはどれほど愛されていたか、別れた妻もなんとか私を助けようとしてくれていた、しかし、その事実には全く気付いていなかった・・・。
これほどまでに愛されているのに、愛がないと、ずっと嘆いていた自分。愛がないと考えている自分を愛してくれている両親、姉、妻達・・・。そしてうまくいかない理由を彼らのせいにしていた自分・・・なんと言うことか・・・。
息子への内観では、幼い息子が生まれながらに突発性無呼吸症候群(突然呼吸を止めてしまう)であり集中治療室に長らく入院(その後、再発なし)、彼は命をかけて私の息子として生まれて来てくれたことがありがたくて、こんなにも幼い息子が、無条件の愛と慈しみを愚かな父親である私にくれていたことへ感服しました。
12ステップの仲間の体験からも良く耳にしますが、私達は愛してくれている身近な人々を傷つけるというどうしようもない罪を犯してしまうようです。
私に出来ることは、謙虚さの中に身を置き、我欲から来る計画を手放し、神の計らいに日々己を委ねて行く、傷つけた人々への埋め合わせの実行です。
今では、当初の絶望は、徐々に感謝、セレニティー(平安)へと変容して来ているようで、そのプロセスは深まっています。12ステップの3では「意志と生き方を神の配慮に委ねた」とあります。今後もその道を歩み続けて参ります。
日々、神により創りかえられていることを実感しております。ここまで、ご指導いただいた神父様、シスターの方々、ここに導いてくれた友人に感謝申し上げます。
「依存−自立」考
小倉和恵
「内観の心」の今回は、小倉さんの記事を紹介します。彼女は大鹿村・草々庵で、農業と思索と瞑想の日々を行っておられますが、その一端を紹介させていただきます。
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かつてカウンセリング心理学を学んでいた頃のことである。「カウンセラーはクライエントと適切な距離を保たねばならない」というルールを学んだ。それは自明のことであった。カウンセラーがクライエントを依存させることは、クライエントが自分自身の人生を選択し生きていくことを妨げ、回復を遅らせる要素として教えられた。他方、「依存」と「自立」が対立的にとらえられる理論は反省されて、「依存」と「自立」がプロセスとして考えられる時期に入っていき、十分な「依存」を通して「自立」が図られるという見解が、概ね了解されていく時でもあった。このような理論の変化は発展的なこととして喜ばしく受け止められたし、この時点でも、上記のルールは依然として私の中に存在していた。
しかし、実際に人と関わるようになると、相手の意向や要求に「否」といえない、という事態が生じてきた。相手からかかってくる電話に何時間も応じたり、一緒に食事をしたりという関わりが常態化する。何度も電話を切ろうと思い、制限を加えようと決心した。しかし、それを実践しようとする度に、自分の中にそれをさせない強い何かがあるのを意識させられた。「強い何か」に幾度も逆らおうとし、実際逆らっても見たが、その「何か」を自分の中から消すことはできなかった。
このことを私はカウンセラーとしての己の弱さだと思い、適性の問題と認識していた。適性について軌道修正を試みた期間は十年に及ぶと思う。
セラピスト、カウンセラーなどと呼ばれる道を考えていた時期のことである。
次第に、ジャン・バニエやヘンリー・ナーウェンの生き方が私の心を捉えるようになった。援助職やセラピストのように一定の距離を保ちつつ援助するというやり方とは違って、同じ土俵で共に生きるという共同性を徹底化する道であった。他人と「どのように違うか」ではなく「どのように同じか」を追求する生き方だった。「アイデンティティの統合」を命題とするカウンセリング理論の「自立」思想の対極として、ジャン・バニエの「共同性」があるように思った。相手に「否」を言えない私の中の「何か」についての解答があるように感じられた。誤解を恐れずに云えば「徹底した依存関係を生き抜く」ことの中に、「アイデンティティの統合」を凌駕する人間の真の姿があるという証のように思えた。
「軌道修正を試みる」ことから頭ひとつ抜け出て、新たな道が見えたように感じた時期である。
夢中でジャン・バニエの『共同体−ゆるしと祈りの場』を読んだ。しかし、感銘を受ける箇所もあるのだが、読めば読むほど、全面的に同意はできない、しっくりしない、肝心なところが不明瞭だ、という感じがしてならなかった。
何故納得できないのだろう、何が違うのだろうと随分長く鬱々としていたように思う。今は次のように感じている。
それは、自分の中に古くからある「個別―共同」「部分―全体」「特殊―普遍」「自−他」などの対立項の解決を、『共同体―ゆるしと祈りの場』から引き出すことが出来なかったからだった。カウンセリング理論は、出自が欧米の理論であるから、「個人性」や「個別性」が尊重される。翻って、ジャン・バニエの実践は「共同性」「普遍性」に徹底して重心がかかっており、それが彼の理論の魅力であり、実践の力である。
いつの間にか私の頭には「依存(共同性・全体性)―自立(個別性・部分性)」という公式が出来上がっていた。その中で鋭く問題になっていたのは、対立項の「どちらか」ではなくて、「どちらも」生きる道はないのか、という問いだった。あるいは双方の曇りのない一致はないのか、という問いであった。
私にとって「依存」とは、関係性そのもの、人が人である所以であり、「自立」とは、「…にもかかわらず己であること」の自覚。関係の中で生きることと、にもかかわらず己であることが対立するはずがないという確信が、いつごろからか育っていた。
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「依存―自立」という軸を、今一度神様との関係に翻訳しなおして考えなくてはいけないのではないか。心理学で言われているままにそれを表面的に扱い、内観道に、面接に取り入れてしまっては、見失ってしまうものが出てくるのではないか、という危機感が私の中にある。
内観の目的について『内観の霊性を求めて―心の深海の景色』では「罪悪深重の凡夫であるわが身の…地獄行必須の我が身にもかかわらず、阿弥陀如来のご慈悲にふれることによって救われる、という教えに徹底開悟すること」としている。この「徹底開悟」は「深層意識領域」の「本分の領域での出来事」と述べられている。「深層意識領域」「本分の領域」は「アチラの領域」に隣接し、聖なる息吹が吹き込んでくる領域である。そこにおいて、「地獄必定のわが身」であることを悟り、絶対他力と、それに帰依することに目覚める。
私の中の「依存と自立」の理解においては次のように解される。
「地獄必定のわが身」であること、絶対他力とそれに帰依することの覚りは、弥陀の本願、慈悲への全幅の信頼であり、悔い改めと神様の愛への立ち返りである。頼るほかない姿、神の愛なしには何も出来ない人の姿、大きな神の中にすっぽりと包まれている人の姿がそこにある。「神」という壮大なジグソーパズルの小さなピースにすぎず、忘れ去られ、失われても探し出せないような粗末な欠片である自分が、それでも一人の人として、神から無上の喜びとして愛され、尊重さる「個」として創られているというパラドクスに直面する。
ここに、「部分−全体」という神秘の直感的な体験が生じる。
更に神は、ただ従う存在として人をお創りになったのではなかった。独裁者として君臨することことではなく、人に「はい」と「いいえ」を、「自由意志」を備えてくださった。最後の一人の「はい」に至るまで「この世を愛された」神のみ旨に応える道、そして「僕の姿」をとることによって御父のみ旨を全うされたイエスの似姿になる道を、この神の「痛み」「リスク」とも言うべき「自由意志」によって見出していくのである。
神に頼る、神に依るものとなっていくこと、これがそのまま神に似たものになっていく道であるという神秘。小さくなる道「懺悔道」が、そのまま神様のみ旨の溢れ「菩薩道」になっていく。己が粗末なピースに過ぎず、身体の一部、全身にすっぽりと埋まってしまう存在でありながら、「否」を言いうる、という畏れ。この畏れ故に、その「自由意志」を神に立ち返る道としていく。
この小さくなる道、「部分」「ピース」であることを進んで了解し、良しとしていく道と、全き者の似姿として自らも全き者になっていく道。
この二つは同時に生きられる。というより同じ一本の道である。
V
かつて、受話器を置いたと思ったら、またすぐに電話を鳴らす相手を拒めなかったこと、買い物や食事に誘われ、その間中相手のおしゃべりにつきあったこと。それらに制限を加えようとすると、その私に向かって「退けてはならない」と強く促す力があったこと。「(カウンセラーとしての)適性がない」と落ち込みがちな私の中で、むくむくと膨れ上がる気持ちは、「イエスはそうなさらなかった」という思いだった。「神様が退けないものを、私が退けるわけにはいかない」という切迫した気持ち。
極端だ、極論だと言われるのは承知していたが、やはり私は「退ける」ことができなかった。「極」を避けて「中間」を取るという道は私にはなかった。
極端であっても、「極」から生まれる「新面目」というものがある。それが人を新しくする。
かくして私にとっての「依存―自立」という対立項の様相は一変した。心理学上の意味はそのままであっていい。しかし、内観者に対する際、「依存―自立」についてどのように考えるかは、極めて重要になって来る。
内観者の大いなる「依存」へ向かう道、己の計らいを捨て、大いなるものに生かされている命、という気づきを助ける。そして、その大いなるものに自ら参入していくという発心。小さいながら、欠片でありながらも一つの命として創られ、自ら意思する主体として生きねばならない。この自覚が「自立」を準備する。それは聖なる光の照らしなくしてはない。
この考察によって、「修道」という言葉の持つ意味も変化してきた。
「修道」とは奉献者や聖職者のみが歩む「道」ではなかった。信じるもの全てに開かれ、招かれている道であって、この私という「個」と、大いなる「全」とを結びつける道、それぞれに備えられている「道」を発見していくことが、「修道を生きる」ことではないのかと、今は感じている。(了) (息吹39号より)
聖霊のうめき
すでに内観経験をお持ちであったATさんは、同じプロテスタント教会員である友人からの勧めで「キリスト者のための内観瞑想」にこられました。夫婦、親子の絆に回復の道が開かれますように!
AT
私が二度目の内観に参加させていただきました理由は、自分自身が何者であるか、はっきり自己像をつかみ、謙虚な者になりたいと思ったからです。
日々過ごす中で、自分の言動や感情・気持ちなどを、ある程度は把握しているつもりでしたが、生活におわれ、何か変だと思いつつ、そのままにしてしまい、きちんとケアをせずに過ごしていました。
未だに、母に対する怒りの感情があったり、自分のイライラを夫にぶつけたり、引きこもりを始めている娘のことで神様から「宿題」を頂いていたりで、毎日が生きづらくなり、もうこれ以上何も出来ない、どうにもならない、どうしたらいいの?と耐えられなくなっていました。このような状態では、前向き思考どころか、やがては家族崩壊になってしまう。これは「宿題」のためではなく、生きづらくなっている自分自身の心のあり方の問題なのだと思い始めました。そんな時、この内観のチャンスを頂きました。
一度目は栃木の「瞑想の森」で内観をさせていただきましたが、そのときは外観に流れてしまい、母に怒りの感情が出てしまいました。今回は「相手の状態ではなく自分自身のことを調べるのだよ」と何度も言い聞かせて、母に対する自分を調べました。
私は母に不平不満、恨みごとなど一切言わずにいましたので、その抑えていた感情が怒りになり、母との会話の時などに引き出されて反発したり、感謝出来なかったり、優しく接することが出来ませんでした。調べていくうちに、母から頂く溢れんばかりの愛に対して、本当に酷い自分(幼児性・自己中心・傲慢)であったことが、はっきりと神様から知らされました。そして母が私を守り育てて下さるために、沢山の生き方の選択をしつつ、日々費やして下さったことも解りました。今まで感謝できない私でしたが、今は素直な気持ちで心から感謝しつつ大切な存在として優しく接することが出来ると信じています。
父は亡くなるまでの六ヶ月間を入院しており、私がお見舞いに行くと、「よく来たな」、帰る時には、「気をつけて帰れ」と必ず言ってくれました。父の身体はかなり辛い状態にもかかわらず。「気をつけて帰れ」の短い言葉の中に、父の心がこもっていることを感じて、その声は今もはっきり聞こえます。私は父に対して、子どもの頃は良いイメージを持っていませんでした。母よりはコンタクトが少ないと思っていましたが、両親の温かい「親心」によって育てて頂いたことに気づかされました。今までの私を許して下さい!ごめんなさい!そしてありがとうございます!
夫について調べてみますと、結婚当初から現在まで私を大きな愛の掌で支え続けていてくれていること、そして二人の子どもを通して夫の「命」を分けて私に与えてくれたことが解りました。しかし私は自分一人で家族を守っていたと思い込んでいた自分を見ました。そんな私を夫に許しを乞い、今後は、我が家の主として感謝しつつ従っていきたいと思います。
子ども達に対する自分を調べた時、私が母としての優しさに欠けていること(長女から度々指摘されています。イエス様が長女を通して、言って下さったと思います)、長女との関係が改善されないのは、正に母と私自身の関係と同じであることが解りました。そして元気な心身で「ママ、私を沢山愛してね。オギァー。」と生まれて来てくれたのに(神様から大切な命を頂いたのに)、SOSを出しつつ成長した長女の気持ちにも気づかず、愛の心を持ち合わせずに過ごしていた自分であることも解りました。
内観六日目、長女十回目の内観の時に私は不思議な体験を致しました。正に青天の霹靂。この時はいくら一生懸命に内観しても頭の中の思考がまとまりません。私は屏風の中で座っているにも拘わらず身体の所在が解らなくなり、そのうちに私の心の中が苦しくて苦しくて、身も心も空中に粉砕した―炸裂したと言うべきか―その様な状態になりました。面接にいらした藤原神父様に、「私は、今苦しくて苦しくて自分自身が全く訳が解りません!」と訴えていました。その時、神父様は、「その苦しい気持ちは、聖霊様があなたの中に入って、苦しい気持ちを出して下さっているのですよ。ローマ書の七章と八章のパウロです」と教えて下さいました。そして間もなく、私の心身が軽くなり、心の中に詰まっていた何かが取除かれて、清々しい気持ちになりました。窓から陽も差し込んできました。その情景は全てはっきり覚えています。後日、聖書を読んで(特に、ローマ人への手紙八章二六節〜二八節、口語訳)本当に感動して涙が止まらず、神様・聖霊様に感謝致しました。そして、いつでも、いつも聖霊様がとりなしして下さり、神様が共にいて下さることを確信することが出来ました。
次女に対する自分を調べると、この子は大丈夫と思っていた私がいましたが、家族を離れて一人暮らしで寂しい気持ちを抱きながら、家族の絆の回復を願いつつ、一生懸命に頑張って過ごしていることが解りました。私は一層いとおしむ気持ちが溢れ、愛の心で見守ることを決めました。
大切な家族に対する内観をして気づいたことは、すべて私の謙虚な心がなかったということです。今後、謙虚な者になれますように祈り、悪い習慣に戻り易い者ですから、内観をライフワークの一環として、常に本当の自分の心をチェックし続けたいと思います。そして、神様に来て頂いて全てのことを委ねられますように藤原神父様に教えて頂いた称名(イエスのみ名の祈り)をしながら呼吸法を日課として、常に心に余裕を持って過ごしたいと思います。
そして「自分を愛するように隣人を愛せよ」がそのようになれますように・・・・・・・・。
神様に感謝、藤原神父様に感謝、友に感謝、そして支えて下さったすべての人々に感謝致します。 (息吹 39号より)
パワーレスの信仰
アルコール依存だけではなくて、いろんな依存症者の苦しみは、人間関係の絆が崩れ、孤独な世界に陥れられたことにあります。仲間たちと愛と信頼に満ちた絆のうちに、人間関係の絆を再構築してゆくプロセスで、回復の道があります。
千葉 IY
私は、これまで、自らの自己中心性(性格上のゆがみ)ゆえに、何度も身近な人々(家族、友達、職場の上司・同僚)との絆を壊しては断って来た。
特に息子達との別れについては、今でも心が痛み、自分が犯してしまった過ちの大きさにどうしようもなさを覚える。心の傷がうずく。彼らの人生に多大な取り返しのつかないダメージを与えてしまった。今は、息子達に会うすべはない。
二年前に藤原神父様の内観に出会い何度も集中的に身調べをさせていただき、そのような私の中にも息子達への無条件の思い(愛)があることに気づかされた。上の息子とは、彼が一歳の時に別れた。別れて数年は別離の痛みでのたうち回った、苦しみのあまり自ら命を断つべき愚かな行動もしてしまったが、それは失敗に終わり、気づいた時は、異変を母から聞き感じとった姉に救出され、病院のベッドの上であった。思えば姉さんには迷惑のかけっぱなしだった。姉さんにはお返しのしようがない。姉は12年前に既に、帰天している。
上の息子は、今年で16歳になる。きっと高校生であろう。訳があって、一切連絡は取れない。無事に高校へ通っているだろうか?どんな青年に育ったであろうか?一度は彼の記憶を捨てた愚かな父親である私だ。
下の息子は彼が8歳の時に別れた。パパッ子であった、いっしょに良くキャッチーボールをしたり、バッティングセンターに行ったり、プロ野球観戦にも何度も行った。そして彼は野球少年に成長し、少年野球チームの一員になった。彼への記憶は鮮烈である、声、顔、しぐさが今でも昨日のことのように浮かぶ。彼ら(二人の息子達)は異母兄弟であるが、お互いに会ったことがまだない。
先日、年老いた父が庭仕事をしているのを観ていて、息子達と住んでいたころ、良きおじいちゃんであった父を思いだした、大の孫好きなおじいちゃん。しかし、今は孫にはあえない父(おじいちゃん)である、どこか憂いを感じた。
父は学歴もなく特攻隊の生き残りで、幼少時に父親(私の祖父)を亡くしている、決して家庭的には恵まれていない。終戦後、焼け野原の東京に土地を買い、家を建て、自分の子供3人と親戚の子供二人、合計5人の子供達を育ててくれた。そのしつけは軍隊式で厳しいものであった。経済的困難さ、余裕のなさを思えば、今ではやむを得なかったのだろうと理解できる。そんな父(おじいちゃん)も孫と接していた時は顔がほころんで幸せいっぱいであった。父も母も、もう80も半ばを超えた老齢である。後、何年生きられるであろうか。両親が再び、この世に命がある時に孫達との再会が出来たらなんと素晴らしいことか。
今はバラバラになった家族の絆に神の照らしがあたらんことを日々、イエスの称名を称え、日々、イエス様から離れぬように、私の満足や幸福でなく、主の栄光があらんことを祈り続けている。 (息吹 39号より)
<藤原式内観について> 岩渕由浩
(これは2010年4月、唐崎・ノートルダム修道院・祈りの家にて、開催された「内観奉仕者研修会」の席で、岩淵由浩氏が、発表してくださったものです。)
★ 「東西のはざまで」。 私は子供の頃から、社会に適応することができずにいた。社会人になってから、英国駐在から帰ってきて、日本社会に適応が出来なくなった。26歳の時でしたが、初めて「瞑想の森」で内観と出会いました。その後、様々なうよう曲折を経て、藤原神父と出会い、あらためて「キリスト者の内観」に触れました。ここで、「心の神秘」を知り、「魂の成長」が生じ始めました。
カウンセリング(多くは欧米式のものです)と内観の違いも感じています。自分の経験では、カウンセリングや心理療法には限界がある。一生懸命やると、治療者との間に「共依存」のわなに入ってしまう。欧米人は精神的に自立しているが、日本やアジアの国では別の感性があり、心の関わりができると、「共依存関係」が出来てしまう。
内観は面接者が、淡々と3項目に従ってやることに非常に良さがある。カトリック内観では、面接者との間に「共感」を超えた「共鳴」があると感じました。神父様は、同行者です。同行する人と内観する人の魂が共に共鳴し、大きな力に支えられている感じがした。自分を越える大きな力(ハイヤーパワー)が無いと、「心の世界」はあぶなかしい。
内観と「方法論的な考え方」についても感じることがある。内観そのものは方法論を超えたものです。職人芸的な面がある。最近は、内観が方法論に傾いてきている印象がする。カウンセリングでも方法論的なもの(品質管理などのプログラムに使用されている)だけでは、心の深みにまで行かない。カウンセリングの世界では、そうなってきているが、内観でもその危険性があるのではないだろか。
アメリカから発信された「リビング・イン・プロセス」という心理学的癒しのプロセスを説く女性学者がおられる。提唱しているのはシェフ氏で、「共依存の概念」を作った人です。日本の依存症関連の専門家たちも、博士の理論を使って治療している。シェフさんは、霊的な領域を非常に重要視している。現代は無機質的になり、文明病に蝕まれている。(TMMPという現代病。テクノクラティク物質至上主義、マテリアリスチック物質至上主義、メカニカル無機質的、パソナリティ人格)そもそも人間の存在は宇宙的神秘における霊的存在者である。霊的なものから引き離されたところに、様々な病が起きる真の原因がある。嗜癖(アデイクション)・依存症がおこるのも現代病のひとつである。ギャンブル依存、アルコール依存、(摂食障害、虐待(暴力依存))様々あるが、真の原因は解明できていない。原因追究に時間をかけるのではなく、霊的なものとの接触が重要で、回復することに時間をかけることの方が大切だという。「依存症者」は霊的な存在である神から離れてはならない。神や人との深い関わりを再構築してゆくプロセスに生きるのが、リビング・イン・プロセスの教えるところ。夫婦の関係も、夫と神、妻と神とのかかわりの中における関係で、成長へのプロセスをあゆむ。
12ステップの方法論を難しく感じている私にとっては、「日常内観」が大事だ。「キリスト者の内観」では、アチラからの照らしに向かっている。藤原神父はホーリーの世界とおっしゃっている。ホーリー(神秘的領域)に触れている内観研修所は他にはありません。内観という魂の深い領域において、ホーリーを扱っていることは、掛け替えのないことで、大切にしていかなければならないところです。病んでいる人は、アチラからの、神からの照らしによって、生まれ変わる。変容してゆく。超越的な領域が大切になってくる。
(「息吹40号」2010年夏号より)
父の葛藤
大阪 MTさん
(MTさんは、唐崎会場での内観後、以下のお便りをくださいました。本人の了解をいただき、一部を省略して紹介します。)
日ごとに秋の実りを感じる季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。先日は、一週間の内観同行、誠にありがとうございました。
帰宅後、すぐに父に会い、内観の事など話ました。父は、自分の母(私の祖母)への不満を話していました。今までも父の祖母に対する不信感は聞いていましたが、改めて深い溝があると気づかされました。又、父は「自分は育ち方により性格が曲がっている」「娘達に冷たくされる事も何故かわかっている」と話していました。
以前であれば、祖母への不満をこぼす父に対して、私は嫌な気持ちになるばかりでしたが、いろんな葛藤を持ちながら、私たちを一生懸命健やかに育ててくれた父に対して改めて感謝しなければと思いました。「ありがとう」と「ごめんね」を伝えると父は喜んでくれました。
夫に対しては、内観での事、隠していた事を話し、「神を畏れるって事がなんとなくわかった。」と伝えると、聖書箴言に「主を畏れる事は、知識の初めである。」と書かれていると教えてくれました。この感覚を忘れたくない・・・と日常内観をしようと思いましたが、一時間ともたず、自分の忍耐力のなさにほとほとあきれるばかりですが、朝30分、夜30分とできるだけ時間を取ってしています。又、同行者がいないと身構えがちがう自分にも気づきます。藤原神父様が言われた通り、頭のてっぺん少でしかわかってないと思います。又、時間を取り、内観させて頂きたいと思いますが、まずはもう少し、仕事に、父との関係に、家事に、勉強に、一日一日忍耐をもってがんばっていくことだと思います。一週間の修道院での生活も私にとっては大変貴重な体験となりました。
最後となり恐縮でございますが、改めて藤原神父様へ厚くお礼を申し上げます。日々成長を目指して頑張っていきます。
(息吹41号より)
同行という経験
草々庵 小倉和恵
今夏、はじめてお一人の内観者の集中内観同行を経験させていただきました。藤原神父様のもとでの内観の経験者であったこととが、不安を軽減してくれました。お若い方で、立ち姿もすっきりとした清々しい印象の方でした。
内観そのものは経験者であることもあり、三項目もしっかり把握していて、同行者が困るような、不安になるような要素はまったくといってよいほどありませんでした。
前回の内観では発見がたくさんあり、内観後もスポットライトで照らし出されるように自分の本当の望みや気持ちが見えてくるという経験をした、と前回の内観後を回想してくださいました。
内側から変えられるという実感や、内におられる神様との出会いの実感がある。ホコリをかぶって、今まで思い出すこともなかった記憶−大学卒業のときに学長が卒業生一人一人に書いてくれた色紙の文字「生かされて 生きるや今のこのいのち 天地(あめつちの恩 限りなき恩−が今よみがえってきた。前回の内観では一つ一つの出来事を思い出し、驚きがあったが、今回はそれがひとつの大きな流れになった実感がある。孤立していた記憶がまとまっていく。などと話してくださいました。
想起される内容が前回の内観と同じであっても、より大きな流れに統合されていく、という実感は、己の人生が大きな慈しみと愛に支えられて生かされてきたという気づきでありました。その背景があって今の自分があるという、今現在の存在の確かさを決定的に知る、という経験であるのでしょう。回想したあの時、ありがたかったのではなくて、今ありがたいのだ、という経験です。
「暮らし」「正しい生活」を求める内観者でした。規則正しさや礼儀正しさが今の人々には失われてしまっている。生活の中の創意工夫ややりくりなどが、便利さと引き換えに切り捨てられていく、そういう現代の「暮らし」の貧しさが、信仰を危ういものにするのではないか、という疑問をお持ちのようでした。
「働く」とは本来聖なるもので、それが「賃労働」となってしまっている現代には、「働く」ことを通して「創造」の業に参与していく神秘などは予想だにできなくなってしまっている。この大切な神秘を黙想する機会を失った現代はなんとまずしいものなのでしょうか。
内観の後半、父母の代理内観を提案しました。正確にいうと提案したのではなくて、自然とそうなっていったというのが正しい言い方ですが。母の目で、父の目で、己を見ていく。母がどういう気持ちであの時ああいったのか、父がどういう思いであのことをしてくれたのか、そのときの自分は…。自分の記憶とは違う光景が見えてくる内観です。
屏風の中だけではなく、畑で一緒に働きながら、その汗についての黙想、吹きすぎてゆく風や揺れるススキにまで神様の創造のみ業が及ぶ、その実感を共有できるというのが草々庵での内観の特徴だと実感しました。
ホコリをたてて走り回る生活でなくて、落ち着いて呼吸をただし、背をまっすぐに伸ばして、ひとつひとつの仕事を丁寧に仕上げる。生活の正しさとは、慢心のない生活、言うべきことを正確に言い、するべきことを必要な手間をかけてする、そういう生活ではないかと思いました。
「暮らしと聖なるものが一致している場所」。内観者が残していってくれた印象深いことばです。感謝の一週間でありました。
(息吹41号より)
イエスの祈り
148 東大阪SH
内観黙想に参加して、早2ヶ月が過ぎました。「とにかく100日間、黙想中に学んだ呼吸法を実行してみてください」とのご指導に、できる限りやってみようと決意をして生活しています。
内観中に呼吸法に合わせて祈る「イエススの祈り」に出会ったとき、私が永年求め続けてきた「絶えず祈るにはどうしたらよいのか」の問いへの答えが見つかったようで、思わず心の中で「神様ありがとう」と叫びました。
この祈りは15年前に『無名の順礼者』という書物で知ってはいたのですが、やり方がわからず、私の中で眠っていたのです。祈り方を指導していただき、今では日常生活で祈りの始めに、また散歩や信号を待っている時、そのほか時間がある時はぼんやりすることなくイエススの祈りを意識して祈っています。今までどれほど時間を無駄にしてきたか、そしてキリストを忘れて生きてきたのかと反省させられ、イエススのみ名の祈りのすばらしさを少しずつ体験しています。
最近特に分かってきたことは「主イエスさま、私を憐れんでください」との祈りを心から真剣にできるようになるためには、私の場合は「内観」なしにはできなかったとつくづく思うのです。
内観を通して、今までの自分の親、兄弟姉妹への恩知らずな生き方、傲慢な言動、神のごとく支配的にふるまっていた人間関係上での過ち、罪などへのまことの痛悔と打ち砕かれた心をいただかなければ、口先だけの祈りになってしまっていたと思うのです。
この度、生活改善へと導いていただき、共に生活している人への大きな気づきがありました。「その母娘はあなたに仕えていたのですね」と指摘され、自分の高慢な態度に気づかないままの私こそ本当に盲人だったし「主よ、憐れんでください」の祈りは私にこそ必要な祈りだったのです。
イエススの祈りをつづけていると、必要な時、なすべきことは聖霊が適切に教えてくださるとの言葉に励まされ、これからも希望をもって内在する神と共に生きる幸せと喜びのうちに、無名の一巡礼者として歩んでいきたいと思います。
学校で
149 学校内観
若い生徒や学生たちにこそ、内観をしてもらいたい。これからの人生を生きる人であり、将来の日本を背負う人達だから。数年来、いくつかの学校や大学で指導を行っている。大抵は一堂に集まってもらい、説明をしつつ、いっせいに立腰・呼吸法・内観をしてもらう。学校側の提供する時間量によって予定や中味はまちまちであるが、立腰・呼吸法・内観の三点セットで実践している。
この度は、宮津のあるミッションスクールで高校三年生たちが、卒業前に二日間の黙想会をするので、ご指導ください・・・と二人の先生が、遠路はるばる寝屋川の「いほり」まで、来られた。二日間の内観黙想の後、感想文が寄せられた。
F先生より
・・・さて、2月23日、24日に黙想会のご指導を頂きありがとうございました。黙想会後に書いた感想を・・・ゆっくり読んでいただければ幸いです。
この生徒たちは素直ですが、人からしてもらって当たり前という態度が気になっていましたので、静かな時間を持ったことに大きな意味があると感じています。また私たち教員も生徒と一緒に内観をする時間を頂くことで、日々のあわただしさの中で、生徒たちにも家族にも感謝を忘れていたことに気づきました。神父様がおっしゃったように、これからも生徒からもらったもの、お返ししたこと、迷惑をかけたことに心を留めていきたいと思っています。・・・
IEさん(女子)
今回十八年間生きてきたなかで初めての黙想会をし、また内観を体験しました。内観をしてみて、神父さんの鳴らす鐘の音、姿勢を正して、スクスクと天にまで届くようにと意識したこと、(普段感じようと思うことも感じていると思ったこともなかった)足の裏を床につけて大地を感じた事とは、とても新鮮でしたし、気持ちがとても落ち着きました。
普段なら、ざわざわした中で生活し、沈黙になることはあまりありません。だから沈黙するのは苦痛なことと思っていましたが、この二日間で沈黙のよさを知り、落ち着けるものだと気づきました。
一日目の母と父の内観では、今まで私がどれほど両親に愛され、たくさんの事をしてもらって生きてきたかを実感し、その両親にたいしてほとんど何も返していない自分に気づきました。これは私にとって両親へもっと感謝の心を持ちなさいという助言なのかもしれないと思い、今後もあと少し学生をするので親の世話になりますが、今回の事を心に留め感謝の気持ちを表していきたいです。そして社会人になったときには労をねぎらって生きたいと思います。
二日目の兄弟、先生、友達の内観は両親と違う視点から自分の過去を振り返ることが出来ました。
全体を通して思うことは私がここまで大きくなれたのは私と出会ったすべての人からよい刺激をうけ、自分の課題の指摘を受けたからだと、思えました。だから神父さんの内観を受けることができてよかったです。今後私は看護の道へ進むので、これから出会う人に勇気を与えられるよう今回の気持ちを次へつなげていきたいです。
KM君(男子)
普段やらない事をするということは、それだけ新たな気づきがあると思いました。過去を振り返ってみると、こんなこともあったんだなあと思い出すこともあれば、あのとき自分は父や母や友人にこんな事をしてしまった、なにかお詫びのようなものが出来るかと考える反省の場所にもなりました。
内観をして過去を振り返ると自分がどれだけ多くの人と接し、支えられ、今の自分がいるかと気づき、本当にありがたく思いました。
鐘の音が心地よかったです。空気が振動させられることにより、周りの雰囲気が作られるのか、自分の内面の世界に入りやすかったです。
「生きているものと死んでいるものの違い」では、息をしているかどうかが答えでした。こんな簡単な事なのに分からないということは、今まで生きていく中で何かしらの体験が毒になったり、成長して行くにつれて、純粋な考えがなくなったりしているのかなあと思いました。当たり前の事を深く学ぶこともいいなと思いました。・・・。
UM君(男子)
今回の二日間の黙想会を体験して思ったことは、まず「立腰?呼吸法?何。それ?」と思いました。また、はじめに「生きるということは、どういうことか」を聞かれて、これからはじまる「内観」とどういう関係があるのか分かりませんでした。しかし、話を聞いているうちに、生きるということは「呼吸をしていることであり、心を持つ人間は心も呼吸をしている」ということにはじめて気づきました。
深い呼吸により心の中が正確にわかりました。また立腰により、より正確な呼吸ができること、踵を地面に密着させることにより、大地のエネルギーを受けること、立腰でしっかり尾骨から脳天まで真っ直ぐにすること、そのエネルギーを内から出せること・・・こうした正しい姿勢によって、自分に向き合えた気がします。立腰することで健康になるなんてすごいと思いました。この二日間で大分すっきりとした気がします。この体験を活かし、これからも立腰、呼吸をしていきたいと思いました。
「転職?」「いま、ここで」
149 MJ 35歳
私は、勤め先の会社を十年経て、このままでいいのかなあ、今後、どういう道を進みたいかを、考えるために内観に参加しました。
前半での内観は、同行者に導かれながら、形式どおり、母に対して、父に対して、妻に対して、三項目の枠組みで調べていきました。妻との内観を調べているうちに、今の仕事に、心からやりたい、やってよかったという充実感を味わうことが出来ていない自分に出会いました。なんとなく、漠然と、どこか別の場所に行けばもっと良いものがあるという気持ちがあり、その気持ちにとらわれていたことが見えてきました。ところがそういう自分を妻は、そのまま受け入れ、支えてくれていたことも分かりました。それは、母や父への内観の際にも、私の努力に関係なく、大切にされてきたことを実感して、安心感を得ました。他人から愛されてきていたことに感謝できておらず、自分の悩みにばかりとらわれて視野が狭くなってしまっていたこと、他人の気持ちや他人の悩みなどに気を配っていなかった姿を観ました。自分の本当の問題は、ここにあったのかもしれません。
後半では、具体的に会社において、プラスの面を10か条、マイナスの面を10か条出すことから、内観は非常に現実味を帯びてきました。マイナスと感じている面から、いくつか選び、それをプラスに変えるには、どうすればよいかを考えてくださいと、面接者から提案されました。それを考えていくうちに、悩みや充実感がないとかの漠然とした感情が、いつのまにか消えていき、解決の糸口を考えているうちに前向きに進みだそうという気持ちに変化していきました。
「いま、ここで」精一杯生きる事、すでに与えられている善きもの(恵み)に感謝すること、苦しいときには逃げてしまわずに今回の内観の方式で心を整理整頓して、現実の中で何が出来るか考えてみて、できる範囲でやり始めてみることが必要とわかりました。
今日のサラリーマンは、複雑な組織や経営理念などの中で、多くの人達が疲れて、悩んでいます。内観を今回の私のような、こういう利用の仕方があるのだと、分かりました。また、日曜ごとに教会に通っている自分ですが、教会や説教からは、打てば響くようなアドバイスをうる事も出来なませんが、個人指導のもとで具体的現実的な解決の方法を教えられて、有意義な一週間でした。(息吹43号より)
内面の岩盤に亀裂が生じ、
恵みの水が溢れて
150 T・F(60台修道女)
この度の内観を振り返って、最初に、言っておかねばならないのは、毎朝のミサで両形態の拝領が出来たことが、私の内観を導いてくれた、ということです。特に修道生活の三誓願に対してどうであったかを調べてゆく中で、聖体・聖血拝領は、従順・清貧・貞潔の誓願の基であることを強く気づいたことです。私たちの生活の全ては聖体拝領から始まっている!
母に対する身調べから、形どおり内観の三項目でスタートしました。始めは、とても堅苦しく感じて抵抗していました。つい外観にぶれる私でしたが、同行者は忍耐して聴き、元に戻してくれました。しかし、母に対する身調べの2回目(反復)をすることにより、頂いてきた愛情、赦しに深く気づかされ、それが現実の神への絆とつながっている感動に解放感と喜びを覚えました。観念的・抽象的な頭で理解した神の愛ではなくて、現実的・具体的に体・肌で味わう神の愛を、こうした内観を通して分かってゆくのであり、これは今までの黙想会(自分には多分に「頭」でいい気になっていた)では味わうことのなかったものと思いました。
また、どうしても苦手な人間関係や、難しい近所の人との係りを見直すことにより、それまで避けていた自己の深い部分に向き合うようになりました。この度、押さえて、隠していた内面にある岩盤(しかも、強固に育ってしまっている岩盤!)にたどり着きました。しっかりとこの岩盤の上に立って生きて来ている私の姿をまざまざと観ました。今回、その岩盤に(初めは小さな)亀裂が生じて、やがて広がり、亀裂の向うにおられるイエスとの間に絆を強めていただく体験。そして、岩盤から、あたかも荒野で岩から泉を噴出したモーセの時のように、キリストという岩である恵みの水が泉のように湧き出しました。
私の人生は、教師生活を長くしていて、いつの間にか外観的人間になってしまっていました。内面を大事にしたいと言う深い望みを持ちつつも、実際は外観的に陥っていて、イエスと生きるという理想と実際の生き方との間にギャップを深めていった姿を見ました。自己の醜さ・弱さから逃げるのではなく正面から観る、味わう、認めることによって、そこから恵みの泉が湧くのだと実感させられました。それは岩盤の上に刻まれていた「おそれることはない。わたしだ」という言葉によって、まさに心の目が開かれる思いでした。
後で、神父様から「十牛図」の絵を見せられて説明を聞きました。醜い暴れ牛である黒牛が、それを牧して行くうちに、神聖な白牛に変容する、と知りました。まさにこの度の、私の内観の中で経験したのはこれであった。我の醜い塊である私の岩盤こそ、恵みの泉が沸き出す場所であり、神との受肉的係りにより恵みへと変容するのであると。
(息吹43号より)
「息子への恐れ」から
「息子は宝」へ
151 三重県 IY (60台)
主人をなくし数年。歳を経てから出産した息子と二人の生活が始まる。小さい頃は、本当によき子でした。ところが、家庭内暴力、言葉の暴力・・・成人してからの反抗が激しくなり、私は「息子への恐怖心」に怯えて毎日生きていました。主人の残した貯金で、老人の有料施設へ移り、静かに暮らしたいと思うようになりました。
相談にのってくれた姉たちは、「お前が産んだ子だよ、お前の鏡だよ」といい、それによって私はひどく傷ついた。そんな時に、あるシスターから内観を勧められて、この5月の内観に始めて参加した。いままでも、八日間の黙想や、もっと長い黙想に参加したことがあるので、個室に閉じ篭るのは苦痛ではなかった。しかし、私の心は相変わらず、不安で、目の前の問題解決をあせっていました。度々面接に来てくださる神父様の指導の下に、もつれてしまっている自分の人生の様々な問題が、整理整頓されてゆき、かすかな未来への希望が見えてきた。歳を往っているけれど、精神状態は娘のような未熟な私には、一つ一つのアドバイスをいただけて、50日後に再度、内観に参加することにした。
最初の時と違い、すでに、自分には、毎日の生活の課題が与えられていて、日々の深い呼吸法の祈りをする事にチャレンジしていたし、息子の事ばかり考えることから、自分が幸せに生きることへ、気持ちの変化が出来ていた。
二回目の内観の結果で、一番大きなことは、「息子への恐怖」から「息子は宝物」と思えるようになったことです。自分が生み、乳を飲ませて、育ててきた息子なのだし。何よりも息子は神が造り、光り輝く良いものであることを、しっかり分からせて頂きました。なくなった主人も息子も、実はすばらしい人なのに、その素晴らしさをみていない自分がいて、私にとって「宝の持ち腐れ」であった。私の見方が、なんと未熟であったことか。相手の事をいつも、正しく見ておらず、「自分という鏡」に映ったものであった事がわかりました。これは頭ではなくハートで気づきました。(息吹43号より)
呼吸の祈りが深められて
<指導者に導かれて、照らしを受け、気づいたこと>
(次のSOさんの体験談は、4回目の内観ということでもあり、霊的指導の要素が濃く面接者の会話は指示的です。通常の内観入門的な面接現場ではこうした会話は差し控えています。この体験談では、内観から内観黙想へ進みつつ、生身の祈りの具体性を帯び、内面の修行がよく顕われてます。内観と祈りは切り離せないものです。)
152 S.O
心がもがき苦しんでいました。私の心に我の壁が立ちはだかっていたからです。そのため呼吸の祈りをしても神の声が聞こえませんでした。そんな自分の姿を持って、今年も何度目かの内観黙想会に参加しました。内観黙想会中、二重、三重、四重に身調べを繰り返し、指導者に導かれて受けた6つの照らしによって、気づいた恵みを振り返ってみました。(○1から○6まで)(『 』の部分は面接者)
第1順目は「上長・姉妹との関係について」身調べをしました。27歳、31歳、47歳、60歳までをステップごとに調べてみると、「批判心と怒り」の姿が見えてきました。
第2順目「私が特に振り回されている3つの自我について」の身調べでは。驚くべき新発見がありました。Aさんとの関係を見ていた時、Aさんが弱く、汚い姿に感じる私の反応に気づいた時の面接の会話です。Aさんに対する自分の姿が、十字架を担って歩いておられるイエスとローマ兵の姿と重なり指導者に言いました。○私「イエスの姿は汚く見にくかったからローマ兵はイエスを打ったと思います」『イエスが汚いからではなく、イエスを汚いとみたローマ兵が汚い』○私「ハッ???そう見たローマ兵が汚い???それは私のこと???」。私の姿が見えてきました。「死刑を宣言する姿、くぎを打ち付けている姿、ムチ打つ姿が見えてきました」「ごめんなさい!許して下さい!」○1と叫ぶ私がいました。
『それではどのような決心をしますか』
○私「(肩をはって言いました)・・・・をしません。・・・・をします」というと
『その決心は、自分でしようとしていますね。委ねるのです』。○私「ハッ???」(委ねる決心ってどうすればいいの???)○2 『こんな決心はどうですか。2時間ごとに呼吸の祈りを10分する』 ○私「(エッ???それでいいですか)それならできます」。『呼吸の祈りをして自分の心をよく見つづけること、最初の考え、動きに何かが入ってパターン化
にのってしまうその最初の動き始めに注意すること、すぐに主のみ名をとなえたり、聖書の言葉を祈ること。最初に起こる微妙な考え、動きに気をつけること。特別究明はそこから生まれるでしょう。・・・私は心の中に神の国の平和を保ちます。私の心は何者によっても平和の心を乱されず、保ち続けます。というモットーを持つ決意をしますか。決意をするのはあなたです。』○私「(心に力を込めて)決意します。そのために内観黙想会に来ました」
そして4日目、私は思いました。○私「これでよし。後は実践のみ。黙想会中に練習をしよう」と思い、屏風の中で祈っていると、全身倦怠感がわたしを襲いました。何もしたくない私になりました。気分転換に食堂まで行った時、廊下で指導者に出会ってしまいました。指導者は『次のテーマは『盗みとうそ』にしましょう』これが第3順目の身調べとなりました。その後の面接で、最初に言ったことは○私「これだけはしたくないテーマです。もし、今、指導者に告白したことで罪が許され、死んで神の前に立った時、再び裁かれないのなら身調べをします。」でした。このように自分を慰めてから、10年刻みで調べて行きました。20歳代の身調べの時、
○私「盗みとうそは在りませんが、内緒で・・・・をしました」 『それは内緒ですか。うそになりませんか』○私「うそではありません。内緒です。黙っていただけで、うそになっていません」『こざかしい知恵だな・・・・』とつぶやかれる。
○私「エッ!」「こざかしい知恵???」「・・・・・・・・」○3『しっかり調べて下さい』。
1時間後私は答えました。○私「こざかしい知恵は、生きる術です。こざかしい人は嫌いです。こざかしい人と人間関係がとれませんから。」ここまで言って「ハッ!」としました。○私「エッ!そうするとこざかしい私は、神と関係がとれていなかった?神不在の私、まさか???」
また50歳代の身調べでは、自分の苦労話をし、こざかしい知恵を生かして、神にうそつきながら生きていたことを話しました。『あなたの苦労はよく分かりました。その間、親切にしてくれた人のこともわかりました。あなたは、『自分はわがままで・・・・・』と言いましたね。』○私「はい、私は、わがままで、批判心が強く、わけもなくイライラします。そんな私を上司はどこに配属しようかと困ったと思います。迷惑掛けていました」『この苦しい10年間、あなたはそんな自分を忘れていませんでしたか』『自分と神から逃げていませんでしたか』○私「ハッ〜???」「自分と神から逃げていた???」「・・・・・・・・」○4『しっかり調べて下さい』
1時間後に。○私「確かにそうです。その時苦しみから逃れることだけを考えていました。むしろ自分の弱さを、他者の中に探して批判していました」第1順目の「上長・姉妹との関係について」の身調べで私の、わがまま、批判心、怒りという、「我」が一層明確になり、意識化されてきました。「いつも我に流されてから、罪人の私を助けて下さいと叫んでいます」と話すと、指導者は力強く『流されずに神に叫びなさい!』 ○私「ドキッ!」○5としました。威厳のある力強さを感じたからです。『流されずに・・・・』という言葉が心にドカンと入りました。指導者は、次のようなアドバイスを話されました。
『うそからアーメン(まこと)に近づきなさい』『アーメンとなる者になりなさい』『我をすて神の意志に向ける決意をしなさい』『呼吸の祈りの時間は最高の活動の時間です』『雑念との戦いは心戦です』
『呼吸の祈りの時間は心戦の時間です』
『「罪人の私を助けて」と叫び、神の平和を心に保ちなさい』『委ねなさい』『2時間ごとに呼吸の祈りをしなさい』
「流されずに神に祈るには・・・・・」「心を見張る」「気づく」「委ねる」その為に2時間ごとに呼吸の祈りを10分する。このように少しずつ見えてきました。具体化していきました。
さらに指導者は、黙想会も終わりに近づいてきたので、現場に帰るので、世話をしている人との関係を調べてください、ということから身調べの第4順目がはじまりました。
第4順目「職場の姉妹との人間関係について、Aさん、Bさん、Cさん」の身調べ。BさんCさんは簡単に終わりました。ところがAさんを思い出すだけで、わたしの五感が騒ぐのです。Aさんを見つめることができません。見ただけでイライラし、声を聴くとムカムカして気持ちが悪くなります。このような状態では、Aさんとの関係を修復できそうにありません。そこで指導者に質問をしました。○私「Aさんを見ると、わたしの五感が騒ぎます。祈れません。Aさんと向き合って立つことができません。どうしたら五感をコントロールすることが出来ますか。五感の内観がありますか」『五感の内観は、祈りへと入り、内面で戦うことです。』○私「ハッ???祈り?」「イライラ、ムカムカの中で祈るのですか?」言われるとおりに祈って分かったことは簡単でした。内観黙想会で毎晩している「呼吸の祈り」をすればいいのです。毎晩の祈りの時、指導者がおっしゃるように「雑念を追いかけない」ということです。○6私が「・・・をしよう」という決心や想念をやめ、神に委ねながら「追いかけない」祈りをする中で、自分に出来ない心の洗いをしていただき、清めていただくのだと気づきました。この祈りを、指導者は『感覚の浄化、意識の浄化』と言われました。
このような一週間の「内面下りの心の旅」よって、気づいた恵みを整理すると以下のようです。平行して私の「呼吸の祈り」も深かまってきました。
T 決意をする;私の心は何者にも「平和の心」を乱されないという決意。我をすて神の意志に向ける決意をする。
U 委ねる;2時間ごとに呼吸の祈りを10分する。
V 心の動きを見張る;呼吸の祈りの時に 1)雑念を追いかけない
2)最初に起こる微妙な考え、動きに気をつける
3)何かが入ってパターン化にのってしまうその最初の動き始めに注意する
W 叫びなさい;流されないように神に叫びの祈りをする
1)すぐに主のみ名をとなえるか、聖書の言葉を祈る
X 保ち続けなさい;神の心の平和を保ち続けなさい
「呼吸の祈り」によって「私は在るもので在る」(出エジプト3-14)とモーゼに、燃える柴の中から応えられたように、その方が私の呼吸の中に「在る」のを感じます。黙想前、私の心の中は「我」で一杯でした。黙想会後は「平和」という名のいのちが、私の中に保ち続けなければなりません。こんな私の再修行の道がスタートしました。
2011.10.14 息吹44号より
暗夜の孤独と自分さがし
(次の内観者も、内観を度々継続し、今回は一番の隣人である配偶者との内観において、自らの我執に出会い、かえってそこから内観黙想・内観瞑想に入っておられます。心の深海に内在する神との出会いまで続く、心の内なる旅が楽しみです。)
153 マリア・ローザ 60代 東京
はるか彼方の思春期の真っ只中にカトリックの洗礼を受けて以来、ずっと探し求めてきた「自分さがしの旅」は還暦を過ぎてしまってもなお続いている。わが魂は生涯成長途上にあると観念した。健やかな魂の住処である心の環境を整えるのに、いくら片づけても追いつかない程に日常の生活のガラクタが瓦礫となって山のように積み重なっていくばかりである。日々の営みの中にどうしても混濁していく心の淀みをクリーニングしてもらおうと始めた「キリスト者のための内観黙想」に巡り合ったのは幸運である。集中すること・継続することに不得手な私自身の性格にも拘らず、この修行は結構長く続いている。
「この時間はどなた様に対するいつの頃のご自分をお調べでしたか?」毎回のことながら、会場の床がのめり込んでしまうのではないかと思われるくらいに額ずかれる同行者の姿勢に心正され、こちらも実のある調べを述べたいと焦るのに、いつもずっこけてばかりで何とも面目ない限りである。自分を調べるということは承知の作業なのにも拘わらず、いつの間にか相手の非を調べている自分に気づきひとり赤面することしきりである。
今回のトピックは配偶者に対する自分調べであった。婚姻中なら避けて通れない重要なテーマである。人生の最終地点で「ありがとう!」と述べる人の中で夫は第一番目にリストアップされている。そのことを担保に好き放題に振舞っているのが今の私の現実である。自分調べの中に登場した夫の姿は数限りない理想的な人間像であった。完璧であれ!信仰篤くあれ!勤勉であれ!スマートで快活であれ!愛情深くあれ!きりがないくらいの夫の(私の要求する)彫塑に愕然としてしまった。健気な妻として夫に寄り添う前手続きとして私にとって夫は完璧であらねばならなかったのである。ノミと槌を手に、夫の形を彫っている自分の姿に気づき唖然として狼狽えてしまった。浅ましく哀れな姿に目を覆いたくなす統べなく悄然とうなだれたその時、小気味良く彫り進んでいた夫の顔がすっと遠くに消えてしまった。次の瞬間、汗と血にまみれた主イエスの顔がズームアップで現れたのでる。「私を彫れ!」 声まで聞こえて来たような気迫さえ感じさせた。途端に全身の力が抜け落ち思考が止まってしまった。
昔、話題になった遠藤周作の小説『沈黙』から受けた衝撃が甦る思いだった。「踏め!」確かにそのような件だったと記憶する。余談ながら、周作先生の文学にはこれまでの信仰生活の中でもかなり助けられてきた。消えないしみも残ったが、それはそれなりに自身の弱さの風情として容認している。「内観黙想」に心惹かれたのもその発端に『沈黙』以来『深い河』にいたるまで影響を受け、垂直の自己への旅が始まっていたことに思い当たる。
吸う息と吐く息の単純作業で深みに降りていく孤独な自己への旅。心の階段を下りていくと魂の住処「内在する主イエス」のまします世界?無音で静謐な光の世界?そこへ至る道は丹田に気を払い、針の穴程の隙間を通るように慎重に慎み深く呼吸に載って降りていく。
再度、周作先生の名著『侍』の最後の場面にも象徴的に織り込まれている。主人公が結界を越えていく場面はいつ読み返しても新鮮で瞼の裏にたぎるものを感じる。最後まで仕えた家来に「ここからはあの方がお供します」と語らしめたコチラとアチラの結界は、想像するに針の穴よりも細く針の先ほどの隙間なのだろうか?たとえ、同行者の神父様に「それは外観だ!」と叱責されようとも、今はこの余韻に希望を繋ぎたいのが本音である。「暗夜の孤独な自分への旅」は始まったばかりである。(2011年10月)息吹44号より
「年の黙想」
Sr K・T
(十字架のイエス・ベネディクト修道会の「修道院便り 2011年クリマスマス〜2012年新年号」より。彼女は幼少時から全盲であり、成人して後、修道奉献生活を長年しておられる。)
10月14日から一週間カトリック内観による年の黙想を頂きました。修道院では5月から本館南側の敷地に増築工事が始まっており、騒音の響きと埃の舞う日々が続く中、工事現場から離れた別棟で泊まり、沈黙と潜心のうちに祈りを深めてゆくことができました。
いままで深い内観が出来たことがなかったので、一日に7回の面接をしていただく計画を立てましたが、初日の面接で、今年の春から自分の生き方が変わってきたことを話すと、神父様は「もう内観に入っている」といわれ、日に4回と決め、一緒に生活しているシスターとの関係を、内観の視点「していただいたこと、お返ししたこと、ご迷惑おかけしたこと」の三点から心を見てゆきました。毎日、祈りの報告と神父様のコメントをICレコーダーに録音して次の祈りに入るまでにそれを聴くうちに、私の抱えている問題が少しずつ浮かび上がってきました。
今から15年前、個人黙想で目の見えない不自由さを受け入れる体験がありましたが、それはほんのスタート台に立っただけのことで、この戦いは死ぬまで続くといわれてきました。
交流の困難さを感じる人の癖や欠点に振り回されている自分に先ず気づかされました。その人の問題は横においておき、そのことで振り回されている自分の心の反応をイエス様の前に持っていき照らしていただくように勧められました。
他者の問題と自分の問題をはっきり区別して処理できるよう精神的な自立を育ててゆけるように願いました。
私の問題は、先天盲が持つ、場の空気を読み取る困難があることかと思っていました。しかしそれは人間的レベルのことで、周りのひととうまくいかなくなったときは、どうしたら良いかという考えに従ってゆくよりも、霊的感覚を磨き、その判断で行く方が、神との関係がしっかりとして安定性は保たれます。
霊的感覚とは謙遜のことで、これは「聖ベネディクトの戒律」の第七章に詳しく書かれている心の姿勢のことです。神の前に自分は無であることをいつの間にか忘れてしまう時、問題がでてくるのです。
私は人から判断が正しいと言われたり、自分は見えないことから直観力が働くのでほとんどのことは自分でわかっていると思ってきました。しかし、他者が私のことをわかっていないことに思い至っていませんでした。
他者とコミュニケーションするためには自分のことを伝えなければならないのに面倒臭がって、相手がわかってくれない時は鈍感だと他人のせいにしていたところが見えてきました。
自分が受けとめることと他人が受けとめることには差があり、私が口に出して言わなければ相手は私がわかっていると思い誤解が生じ得るのです。それに気づかず未処理のままになっていた点が照らされました。
今回の内観で頂いた照らしは次のようです。
・ 見えないというハンディーではなくて、見えないことから生じる心の闇が問題。
・ 相手の言っていることを確認するプロセスを持ち、一歩一歩確実に理解を深めていく。
・ 人とのイザコザの時、相手のことを横に置き、自分はどうであるかと言うことをイエスの元に持ってゆき照らしを求める。
内観黙想の終わり頃には、イエスの前で具体的に話すようになっていました。同行してくださった神父様と黙想の間働き、祈ってくださった姉妹たちに感謝し祝福を祈りました。
(2012年45号より)
娘に導かれて
K・A
私共の一人娘(二十八歳・会社員)が、様々に考えることがあったのか、集中内観をしたのは、昨年の十一月のことでした。その後の娘の変貌振りを何と表現したらよいのでしょう。大変身、急成長、あるいは回心……。
先ず「ただいま」と弾んだ声で玄関のドアを開けたかと思うと、迎えた私に「お母さん、これまで育ててくれて、有難うございました」と、床に両手をついて深々と頭を垂れたのでした。私はただただ仰天するばかりで、返す言葉もありませんでした。それからの娘の言動が、内観前とはまるで別人となり、私は、先生の教えに素直に従う生徒のようになりました。言葉の一つ一つに、愛と説得力が満ち満ちているのです。わずか一週間の中で何があったのか、まるで奇蹟に出遭ったようでした。
私は二年前に受洗し、その後は出来る限りミサに与ったり、聖書を学んだり、また、教会の文庫係になって多くの本を読んだりして、自分では結構真面目な信徒だと思っておりました。しかしながら、娘の話を聞いているうち、自分は一度も本気で祈ったことがないのではないか、頭だけの信仰だったのではないかという疑問が湧いてきました。考えてみれば私は、神を「理解しよう」と励むばかりで、神を「感じ」たことはないのでした。娘が「私にはイエス様がいつもついておられる。迷ったとき、お祈りすると、必ず正しい方向を示して下さる。だから大丈夫」と言い切ったときは、心底羨ましいと思いました。そして娘より遅れること二ヶ月、私は同じ会場で屏風の中に坐っていました。
三日目までは、遠い記憶が次々と蘇り、人生の大整理をするような、新鮮な感動さえありました。しかし、四日目、母親である自分の姿を他人の厳しい目で見ることになり、激しい葛藤と自己嫌悪に苦しむことになりました。自分は数々の欠点ゆえ、娘を苦しめたり、恥しい思いをさせてきたりした。私が母から縛られていたように、娘を縛ってきた。そうに違いない。眠れない長い夜でした。そして五日目、私にも嬉しい瞬間が訪れました。姑を調べているときでした。「過去のことはすべて私が引き受けた。これからは故人の魂が安らかになることだけを考えなさい」と、目の前に逞しい男の人が現れ、私にそう言われるのでした。私は「お父さん、わかりました。そうします」と素直に頷きました。
あれから私は、日々、「平和のために私を道具としてお使い下さい」という願いを込めて「南無、アッバ、南無、お父さん」と祈り続けています。
(2012年 45号より)
回心への道のり
東京 M・M
前日の雪が白く残る一月二十四日より、六泊七日の「キリスト者のための内観黙想」に初めて参加させて頂きました。私は亀戸にありますセルフ・サポート研究所の加藤力先生のご指導のもと、「私の生き辛さは自分の傲慢が原因」であると、やっと気づくことが出来ました。しかし、同時に「後悔」が大きく私を押し潰しました。幸い信仰によって、私のような罪深い者でも赦し愛して下さる方のみ名を知っていましたので、勇気を持って進んで来ることが出来ました。一年前に加藤先生よりご紹介を頂き、いつか是非参加したいと願い続けていました「内観瞑想」にやっと導いて頂けました。
はじめて屏風の内に座りますと、半畳の空間が息苦しく感じられ、更にこれから私の心に何が展開するのかと不安も持っていました。私は身体に痛みを持っていますので、椅子を使わせて頂き、藤原神父様が毎夕食後に教えて下さる丁寧な呼吸法を心がけていました。三日目には狭いと感じていた屏風内で、私はスペクタクルな世界を体験しました。今まで頭の中にあったものが分解して、キラキラ光りながら心に落ちて行くようでした。私は一日八回も号泣しながら神父様の面接を受け続けました。そして神父様のお訪ねと共に「断捨離」が出来ていけたと感じます。
帰宅して十日が過ぎました。私が日常生活でいかに不必要な「読む・聴く・観る」に多くの時間を使っていたのかにも気づかせて頂きました。まず、日常内観が出来る「祈りの場所」を整えました。「イエススの御名を呼ぶ呼吸法」を、これからも続けて行きたいと思っています。そして、内観体験への感謝と私の魂の平和が、大切な隣人に伝わり「内観黙想」へ繋がることが出来ますよう祈っています。
(2012年 45号より
「うつ」と「呼吸法」と「イエスの称名」
千葉 I・Y
4年前に縁あって知人の紹介により「キリスト者の内観」にたどり着いた私である。藤原神父様同行のもと何度か集中内観も体験させていただいた。デリケート(良く言えば感性が豊)な私は精神的プレッシャーに弱く、肉体疲労、睡眠不足等に陥ると鬱的傾向が顔を覗かせる。内観のおかげで、生き方が大分改められ、楽になって来た。
そんな私に昨年の4月から久々に満員電車での通勤と言う試練が訪れた。片道1時間半から2時間半の文字通り"痛勤"であった。高校生の時分に始めてラッシュアワーの満員電車にて苦痛な体験をした訳だが、55歳の今でもこの苦痛は変わらない。「うつ」から「パニック」気味になることもかつてはしばしばあった。私が利用せねばならない路線は特に殺人的込み具合では悪名高い。つり革につかまれればラッキー、超満員時は立っていても足の置き場がない。しかし、そんな中でも人の背中で新聞を読んだり、携帯電話でゲームをしている人もいる。しかし私にとっては死活問題であった、電車に乗る時間を出来るだけ早朝にしてみたり、なんとかスペースのある車両はどこか試行錯誤で調べて試し工夫を何度も図った。なかなかうまくは行かなかった。よって痛勤の中で職場に辿り着く頃にはクタクタであった。呼吸のことに意識を向けると、息を潜めて、飲み込んでいる自分がいた。息を飲み込むと余計苦しくなる。
そんなことをいろいろ試した末に浮かんで来たことが、内観中に教わり体験した呼吸法のことであった。周囲の人に妙に思われないようにマスクを装着し、呼吸法を試した。しかし最初は、どうも満員電車ではうまく行かない。そこで改良を何度か試みた。そして吐く息だけに専念してみた。『そう言えば、藤原神父様は、吐く息が大事』とどこかで言われていたことを思い出した。また高校生の頃水泳を習った時、体育の先生から「息は吸おうとせず、プハーっと吐き出せ、そうすれば自然と息継ぎは出来る」のを思い出した。
通勤の満員電車での「吐く息に集中した呼吸法」がようやく板について来た昨年の秋頃であったろうか、今度は仕事中に苦手な事態や人に遭遇すると憂鬱な気分になり「息を止めて(呼吸が浅いのであろう、息が止まっていたら人間は生きていないはず)、肩や首に力を入れている自分を発見。この頃から、息が止まっている(浅い)と気づいた時には、仕事にさしつかえない範囲で息を吐き出すことを始めてみた。トイレに行く時などは、職場の廊下には、あまり人もいないので、息を吐き出すことを意識して行っている。私の場合は、気づいていても何度も、呼吸は浅くなり身体に力が入ってしまい、息を飲み込んでしまう傾向がある。ゆえに、努めて意識して反復してゆくことにしている。
また、私の場合、息を飲み込んでしまうと、「うつ」が顔をもたげて、置かれている事態や状況が冷静に観えなくなる。かつ否定的な感情が頭の中で一杯になり「相手や周囲の人に対して、物事を誇張し、自分を正当化するにはどうしたら良いかと言った雑音・おしゃべりが激しくなる。」この頭のおしゃべりは非常にうるさい!
調子が悪い時や、身体に痛みがある時ほど、どうやら私の場合、呼吸が浅いし、息を飲み込む傾向にある。このことに気づき始めたのも、ここ数ヶ月のことである。その上で、何度気づいても呼吸は浅くなる、飲み込む傾向にある自分には「イエスの称名の祈り」が救いであり助けとなっている。そしてゆるやかにではあるが、自分が創り出している束縛から解放の途上にあることを感じている。どうやら、毎日自分には他者や物事の断片しか観えていないにもかかわらず、それらに対して自分の都合の良い解釈をしている。そのような自己中心的な解釈は、かえって自分を苦しめる。いつの間にかまた、この解釈をしている自分がいる。「イエスの称名の祈り」はそこから、ゆるやかにではあるが解放してくれているようだ。これはあくまでも私の体験であり感じだが、一日の終わりを「イエスの称名の祈り」で浄めると、睡眠の中に汚れたものが入って来ないので、睡眠中が安息になってくれる感じがする。苦しいプロセスの後には、どうやら必ず平安は訪れてくれるようである。どこから来るのか私には理論的にはわからないが、呼吸法と祈りを通して、希望も訪れてくる。ありがたいことだ。合掌。
(2012年 45号より)
2012年内観研修会を終えて
(1)信徒の中に働く聖霊
藤原 直達
今までかたくなに自分の内的刷新として歩んできた内観道であったが、5年ほど前だろうか、内観に参加した人々のアフターケアーのために何かをせねばとの促しを感じた。また、この優れた信仰の内面化の方法を教会内で奉仕する人が出てくればいいなぁと望んだ。とはいえ、これが果たして神の望みか私の邪念であろうか・・・と迷いつつ。それで、面接者の道を学ぼうという掛け声で4、5名の人々が集まった。今思うと、いやに肩に力が入ったものであった。毎年、集まりは継続したが、各地での予定表にしたがっての内観行脚が優先であったので、中身は、私の思うようには進まなかった。
様子が大きくかわったのは、2010年頃からである。私自身の内面でも、大きく動き始めていた。砂漠の師父の内観に触発されて、「イエスの祈り」を始めていた頃である。スタッフとして世話をしてくださる人々にお任せするようにした。研修会後も、彼ら主導で、集まりの報告・冊子が作られた。そして、今年の第五回目の小金井での研修会も、早くから綿密な準備がなされ、24名の同志が集まった。
巷に沢山ある「研修会」「研究会」のイメージを嫌い、面接者育成を主とした「養成コース」でもなく・・・。ひたすら内観者が、更なる信仰に目覚め、清めと愛の道にあゆみ、日本での福音が大地に根ざしたものへとすすむような、聖霊のわざとしての集まりとなるような、そういう願いを持っていた。今回は、最初の頃と違い、自分の肩の力は抜けていた。参加者も、ありのままの自己を語り、それらのはざまには聖霊の息吹の感じる、いわば、「教会協働態」の姿を覚えたのは私だけであったろうか。
以下に、数名の参加者の報告を紹介する。(息吹46号より)
(2)準備という霊的修行のなかで
高階 綾子
今年で5回目を迎えた内観研修会。今回は5名のスタッフが、お世話役を授かりました。私もそのひとりで、まずは準備するのに、心を神様の方に向けることが第一だと思い、3月に1泊2日内観を受けました。その時に藤原神父様に「100日称名」を勧められました。「今からはじめれば、100日後は、研修会の後。研修会の準備から開催を含むので、丁度いい」と思い、はじめました。
呼吸の仕方、座り方、イエスの御名の唱え方、ひととおりを自分の中で確認しながら、毎日1時間。初めはすわり心地が悪く、雑念ばかり…。仕事から帰って、すぐに座るようにすると、仕事と家のことの切り替えがうまくいくようになり、順調な1ヶ月が過ぎました。カレンダーに毎日赤いシールを貼って、「今日も1日イエスの御名を唱えることができた」という達成感を味わっていました。
ある日、家に帰るのが遅くなり、出来ない日があり、シールを貼れませんでした。そんな日が度々起こってくると、その空白が無性に罪悪感、自己嫌悪になり、100日にならない不安と焦り。研修会の準備に心を向けて行くはずなのに…。
そしてゴールデンウィーク。人の出入りが多くて、祈りと呼吸法をする気持ちに全くなれず、ひとり静かな時間があっても、ほかのことをしてしまう。
ゴールデンウィークを終えてからは、ますます状況は悪化してきました。祈ろうと座っても心は上の空…。心身のバランスが崩れはじめ、心は焦り、「こんなんじゃだめだ」と、何をしていてもそわそわ、心が落ち着かない。朝起きると体が重く、気分も最悪。歩くことがやっと。
研修会の開催2日前。準備の作業をしていると、涙がこみ上げ、情けない自分に嫌気がさし、幼い時に泣いたように声を出して泣き「どうしようもない自分、どうにかしてください」と心から泣きました。泣いていると不思議と、暖かいものに包まれているような気配を感じ、しばらくして泣き止むとスッキリとした気持ちになり、作業を続けました。
準備期間を終え、研修会開催。研修会は、日を増すごとに、生き生きとした雰囲気に包まれ、次第に参加している人の表情も明るくなっていきました。
スタッフがそれぞれ持つ個性を発揮していく中で、4名の神父様の貴重なお話、参加者の方々の体験発表、分かち合い。すべてが調和のとれた中での研修会となりました。
もしかしたら、あのときの準備期間中は、神様から与えられた時間だったのかなぁ、とそんな想いが横切り、「ここまでのお導きは、神様のお導きだったのだ。」とあらためて、自分の想いもよらない方法や出来事を通して導かれるのだなあ、と思いました。
研修会を終え100日を過ぎ、またあらたな気持ちで2回目の「100日称名」をはじめています。今は毎日の祈りに力が入らず、「今はわからないけど、お導きくださる方向に進んでいくのであろう」と気持ちにゆとりがもて、日々の祈りをしています。
3)内観は信仰生活そのもの
岡俊郎神父
(長らく、神冥窟におられ、その後、「霊操」的な内観黙想を指導されておられる岡俊郎神父様も、もう八十路に入られましたが、鹿児島から研修会に飛んできて下さいました。その後のお便りから。)
+主の平和
「二〇一二年 キリスト者の内観経験者の研修会IN小金井」に参加させていただき、本当にありがとうございました。
内観が信仰生活の始まりであり、
信仰生活は内観の生き様であり、
神様を天におられる私達の父として、
親子の道(生き様=命のは働きそのもの)として、
内観が地上での生活に根付くのだと教えていただきました。八十の歳に内観が信仰生活そのものだと確信をいただきました。
八十路来て ただありがたく
ひたすらに 神・親心 我が命なり
今後もよろしくお願いします。
・・・中略・・・内観の活躍が、人々の心・魂を目覚めさせ、父なる神様へと元気一杯日々を過ごすことが出来ますように祈りつつ。
合掌・感謝
岡俊郎神父拝
(4)光と闇の調和…宇宙
平野 のぞみ
背の高い樹木に囲まれた聖霊修道院は、バス通り沿いに最初の門があります。一歩中に足を踏み入れ緑の小道を歩き、修道院の玄関を入ると生活音が遮断され静かな空間に包まれます。今回の内観奉仕者研修会は、6月2日(土)〜4日(月)の二泊三日、北は福島、南は沖縄から24名の方が集いました。メインテーマは「和解・赦し・秘跡」。セッション毎に司祭の講話があり、続いて内観体験者の発表、フリー発言との構成でした。セッションのテーマと講話を担当された司祭は、@「内観における和解と赦し」岡神父(イエズス会)A「神学的な観点や秘跡との関連」井原神父(ドミニコ会)B「私の経験・内観と信仰」渡邊神父(ドミニコ会)C「キリスト者の内観道」藤原神父(こころのいほり内観瞑想センター)でした。
始まりの挨拶で、『昨年起きた3・11の大震災、大津波、原発事故、政治、経済、国際社会での変化やヨーロッパの金融危機など、私たちを取り巻く世界の大きな変化を受けて、多くの人々の「人間の元」が壊された感じがする。内観でいう「無常観」が漂うこの時世に内観体験者が集うことは、聖霊の導きであり…』との言葉が交わされるなか、修道院の講話室に居ながら深海に漂っているような奇妙な感覚にとらわれました。
私は今回、準備の段階からこの研究会に関わりましたが「キリスト者の内観者が『自分はどうであるか』という生き方をどのように継続しているか、またそうした生き方こそ、『内なる神との生命の生活へと促される』…ことを参加者たちお互いの息吹を頂きあう、そうした集いになるよう心がけるように」と言われながら用意してきました。また、「自らの内面を清める(回心、メタノイア)ことは、内向きで個人的な事柄に終わるのではなく、社会的、世界的、宇宙的連帯を有している」と年頭の『息吹』の記事にありましたが、始まりの鐘と音と共に参加者の心が一つとなり、ある深さで繋がり始めたようでした。
ある内観者の語る事柄は、幼少期に受けた傷や、子供の問題(不登校や薬物依存症)等、自分自身の弱さやどうしようもない傾向等、「闇」と思えた体験から何を頂いたのかを話されました。Aさんは「私は短気です。短気なのは呼吸が浅いからだと気づかされ、内観後、呼吸法をしていくと変わるのではないかと思い、屏風と鐘を購入し実行してみました。すると内観前は赦せないと思えた人が、自分の心の狭さを拡げるのに貴重な人だったと見方が変わりました」。Bさんは「幼少期にセクハラを受け、幸せを感じるより戦うほうに力を使う自分に気づきました。これからも『コンチクショウ・スピリット』を抱えていきますかとの問いかけに自己変容をテーマに内観を繰り返し受けています」等、時には笑いながら、時にはじわっと涙をしながら体験を共有していました。発表のその場も「内観」の続きの場であり、人前で語る事は自分の傷と思える事に焦点を当てる事です。「キリキリ」と音を立てて傷が開き、開いてみるとドロドロとした「闇」と思えていた事が、徐々に「光」と変えられてゆく瞬間に立ち会うようでした。
井原神父様が講話の中で「キリスト教的に観ると無常は陽炎のような霞のようなものではない。この世で確かなものは何か。本当に常なるものは在る。それは聖霊の光。外から来る。啓示の光として人間の力から届かないものは上からくる。つまり神から来る、確かな拠り所から来るものは、常なるものです。無常から超えたところから神のほうから照らしとして上から来る。」と話されていました。神父様の話を聞きながら、テレビで見た「超新星」の事を思い出しました。宇宙規模の爆発をする超新星は徐々に消え去るのではなく一瞬のうちに爆発をする、そのイベントで進化を終える。その爆発した物質が宇宙空間に放出され、その物質が地球に届き地球の生成発展や私たち自身を構成している元素に影響を及ぼしている。私たちは誰でもそのような遠い爆発の残余物を体の中に持っている…との話題でした。宇宙から届く残余物は目に見えないけれど、地球にも人体にも影響を及ぼしているらしい。目には見えないけれど確かに在るものとしての神と神の愛を同時に想い浮べました。
自分の受けた傷や内なる闇に拘っている間は、光が注がれていても神の愛に包まれていてもその人の心には届かない(受け入れない)。内観を通して、自分自身と人と神と和解することで、『内なる闇』に光が差し込んでくる。「この世は闇ばかり」と思えていた現実の世界が違って見えてくる。内なる無意識の世界は暗いものと思っていたが、内観することで清めて頂くと、神の愛が届いてくる。最初から生まれた時から心の中にあったと気づかされる。内観を深めていくと、「神の愛」「神からの恵み」を頂き上手になるのではないかと思える。修道院の一部屋が「深海」になり「宇宙」になり、神の愛の深さ広さに繋がる研究会でした。
内観経験者の報告
セラピストとして、妻として
売布の十字架の道行からの恵み
157 李 花慈(リ・ファジャ)
(李さんは、ソウルで家族療法研究所所長でカウンセラーです。二度の集中内観と長野草々庵での研修合宿に参加されました。誠実に、自分と向き合い続けて、その報告を送ってきてくださいました。翻訳は「いこいの家」の朴会真さんで、それをさらに校正・編集しました。)
お久しぶりです。遅くなりましたが、
2月の内観で経験したこととその後の心と生活の状態を分ち合いたいと思います。
一つ目は、(売布修道院の)「十字架の道」でキリストの歩まれた道を辿り、自分の人生の道を通察することが出来ました。実際にキリストと道行を一緒にすることで、非常に大きな助けになりました。キリストが初めに捕縛され、重い十字架を背負ってカルワリオの丘を登られます。
途中でキレネ人シモンの助けを受けますが、結局また一人で担いで上られ、苦しく、喉が乾いて、くぎに刺され、引き破かれる痛みを経験しながら死んで行かれました。この十字架の道を歩きながら、私の心の中で、ただキリストだけが人類と私の救い主であることを確認する体験をしました。それは私には言葉では説明しにくい聖霊の恵みだったと思います。
私はあの時、人間の生涯に関して深い気付きを得ました。それは、すべての人は何かに注意が縛られ、 泥み、 捕らわれてしまいます。それとともに様々なことで心が占められ、「所有し」「コントロール」しながら生きて行きます。そして、各自の人生に与えられた重荷を一人で担ぎ、重くて苦しくて、誰かの助けを求めます。
助けも受けますが、結局このすべての荷物を一人で背負って闇の中、死の谷間を行くようになります。 誰もどうしようも出来ない一人だけの渇きを体験しながら暮しています。キリストが私たちすべての人の行路を例示なさって、一つ一つ繊細に先にその道を歩まれ、私達の代表として死んだ。このとき、十字架という言葉が、「はっと」理解できました。
一気に気付が生じて、聖書の中のキリストの出来事が解かるような体験でした。私には感情的な出会いではなく、別の次元での神様にお会いした気持ちでした。それまで私は自分の感情と考えの深い所すなわち無意識の深層的な領域に生きて働く神様を感じたかった。
自分の内面から決して変わることのないキリストを所有したかった。そしてこのたび、キリストは自分の丹田に座っておられることを感じることができました。すべてが
神様の恵みでした。
二つ目は、神父様からいただいた言葉からの恵みです。詩編 131編は私の人生と現在を生きる中で必ず必要なみ言葉でした。与えられたみ言葉を、自分の部屋の中に大きく印刷して黙想しています。また神父様の長い内観面接者としての経験で身についた直感でくださる話は私には宝石のように聞こえました。特に私が自分の人生をよりよく生きるため、最善をつくして自分なりに熱心に生きてきた方法が、実は徹底的に外観中心の生き方だったのがわかりました。
例えば神父様の 「プラスがマイナスになりましたね」 というフィードバックは一生忘れることができない、私の生き方を代表する言葉でありました。
私が今まで積んで来た沢山の習慣や価値観などが外観中心になった時、一番近い夫には大きいマイナスになったという話になります。大きく打たれた感じを受けました。
これまでの私は、現実で、暖かい情緒が流れてお互いが交わす言葉につやがあふれ、親しみを交流する時、生きがいを感じると、夫に主張して生きて来ました。ところが夫の引退以後、お金の問題で意見の対立が生じた時、混乱と難しさを覚えていました。そして、葛藤が深くなり、夫が事業で生じた難しいことに際して、私と私の弟(妹)のとった態度を許すことができない、それゆえ私たちが仲良く生きることができなくなったと、私は考えて来ました。
ところが、今は自分の責任も非常に大きいということに気付き、認めるようになりました。何故なら、私が夫と一緒の人生で、私が持っているプラス要因が、彼には負担になり緊張と不安を与えたことを認めるようになりました。自分が夫の領域までも侵犯して、彼を無力にした(苦しめていた)ことに気付かされました。
それまでは自分の立場だけ考えて、私はずっと自分だけが夫を深く愛して真心を入れて、一緒に作り上げていたと考えていたが、裏を返せば、そのすべてのもの(自分の熱心と助け)が夫には過負荷がかかっていたこと、緊張と混乱を引きおこし、そして不当さと怒りになったと分かりました。私の心は引っ繰り返えりました。
私の愛した方法が間違っていたことをしり、虚しくてなさけなくなり、 完全に落ち込んでしまいました。
ちょうどその頃、夫との関係がうまく行かない時点だったので内観を継続していたのですが、私の今までと同じ生き方では夫を本当に助けることが出来ないと思い、力がなくなっていました。ちょうどそのとき、指導者は「プラスがマイナスになります」との言葉。「あぁ
!! 私は人生を逆から観ていたのだと気付いた!!」。今までの行動に対する懺悔の潮が押し寄せてきて、泣くことすら出来ませんでした。これから人生を新しく設計しなおさなければならない。新しく組織しなおししたい。
どうやって生きればいいか。逆に生きて来た方法を長続かせないために、はじめから祈らなければならなかった。その後、徐々に現実で自分の心がバランスを取り戻し、自分が生きてきたすべてが否定的なものではなかったことをも確認して、自らを受け入れる時、私は現実的に、きちんとまた立つことができました。
三つ目。長い間、外観中心に生きてきた私には、ゆっくりと細く長くする呼吸をしていなかったです。これは、今まで能力中心にいきた考え方と生活方式がありましたので、内観中心の日常生活習慣の流れに変化して行くのにはだいぶ時間がかかりそうそうでした。
まず私は夜明けに起きて20分の呼吸をはじめましたが、難しかったです。私の呼吸は自動的に早く動くことになれていて、呼吸にだけ注意を集めて神様だけを見つめるには、私の筋肉と体がついていけませんでした。
けれども、その時から、私はカウンセリングしている自分、講義をしている自分、本を書いてる自分、朝ごと庭園の花と木を育てる自分…という風に、人や言動に対しての自分を観察するようになり、自分の欲求や我欲が多く所有し、コントロールしたがる自分をもっと眺める時間を持ちました。自分のエゴを観察して感じて経験しながら、自分の行動が自分以外の人にどんな影響を及ぼしているか、そしてそこから生じている他者の心への影響、それに対する自分自身の反応を注意深く観察する演習をしました。
自分の反応方式は、泡がたくさん立ちあがり、不必要な反応をしていました。例えば、心からの親切よりは笑うことで誇張する態度、強調、先回りして応じること、
知らずに自分の力を誇示して人から誉れを得ようとする自分。
その後、キリストには、この世を生きる中で、一切のお世辞も貪欲もない姿を黙想する時間がありました。しかし、そうすればするほど自分の力では難しく、無力と無能に思われ、精神と魂を神様に「委ねる」ことしか出来ないと思いました。
四つ目。 私は新しい呼吸を始めました。一日 20分間、 50回位の呼吸の演習を神父様から教えられたようにしています。まだ何日もたっていません。
よくできなくてもはじめました。呼吸に対してはずいぶん前から気付きがありました。呼吸は神様からいただいた命です。人にはそれぞれ呼吸の道が違って模様と状態も違います。浅い、中間、深い。苦しい息、荒た息、嘆く息、
消えて行く息、 詰まってよく出ない息、 良い息など・・・。呼吸はその人の状態を現わしてくれます。息が細く、長く、深い息を吐き出している状態は、神様がくださる平安な息になります。 神父様が教えてくださったゆっくり細くて長く吐き出す息。
私は息を意識しながらする練習をしています。それとともに自分自身が自分の呼吸に帰って来た自分を眺めています。 繰り返えしてまわり、また戻って。席へ座っている感じ。今ここに自分としている。
そして、その方の腕の中に。このような瞬間、息を吹き込んで創造し、平安になれと言われた創造主である神様のみ言葉を黙想します。
ここまで。 2月の内観の以後、現在までの自分の考えと感情、そして、行動の変化を記録して送ります。 やっと課題をなし終えて、心の負担を減らようになりました。神父様ありがとうございます。自分の中で、神父様への深い信頼と感謝、喜びがあります。これからも内観を続けられることを願います。よろしくお願いします。
ガリラヤの湖畔で、御言葉とパンをいただく
158 M・M
三年前に内観をして、自分の姿がもう少しよく見えてきたつもりでした。最近、具体的な会社経営のことで、家族や姉妹との関係・現実の中で、私は自分を明け渡してい…、何かに恐れていて「YES・NO」をはっきり言えない自分…このことを長男からも指摘されました。良くしてきたつもり、愛してきたつもりだけれど、どうしても自分の心を開いていない部分が見えてきました。人を愛するとは…?これではいけないと思い、もう一度内観をしたくなり、急遽、唐崎会場に飛んでいきました。
琵琶湖のほとりにある唐崎修道院では、ガリラヤ湖畔でイエス様が人々に説教しておられて、それを聞いている群集の一人として、過ごす事ができました。また、湖を眺めながらのおいしい食事をしながら、神様は心の恵みだけではなくて、体(現実)に必要なもの(パン)も豊かにしてくださる事を実感しました。「だいじょうぶ、現実の中でもだいじょうぶ」という気持ちが沸き起こってきました。
内観して自分に気づいたのは、私は心に鍵をかけていて、人に見せないことで自分を守っている…他人のことは覗き見をせずにいるが、それ以上知らないで済ませようとしている自分…。
だから、他人の必要が見えず、お返しもできていない。NOということや、それ以上に力を出して関わる事が苦手。こういうわけだから、愛においても、逃げている自分の姿…というカラクリが分かりました。本当に相手のところにくだって行くイエス様との違い…を感じました。
「盲人が見えるようになり、とらわれ人が解放され」という御言葉が、本当に自分の事だった。内観して、目からウロコがはげおちたようでした。そして、それが、主イエスによって今も実現している(進行形)のだということが良く分かりました。
現実に戻っては、自分の怖く感じることも、イエス様は「だいじょうぶ、だいじょうぶ」といってくださっているから、たとえ小さくともきっと足場や手がかりがあるので、しっかり探す努力をして進もうと思う。(息吹46号より)
内観経験者の感想
(岡山にNPO法人「マザーリーフ」(理事長 藤恵子 HPで検索を)という、主として女性向けの様々な勉強会や傾聴訓練などを開き、一般市民向けに「心のケア−」を精力的に活動しているグループがあります。理事長が内観を行い、その後、「カウンセラーは内観をするべし」(息吹36号参照)と号令をかけ、次々と世話人たちが一週間の集中内観を行い、昨年からは自分達もミニ内観指導を始めています。以下、ある世話人の内観体験談を紹介します。)
159 岡山 TT(62歳)
内観を終えて「ただただ有難かった」というのが率直な感想です。うやむやにしていた事、目を背に向けていた事に直面させていただき、出来れば自分が苦しんでいた事に免じて赦された事にしてしまいたかった、誤った道へ行ってしまいそうだった私を、自ら気付かせていただきました。それには、同行してくださった神父様、シスター様達のお力をお借りして、出来たお陰です。長年、もがいてきましたが、この内観以外では、解決を得られないことでした。
自分の業の深さ 今後、集中内観から日常内観へとすすみたい。それは人間だから、しなければなら、どこまでも求める欲深さ、我の強さ、執着心などを、つくづく気付かせて頂きました。それにより、これからの道を歩んでいく方向・道を見出しました。まだ、単なる道への矢印、まだ小さな矢印ですが、そのようなわずかな光を見出したことが、ただ有難かったです。ここに呼んでくださった神様に感謝です。
集中内観を振り返って特に気付いたのは、あるひとつの事象、人間関係において、被害者・加害者の区別はないということ。ただ、どうしてよいか分からないだけではないか、と言うことでいた。それと関連して、全てのものには光と影、陽と陰があり、どちら側にいようと、自分の魂で、どちらにも存在できる、と言うことでした。
自分への戒めとしては、物事は急がない(せっかちだから)こと。自分には限界があり、努力しても報われなかったりする。一生懸命すればよいのではなく、力を抜き、大いなるものにゆだねること。それを見極める眼(観)、耳(聴)を持って、自分を観て、他人の聲を聴くことの大事さ。
こうした体験を得ることが出来た環境として、出して頂いている食事の有難さ、その大切さ。主人のお弁当をもっと心をこめて作ろうと反省します。それに、同行者のまなざしです。きびしくて、そして、とてつもなく優しいまなざしで、それによって、とても励まされるということ。さらに、夜の「調息(呼吸法)」のすばらしさ。これは内観修行に必須であると感じました。
今後、集中内観から日常内観へ進みたい。それは人間だから、しなければならない。
引き続いての集中内観の参加、予定計画を考えています。ありがとうございました。
(息吹47号 2012年クリスマス より)
ソウルでの集中内観
(ソウルで家族療法室を開いている韓さんと金さんは、何度も来日して集中内観を重ね、さらに勉強会・研修会を持ち、今夏には函館のトラピストで黙想を行い、この9月にソウルの修道院で12名の参加者(親子6組)をえて、集中内観同行をなさいました。はじめから12名の面接は、大変だったようですが、持ち前の信仰とファイトで、無事に終えられました。その簡単な報告を以下に。)
160 ソウル 韓城蘭
初めての私どもの内観面接は、不安もありましたが、メールで励ましてくださったり、お祈りしてくださってありがとうございました。お陰で無事に終えることが出来ました。簡単ですが、その報告をさせて頂きます。
第1日目は午後 2時 30分までに、修道院に集まりました。 私と金は 12時から内観者たちを迎える準備をしました。 オリエンテーションの代わりに、各々が決まった部屋に入って、すぐに内観を始めました。内観の簡単な説明と方法は、すでに説明を聞いていた人がいたので、各自の状況に適応して内観を始めました。
内観に参加した人は神父様の内観に一度参加した人を含め12人でした。
修道院で定められた会場・宿所は本館 4階であって、長い廊下を中心に両方部屋がありました。 部屋の最後に休憩室と結構広い祈祷室があり、私たちも使うことができました。
聖書の分ち合いと呼吸・ 体操を自由にできる広い祈祷室でした。
第一日目は、夕食( 6時)の前までに、2回の内観面接ができました。 夕食後は呼吸と体操で仕上げ、翌日のために早々に寝ました。
金さんと私は短い報告会を持って、内観者たちのために祈って、一日を終わりました。
第2日目からは 5時30分に起床して、7時 30分の食事時間の前までに一回面接をしました。朝食の後、午前中二回の面接、そして、十字架の道を沈黙しながら歩きました。午前中は聖書の黙想を神父様から教えられたように(順番に聖書を繰り返して三回読んでから、各自気付いたことを分ち合う)分かち合いました。お昼から夕食まで
三回の内観をしました。一日の面接は合計六回でした。
以上のような流れでスタートしましたが、二日目に私に変な症状が起こりました。面接をしながら急に息が止まって、呼吸するのが辛い感じでした。
面接を終えて礼拜堂に行って大字で横になって深い呼吸をして、さまざまな試みをしましたがなかなか回復できませんでした。内観の準備をしながらいろいろ大変だったことが考えの中に押し寄せ始めました。
それとともに自分自身が私を攻撃し始めました。資格もないのにこんなに多くの人々を連れてここまで来るなんて、自分を責め始めました。
次の面接の前、息の詰まる症状がもっとひどく現われました。目を閉じて内観を休む事にしました。 そして神様に向けて抗議しながら、ここまで来た自分を見つめました。でも、ここまで来たことができたことも神様のお導きでした。神様は、すべての事の責任を負わなければならないことはない、とおっしゃるようでした。考えて見たら、人を集める事から私がしたことは何もなかったことに気がつきました。内観の日が近づくほどに、希望者の人数は増えました。内観の準備から今まで、私は通路の役目ばかりでした。一人で黙想をしている時、金さんも悩みながら入って来ました。
二人でお祈りしながら証しをし、もう一度神様に委ねるお祈りをしました。その後は、そんな症状は最後まで一回も現われなかったです。面接を通して多くのことを教えられたようでした。
三日目からはすべてが安定的でした。 しかし、一人の青年男子に問題が現われ始めました。彼は三日目からは断食までしながら面接を拒否しました。その日の晩に彼の話を聴きました。二人で泣きました。親に対して暴力をする彼の話を聴きました。彼はゲーム中毒でした。彼を神様に委ねる祈りをしました。彼は自分に対して親も自分も皆あきらめた状態でした。
彼は自分に対してよく分かっている状態でした。
四日目はいろいろと疲れはじめました。日曜日の午前 7時にミサがありました。例の青年以外はミサに参加しました。 その後、聖書の分かち合いはしないで、内観に入りました。内観の雰囲気に熱心が出てきました。みんなあまり上手なので、金さんも私も驚きました。私たちと比べてどうしてみんなこんなに上手なのかと冗談で話しました。青年とは聖書を持って分ち合いの時間を持ちました。その後、彼は少し変わってきました。
最後の日は朝から雨で大変でしたが、青年が最後まで屏風の後片付けを全部してくれました。彼は行動で自分の変化を見せてくれました。内観を終えて、みんなで写真を撮って、次の内観を約束しました。
最後の日に、参加者にアンケート(振り返り)を次のようにいたしました。
1)今回、私たちは「呼吸法と内観」を体験をしました。呼吸法に対してどんな体験をしましたか? 内観に対してどんな体験をしましたか?
2) 内観で一番心に残る内容と場面は何ですか? 一番感動したことと、一番つらかった場面は何ですか?
3) 内観をして苦しかったこととか不便だったことは何ですか?
4) みなさんの現実の中で,呼吸法と内観をどのように実践しますか?
内観が終わってから、アンケートの内容を簡単に以下のように整理しました。参加者の大体の感想が解るでしょう。
1)呼吸法は難しく感じましたが続けたいと思います。内観を通じて、過去の挫折や痛かった部分が恵みであったことに気付かされました。自分も迷惑をかけていたことがわかりました。
2) 母に対しての内観で、母の心が分かるような感じを受けました。 感動したことは、母に対する新しい認識と、聖霊が思いもよらない部分まで見えるようにしてくださったことです。自分の過ちを認めることが大変でした。
3) 初めはよく理解ができなくて、難しかった。 姿勢や行動もちょっと不便でした。
4) これから家に帰って「呼吸法と内観」の説明を思い出して、続けたいと思いました。
以上のような雰囲気でしたが、ご指導、励まし、お祈りをありがとうございました。
追記
屏風を10基、内観経験者が特別注文して、小さめのものを用意しました。また、神父様の冊子や面接時のカードをハングル語で編集・作成し一冊のノート風にして、書き込み可能なものを準備しました。
集中内観の流れは、自分達が過去5回経験した「キリスト者の内観」を基盤にしました。
さらに、聖書の分かち合いをも加えました。これも、「福岡黙想の家」で経験したものからのものです。
(以上、朴会真さんが翻訳したものを、藤原が編集しました。 息吹47号 より)
内観道・称名道
S.H.(島原)
私は3年ほど前に「キリスト者の内観瞑想」に出会った。「私の内観はキリストへの信仰を身につける道としての内観である」と師は言われる。信仰について「信仰をもつ、信仰が強い、信仰が深い、信仰に生きる」などよく聞く。しかし内観道では「信仰を身につける」と言う。どうしたら、内観を通して「信仰を身につける」事ができるのだろうか。
過去3回集中内観黙想を体験し、求めていたものに出会ったという喜びを覚えた。指導に従い、内観後も100日間「主 イエスさま、私を憐れんで下さい」の祈りを日々の「行」として始めた。それは今も続けている。すべて「道」と名のつく事は、継続してこそ身につくものであることを、我々は経験的に知っている。この称名道や内観道もしかりと思う。
しかしこの「イエスのみ名の祈り」も単に機械的に繰り返すだけでは足りない。初期の頃はそうであったとしても忍耐して継続していると、徐々にイエスのみ名が祈る人の心の闇を追い払い、心が清められ、内観による自己洞察も次第に深められていくのを感じてくるのである。そのことを私は最近おぼろげながら気づき始めている。祈るほどに己の心の闇を自覚させられるからである。岩盤のような傲慢な心が少しずつ砕かれていく。
また、ある出来事の中で、人を厳しく裁いていたが、私の方にこそ大きな落ち度があったではないか。他人の悪口に平気で迎合していた自分が、逆に、ふと悪口を言われている人への理解あることばで乗り切れたり、思いわずらいや不安が少なくなり、主にゆだねれるようになってる私に変えられているのである。これらは小さな事のようであるが、私にとってそうではない。従来の私には決してできなかったことだからである。内観道と称名道を続けることにより次第に自力では何もできない自分を認めれるようになり、神のみ前に小さくなってひれふし、「主よ、私は盲人です。目を開いて下さい。主よ、憐れんで下さい」と何度も叫んだ。神は憐れみ、必要な恵みを与えられ、神の力、聖霊の助けによってできたのだと心からそう思っている。心が闇の勢力に支配されている時、自力でどんなに努力してもできなかったことがイエスのみ名の力によって闇が追い払われ、可能になったとしか言いようがない。同じ内容の告白を何回も繰り返し、多くの書物を読みあさり、頭で理解していてもできなかったことが、称名道を継続することで、内観が深められ、ますます自分の無力さへの自覚と、イエスへの信頼が増し、みことばへの飢えも強まってきているのを感じる。両者は切っても切れない関係にあり、私を少しずつ変容してくれているのではないかと思う。「あるロシアの無名の順礼者」に登場する人たちが口を揃えて言っている「この祈りを生涯死ぬまで続けたい」の意味が理解できるようになったし、私も彼らのようになりたいと願い精進する日々である。
この道は実践の道である。このたび、私は乏しい体験から分かち合ったに過ぎない。しかし、そのすばらしさを実感してからは、朝、目が覚めたら自然にこの祈りが出てくるし、道を歩くときも、掃除や料理をしている時もこの祈りが口にのぼっている自分を見いだす。そしてことばでは表現しきれない何かを感じている。それは平和(シャローム)かも知れない。弱い私に希望と喜びを与えてくれている事は事実である。主と共にある状態は神の国であろう。しかしまだその途上に生きる私たちは、目覚めて、信仰を固め(身につけて)これに立ち向かわねばならない。その時の最大で最強の武器こそ、聖なる使徒たちの勧める祈り「主 イエス・キリスト 神の子 私を憐れんでください」の心の祈りではないだろうか。
(2013年息吹48号より)
おっと どっこい
163 KK 茨城
「ハウルの動く城」という宮崎アニメがあります。ハウルの動く城には外へ通じる魔法の扉が一つあります。魔法の扉の上には4つの行き先表示盤があって、行きたいところに矢印をあわせると、外の世界にある扉とつながり、草原や海辺の町、お城のある町や暗黒の空へ通じています。
内観を始める前、私は外の世界から『私』という存在を見ていました。人生に目標がなく、人間関係は簡素で、波風の立たない静かな毎日を流されるように生きていました。心の中にはたくさんのおしゃべりが渦巻いていて、誰かといろいろ分かち合い、笑いあい、意見を交換したかった。でも、私の考えやユーモアを表現するのが怖くて、愛犬たちを相手におしゃべりをしていました。
そんな毎日は、私の心の緑を枯らせて、寂しさという砂漠を広げていきました。そして、「こんな風に生きていたら、絶対天国にいけない。神様が与えてくださった使命を早く見つけて、さっさとそれを済ませちゃって、とっととこの世を去ろう・・・」というのが当面の目標になっていきました。もともと物事を突き詰めて考えるのも好きだったので、自己分析は大好き。自分の外側(環境や他人)を変えるよりも、自分自身を変えてしまったほうが早い!寂しさを感じるのは、私の心のどこかに欠陥があるからかもしれない。そんなすがるような思いで心理学にはまっていきました。勉強を続けていく中で、「私」という存在を外側から見る練習をたくさんしてきました。
その過程で、『客観的に分析し、理性的に受け入れる。』という方法を身につけていくことはできました。でも、心理学を勉強し、自分自身を客観的にみつめ、理解できても、心の奥のほうにある「寂しさ」という砂漠はどんどん広がる一方でした。
内観という療法は、いつか受けてみたいと考えていましたが、今年、手書きの藤原神父様のイラスト入りの案内を霊的姉が送ってくださいました。そのイラストにはお髭の長い、昔の中国の仙人をイメージする神父様が描かれていました。その顔はにっこりと微笑まれていて、これだ!と感じ、さっさと入金まで済ませてしまいました。でも、開催日1週間前からはだんだん不安になり、屏風の中で息絶えてしまうのではないか、と真顔で夫に相談する始末。会場に着いてからもずっと霊的姉に不安を訴え続ける中、内観が始まりました。
屏風を見つめているといろいろな考えが頭をめぐります。考え事は大好きですし、今までの人生のトピックスは、勉強中に何度も考え、分析の題材にしてきたのですぐに見つかりました。でもそれが、内観しているのか、考えに流されているのか、自信が持てない状況で始まった1日目。夕食のあと、藤原神父様から「細かく考えられるのは恵みですが、その『考え』が始まったら、『おっとどっこい♪』と考えを振り切ってみることが必要ですね。」という何気ない言葉を頂きました。その晩、テープを聴きながら、「おっとどっこい♪」という言葉を考え眠りにつきました。
翌日から母の内観を深めていきました。今までの心理学勉強中にでてきた題材を中心に内観を進めていくと、私の「心で感じたこと」がいろいろと浮かんできました。内観の3つの視点で考えることで、過去にあった出来事は「外側」の経験にしか過ぎなくて、私が「感じたこと」はその出来事の内側にあることを発見しました。さらにさらに、「私の感じていたこと」を振り返ると、母の溢れるばかりの愛情があることに気がつきました。
母親に十分愛されてこなかったから・・・なんて慣れっこになってしまっていた心理学的に考えはじめると、「おっと〜!どっこい♪」とやって内観的に見直す。すると、幼少期から今まで大好きな母と二人三脚で生きてきたんだと気がつく。これは、私の心の寂しい砂漠に、ゲリラ豪雨が降ってきたような感覚でした。
主人公のソフィーがやっとのことで、ハウルの動く城の中に入り込んだように、私も、私の心の中の城にやっと入り込むことができました。内観をするということは、内側から自分を見ることかも知れません。思考や感情で渦巻く経験を断捨離し、「していただいた」視点で見直していくことことで、客観的事実のみを観察し、暖かな光を当て、感謝の思い出に変化させていく。今までの過去のトピックスは、冷たい「事実」でしたが、内観をすることによって、暖かな「経験」に変わっていきました。母の春の日のようなふんわりと暖かい愛情。父の夏休みのようなきらきらした愛情に感謝しました。両親からの深い愛情に気がつくにつれて、私の中の「愛されてこなかった不足感」から生まれていたアイデンティティの揺らぎが、間違いだったことに気づかされ、私は生まれてきてよかったんだ、という安心感で満たされていきました。
内観をすすめていると、不安感とともに後頭部が痛くなってきました。面談でそのことを話すと、「あなたの中にある霊性の部分がすっかり置き去りになってしまったからではないか。キリスト者としてイエスさまと生きる生活と現実生活のギャップが拍車をかけているのでは?」と神父様から。『おっとどっこい♪』頭痛とイエス様とこんなところで関係してくるとは!小さいころから一緒に生きてきたイエス様を、生活の中で、合理的に忘れてしまってたなと、朝晩の祈りやミサに授かりながら思い出していました。神父様は続けて「あなたの中に不安感が生まれてきたら、それを『おっとどっこい♪』と十字架のイエス様にはりつけてみたらどうだろう?具体的には『考え』が出てきたら『おっとどっこい♪』と掛け声をかけて、そこから出て、行動をしてみる。例えば、イエス様の呼吸法をしてみるとかね。」神父様がにっこり笑いました。
それから「おっとどっこい♪」は怒涛のように私を襲いはじめました。誰にでもどんな人にも手をさしのべなければならない、と考えていた私・・・「おっとどっこい♪」神様は、聞く耳を持たない、見る目を持たないソドムの町の人を滅ぼしてしまいましたが、それはその人の責任の問題で、私は他人の救世主になる必要はない。イエス様は人間だったのに十字架に張り付けられるという苦労を背負われたのだから、私のような凡人の苦労まで背負わすなんて申し訳ない・・・と考えると「おっとどっこい♪」その凡人の苦労を分かち合うために死んでくださったのだ。驕りたかぶる私、偉そうな態度の私、たかびーな私が心に現れたら・・・「おっとどっこい♪」その心を十字架に張り付けて、私も一度イエス様と死のう。そして謙遜の心で生まれ変わろう。成長し、社会がどんどん大きくなると、それにつれて「話が分かる」「話ができる」人たちが減っていきました。そんな社会人としての焦りに悩むと・・・「おっとどっこい♪」霊性が異なる人との間には言葉はない。共通の体験、共通の土俵があってこその通じる会話・友人である。毎日、思索、考え、どうでもいいことが頭を駆け回る。心の中では怒りや悲しみなど感情がうごめく。それらは、はげたかの両方の翼のように私自身をかき回す・・・「おっとどっこい♪」目を開いて主の名を唱えて呼吸しよう。はげたかの翼が、天使の翼に変わるから。
内観が終わってみると、私の心の部屋にも外へつながる魔法の扉があることが分かりました。そして行き先もいくつかあることも分かりました。「今の私」の扉・・・現在の社会を生きている厳しい現実にさらされている世界。「過去の私」の扉・・・両親や姉妹たちに深く愛されてきた暖かい家庭を基盤とした世界。「神様と私」の扉(この扉のマークはきっと十字架ですね)・・・悩み苦しみのとき、壁があるときに逃げてゆける世界。「これからの私」の扉・・・これは秘密です♪
今までは「今の私」の扉しか見えていませんでした。これからは、残りの扉を使うことができます。現実の世界に返ってくると、やっぱり今までの惰性に引っ張られてしまいます。そのとき扉を思い出し、「神様と私」の扉を開くようにしています。
魔法の扉にかける呪文は、やっぱり『おっとどっこい♪』
(2013年夏号・息吹より)
仁王から神風まで
164 岡山 YK
内観面接中に、「神父様、私が仁王のような怖い顔で(胃が痛いと苦しんでいる)夫を見下ろしていました!」と言ったのは、私と夫の結婚1年目から5年目の見直しの時のことでした。言い終わった後、神父様は、「では(この時期のあなたの心の風景を表す)キーワードは仁王としましょう」と言われて、去って行かれました。
私は、キーワード?と不思議に思いながら、結婚6年目から10年目の見直しとなりました。そして又、次の面接で、神父様は「ではキーワードは何ですかね?」と。私はまた出てきたイメージで「ジェットコースター」と言いました。そんなキーワードをイメージしながらの見直しは続いていきました。11年目から15年目が「被害者意識」。15年目から20年目が「私○、あなた×」。21年目から27年目が「神様の風」。
一通り見終わった後、神父様は「キーワードから見えてくるものを、もう一度全体的に内観を反復し、咀嚼してみましょう」と。私はキーワードの一つ一つを結婚生活の流れを含めて観想してみました。「仁王
は怖い顔だけれど、(その時の私は分かっていなかったけれど)その家をいざという時には強く守る力でもある。「ジェットコースター
は、上がったり下がったりの色々な環境の変化をガーガー言いながら、目先の事ばかり考えて、不安がったり楽しんだりの時期。「被害者意識
は少しずつ内面を考えるようになったが、まだ自分中心でしか物事が考えられず、夫を私の加害者に仕立てて、妄想していた時期。「私○、あなた×
は色々な考え方、価値観があることは分かっているのだが、違う価値観に対して、もがきながら認められない時期。「神様の風
は「もういいではないか」と大きなものからのメッセージ。「わたしは今までお前を観てきた。もうそろそろわかろうよ。色々な風があるんだよ。この家に新しい風をふきこんでもいいんだよ
と諭されたような。
「神様の風」と言ったのは、実は、最近、伊勢神宮に夫婦で行った時のこと。神殿の幕が風に揺られて動き、その薄暗い奥が見えた瞬間のこと。そのときに、アチラからの神様の風を感じ、私は涙があふれ出てきて、全身温かいもので包まれた。同時に、夫も鳥肌がたち神風を感じた・・・といった。この出来事のお話を報告した。
そして「風
を考えながらもう一度観てみました。「仁王」は強い風だけど、その家を守る役もある。強い風も必要。ジェットコースターのような遊びの風も必要。自分の内面に吹く渦のような風も必要。全部必要なの。でも一番大切なのは、大きなものの力、神様の風が一番大切。忘れないでと。
風が吹いた時は、周りが問題じゃないよ。自分の内面を観ましょう、との気づきに何か開放感を味わいました。
神父様のキーワードを決める勧めで、こんなにも大きな気づきをもたらして下さったことに、改めて内観に不思議な力を感じました。私にとって集中内観を繰り返す中で、力の入った内観から解放に向かい、さわやかな風が吹くような心地良い内観になっていきました。神父様がミサの中で、「ご自分の中にモンスターや仁王を観た人は幸いです。なぜなら、もし、それを気付かないままなら、知らないで他人を傷つけている事もあります」と。そして「ご主人と共に神様の風を感じた事、これからの夫婦としての大事な絆です。神様が見守って下さいます」とミサの中で?手してくださった。これも、又、私の中に温かい風が吹いた瞬間でした。
その日の唐崎の朝日は美しく、目の前の琵琶湖にも風が吹いていました。
(息吹50号より 2014年新年号)
二人の恩師の帰天
「アッバ・アッバ・南無アッバ」の井上洋治師
井上洋治神父様(東京教区)が2014年3月8日(86歳)にご帰天。幼きイエスの聖テレジアの影響を受けて受洗し、戦後、作家遠藤周作と同じ船で渡仏し、カルメル会の霊性研究をはじめられた。その困難な中で、東方教会の聖人グレゴリオス・パラマスの著作と出会い、日本の土壌に相応しいイエスの福音を・・・と促されて帰国。その後、師の活躍は人々の周知の通り。沢山の本を書いておられる。息を引き取る最後まで「南無アッバ」の称名をされていました、とは師の愛弟子・ノートルダム清心女子大学教授・山根道公氏(「風」編集室長)の証言。
小生が、東京で「カトリック的な内観」を旗揚げしたころ、新宿住友ビル48階を会場とした「朝日カルチャーセンター」のご自分の後任として私をひきだしてくださった。挨拶に、一升瓶をぶら下げて、彼の住まいのある早稲田の道を行ったのを懐かしく思う。2年近くのカルチャースクールでの講義をきっかけとして、私も日本という風土でのキリスト教信仰の実践としての内観の探求が本格化した。摂理の糸は不思議で、彼がグレゴリオス・パラマスから影響を受けて・・・が、内観指導の約10年を経て私にも生じ、いまはすっかり東方教父の霊性に、はまっている。
ところで、井上神父様は長い思索と研究・模索の後、キリスト教の文化内開花(インカルチュレイショ)は、もはや机の上での観念や論文で生じるのではなくて、信仰者の現実生活において・・・と、法然の念仏専修に惹かれて、みずからも「アッバ、アッバ、南無アッバ」の「称名」を伝えておられた。
最後に至りついた信仰の表われとして「幼子」のような単純な心での「称名」という祈りの境地は、洗礼時に影響を受けたリジューの聖テレーズの道を生涯歩まれたと言えるのではないだろうか。身をもって「称名道」に生きられたところに日本的キリスト教霊性の先駆者を見る思いがする。
伝統的な称名的祈り「イエスの名を呼ぶ祈り」の実践の重要性に気づく人もますます増えてくるなかで、井上神父様の実践道は大きいと思います。
合掌!
南無!
イエス!
隠世修道士シメオン師
シメオン高橋正行神父様、2013年12月13日(82歳)ご帰天。16歳で厳律シトー会・灯台の聖母トラピスト修道院(北斗市)に入会し、82歳までの66年間、生涯同じ修道院内で隠世生活を送っておられました。それは厳しい沈黙の中での「祈りと労働」に従事した観想生活でした。
彼がセル・パスツール著『イエススの祈り』(あかし書房1978年)を翻訳出版されたことで、私も自分流にイエスの御名をとなえるようになり、まだ見知らぬ師に手紙を差し上げたのが御縁の始まりであった。その後、30年近く経て、つまり、私の内観指導が展開していくうちに、再び「イエスの祈り」(称名)と「教父霊性」に目覚め、故田村忠義神父様による引き合わせ以来(2007年)、シメオン高橋師と度々会うようになる。毎年、当別の修道院に彼を尋ねて、朝3時45分からの勤行に共に参加し、親しくお教えを受けていた。厳しい労働と生活を背景にし(実は、彼はたくさんの病気を経験しておられたのだが)、身に沁みこんだ観想の泉から溢れでる話は聴く者の魂を惹きつけ、中身の深くて濃いものであり、「本格的な修道者だ」と感じさせてくれた。
ベネディクトの戒律、シトー会の聖
なる戒律を深めるために、それらの基盤である東方教会の教父・霊性を探求しつつの沈黙の生活であった。「教会の祈り」の読書課第二朗読の教父の幾つかの翻訳をはじめ、ジャン・イヴ・ルルー『アトスからの言葉』(あかし書房1982年)、サン・チュェリのギョーム『黄金の書 観想生活について』(1988年あかし書房)の翻訳もしておられる。
昨年の正月にお聞きしたお話を、録音で聞き返すと、彼の最後に至りついた神への道のりが、『フィロカリア』(新世社より刊行。邦訳では全9巻の翻訳が2013年に終了。「イエスの祈り」の実践指導書)収録の新神学者シメオンやその弟子ニケタスなどの著書に、その源泉のあることを知りました。東西の教会(キリストの体である教会の両肺)の一致を、観想の中ですでに生きておられた。
御父と聖母マリアの前では幼子のような単純さで信頼し、隠れた祈りと奉献で現代の教会を支えておられた一人の隠修士であった。彼の大好な聖母マリア様とともに、いまも見守っていることだろう。彼の作「聖母マリアの祈り」(アヴェマリア)を、紹介しよう。
美しい清らかな乙女マリア
あなたは世の初めから愛され
祝されて
主が「共にいて」くださいます
「聖霊があなたに臨み
いとき方の力が
あなたをおおわれました」
あなたは女の中で祝福され
御子イエズスも祝されています。
神のおん母聖マリア
罪ぶかい私たちのために
御言葉が我が身になりますように
今もいつも いまわのときも
祈ってください アーメン
(2014年4月 息吹51号より)
本当の自分に向き合って
[今回の「内観経験者の集い」では、それぞれ、集中内観後、日常生活の中での、「内観と祈り」ついてに分かち合いました。その中で、とくに、都会を脱して大鹿村で農業と「草々庵」を営む小倉和恵さんの分かち合いには、鋭敏さがありました。農業をしつつの自己に向き合う「称名と内観道」には「砂漠の師父」たちの道行きすら感じさせられました。彼女は数年前から、幼少時からの難聴という障害に(従来それを無いかのように努力して生きていたが)、きちんと向き合うことから、内観と祈りが渾然一体として動き始め、霊的に深まります。以下、彼女のメモを紹介します。]
・・・・・
「集い」以前の私の内観の流れ
日常内観を継続してゆく中で、幼少時から難聴傾向があることをよく調べてくださいと指摘されました。自分の人生で「聞こえない」ことを再自覚させられたのが、この2〜3年の大きな「内観と祈り」の課題となっていました。以下、箇条書き的になりますが、私の「内なる過ぎ越し」の流れを整理してみます。
振り返ると、「聞こえにくいという自分の現象」に「恐れて生きてきたこと」を思い出す。そういう中でいつの間にか「独り言」を言う「癖」がついてきた。「独り言」は、「自分だけの世界」を作って、その中に閉じこもるという傾向を生み出していた。
自分だけの世界で、「仮想の相手と会話」する(そこでは、聞こえない、理解できない、と言うことが起こらない安心な相手との会話)。「仮想の相手との会話」が、現実世界を凌駕してゆく(聞こえなくて失敗するとかが起こらず、何度も繰り返すことができ、会話を完成することができる)。自己内完結である。
その結果、「人の話を聞かなくなる」。人の話を無視する。「聞こえない」ことを何でもないことかのように「振舞う」。こうした私の振る舞いは、「人間関係での問題」が生じる(人の話をよく聞いていないので、トンチンカンだったり、会話が成立しなかったりする)。
こうしたことを、夫は「聞こえない」のではなく、「聞かない」のだ、と指摘してくれていたことを思い出し、そういう自分がいたと発見する。「聞こえない」「理解できない」と感じたときに、自分の中で「意識せずに働きだす」のは、何か・・・。
「集い」前までに納得していたこと
聞こえなかった部分を「脳が補完」してくれていた。つまり、脳の機能は「つじつまを合わせる」ことをしてくれていた。しかし、それは「つじつま」であって、実際のことではないことに、ある時に気づく。しかし「つじつま」が合っていなければ、私が困ることになる(自己防衛)。脳の機能としての「補完」と、私が「困る」こととのはざま。この「はざま」には「悪霊の手練手管」が入念に張り巡らされている。
脳の補完作業は無意識的な自己防衛となっていた。難聴も私が望んだことではない。私に責任はない。これが私の「言い訳」「正当化」になっていた。
脳が行った「補完」は、無意識下にまで染まり、脳が行う「補完」が無意識下の「防衛本能」と合わさり、自分で望んだことではないと「言い訳」するときに、自己中心性という「罪」が生じる。
「集い」後
無意識下で行われる脳内での操作は、時々、意識上に現れることがある。このときにも知らないふりをする。
意識上に現れることだけが罪ではない。罪の法則(悪霊の手)は、人間の意識下にもぐりこんでいる。巧みに人間の防衛本能に姿を隠す。「こんなところにまで・・・」と思うようなところにまで、自己中心的な罪は働く。
「防衛本能」とは実に巧みな悪霊の隠れ処。「不当な非難から自分を守るのだから、正当なこと」というのが言い訳になる。罪悪感も罪の意識もない。
光の子であるはずが、実は悪霊に操られている、という事態が日常的に生じる。
砂漠の師父たちの「心を見張る」というのは、この悪霊の罠を「見抜け」と言うことだと思った。
「私のせいではない」「私に責任はない」と言ってはいけない。
以上が内観の流れです。文章にすると粉飾が生じるので、箇条書きにしました。
夫に「あんたは聞いていないんだ」と言われたときは怒りを感じました。それは抑えることが困難なほどのものでした。今は、気づかせてくれた夫にとても感謝しています。現在は聞こえるまで聞きなおします。それを面倒がらずにいてくれます。
闇の深さ、罪の根深さに呆然としますが、そういうときこそ「恵みのとき」と思います。
2014/06/28小倉和恵
・・・・・
[編集者の蛇足で、申し訳ございませんが]
小倉さんはカウンセラーの資格を習得し、その後、内観も継続し、御主人とともに大自然の中で田舎生活をし、都会のひとびとをお迎えする・・・この生活も、もう7年になります。
様々の学びや研修、信仰への入門の歴史・・・しかし、自己の存在や人間関係の謎に関する解決には、いたらなかった。これは生涯に亘るものではありますが、今回の気づき(洞察・覚り)は、従来の分別知と質的に違ってきています。
容赦なく、自己に向きい、自分の弱さ、癖、ハンディ、罪そのものから、何を頂くか・・・。この内観瞑想が可能だったのは、彼女のまっすぐな性格、信仰を持っている恵み、(田舎での)孤独と沈黙、イエスの称名、よき読書・・・そして御主人の愛によるのでしょう。
自らの心の深みの闇を経験し、洞察した人でなければ、他者の魂への援助はしないほうが神の御心にかなうでしょう。
神の人間への愛、人間を神の似姿として造られていたこと、しかし、サタンの誘惑により堕ちたこと、さらに、イエス・キリストにより再創造されつつあることを「信じる」枠組みでのケアーをこそ、神の祝福を招くでしょう・・・。こうして、かっての「傷」は「聖なる傷」に変容され、人々の癒し手として神から遣わされるのでしょう。
今後の一層の御精進をお祈りします。
内観のこころから
1 剣の道は内観の道
ある50台の男性内観者のお供をした。一度目の内観面接では、心理学的な悪い影響のためか(分別知)、苦しんでいた様子で「この時間苦しかったです、疲れました」と。それで、「どうぞ、リラックスして、単純に三項目で、客観的に現象をみてもらうので結構ですよ」とアドバイス。「していただいたこと、お返ししたこと、迷惑かけたこと」の三項目での調べに慣れると、さらに「自分のそのときの気持ちは?」「相手のそのときの受けとめは(推測になるが、相手の立場から考える訓練)?」の問いかけで深めていくのだと忠告。面接で聴いていてわかったのだが、彼は若い頃から「剣道」を能くしておられた。それで私は「剣道でも、相手の気持ちを読み取ることは、大事なのでしょうな」と誘い水をした。それから俄然、彼は内観が楽しくなった様子。次の面接からは、剣道の様々な話題につなげて内観されている様子。話を聴くのが楽しみで、屏風の前で彼の中におられるイエス様を礼拝する。腑に落ちた身調べが進み、彼も自信をもって話される。剣道をしたことのない私にも、その道の奥深さを興味深く感じたものだ。それで、心から自然に流れでた句を書いて、夕食時に、そぅと彼に渡した。
剣の道は 内観の道
叩かれて ありがとう
引いて 気をそぐわせ
負けて勝つ 至極の道
長い道のり也
腕力や賢さで勝つのではない。自分の呼吸を調えて、相手の呼吸を読む。自分の心を知り、それにより相手の心を察する。そうした中で、無心に組み討ちさせてもらう。何とかしてやろうとするところには、「はからい」と「焦り」があり、「我欲」が出る。無心な者には、相手の邪念が見えてくる。心技体が忽然と一体にならねばならむ、と。大体の「武道」に通じる精神だと思う。
とても感謝され、家に帰られてからも、便りを頂いた。何のことはない、彼自身の持っておられた心の姿勢にすでに土壌があった。ただし、先の句の三行目(「引いて気をそぐわせ」の箇所)が、気になり続けている。剣道の経験がないので、その臨場感が体験的にわからないのだ。「引いて 誘いこみ」などとも思う。彼は熱心な父親の信仰を継いでおられたが、周りの信徒と違和感を持ち続けておられたご様子。内観は、心理「療法」でもなくて、内観道なのだ、キリスト道なのだ、とつくづく思う。同行者と内観者の間の「気」「呼吸」というのもあるのだろう。彼からたくさん学んだ。
続く面接同行は、私自身の、イエスの生き様、イエスの死と復活、聖霊による新しい生き方の境地・・・などの黙想へと、自ずから進む。日本の武道の中に顕われていた神への求道、その境地を教えてくださり、ありがとうございました。
2 ある修行者
六年間ほど、禅寺で厳しい修行を行っていた30台後半の青年。腰を痛め、全国の有名な医者を尋ねるが、禅修業を諦めねばならなくなり、故郷にもどる。仏道から離れがたく、これから念仏の道に入門するという。その前に、手繰りよせられたかのように私の内観会場に来られた。彼との対話も、楽しいものであった。その中で、彼の修行したお寺が臨在宗と聞いたので「禅の十牛図(じゅうぎゅうず)」の話題になる。
真実を求めて心の旅を始める(@尋牛)。やがて師匠や経験者から内面化の旅路を定めて、生身の自己に向き合い始める(A見跡けんせき)。そして、野牛化して茂みに隠れていた暴れ牛(自己)を発見する(B見牛)。しかる後に、そういう暴れ牛の自己を制圧しようと頑張るが、牛は、ますます、逃げようとする。C「得牛」のもがきだ。その後D「牧牛」E「騎牛帰家」F「忘牛存人」・・・と続く十枚の図絵で、禅修行の道のりが教えられている。
彼は興味深く聴いているが、最後に私は自分の意見を紹介させてもらった。これらは一枚一枚に深い意味がある。しかし、直線(直行)的に段階を踏んで達成されていくのではなくて、同じところをグルグル繰り返し進歩していないかのように見えても、実際は、円環的に循環的に渦動的に、しかも、上昇していくのだ。螺旋的上昇運動的に。そして最後の十枚目(I入廛垂手にってんすいしゅ)と最初の一枚目(尋牛)は、つながっていると思うと、付け加えた。それを聴いて、彼は「自分は直行型であったが、グルグルまわりしているようだけれど、忍耐して求道を継続することだ」と了解する。自力修行と他力に生かされている感覚のバランスは大事で、外からの恵みを思う謙虚さこそ、内観の目指しているところ。
疲れると深い呼吸とともに「南無阿弥陀仏」の称名をしてもいいですよ、と薦める。キリスト教の修道院という異宗の門の中での内観で、緊張もあっただろうけれど安心し落ち着いた内観となった様子。次からの面接の際、彼は左腕に数珠をしておられた。更に、禅での呼吸法、浄土では南無の称名、あわせて「止観」という。その称名がまことの称名となるうえで「内観」があると自分の経験を話す。
3 クソじじい!
大学卒業して就職に出る前に、薦められて内観にこられた女子大学生。なかなか思うように内観が進まない。なにかのきっかけで、ロザリオの祈りというのがあり、唱え方を教えて、聖堂にいって大声で祈ってもよい、と提案した。狭い屏風から出ることを幸いとして、彼女は聖堂に行き一人で、大声を出してアベマリア!を熱心にやっておられる。とにかく、最後の日まで頑張られた。
終了後、内観中の苦しさを分かち合ってくれる。同行者への怒りを感じて座布団を叩きながら「このクソじじい!」とやっていた、と笑っていってくれました。自分では若いつもりでいたが、女子大学生から「クソじじい!」といわれて、自分の現実に戻される。これくらいの孫娘がいてもおかしくない年齢の私。白いひげを生やし、丸坊主ならば、だれだって「じじい」と見てもおかしくないのに、自分が見えていない。それはそうとして、聖堂で声を出して「アベ・アリア」と祈り叫ぶ姿に、気づきたい・変わりたい欲求との彼女の頑張りを見る。祈りというとき、多くの場合、困ったときには神頼みをするものだ。神や恵みを自分に引き寄せようとする努力である。
しかし、「祈り」について、偽ディオニシウスという師父がこちらの努力とあちらからの恵みに関して、喩えで教える。船と大きな岩に結び付けられた頑丈な一本の綱があり、綱を手繰り寄せる喩えである。両者を結ぶ綱が祈りだと、いう。初歩的な綱の手繰り寄せの努力も、祈りである。船に乗っている人は綱を力いっぱい手繰り寄せて、岩を自分の方に引き寄せるかのように。多くは一生懸命に、そういう自己中心的な頑張りの祈りをする。しかし、師父はいう。実際は岩がこちらに移動してくるのではなくて、小船が岩の方に引き寄せられていくのだ、と。もし、自力的な祈りであっても、何時の間にか、それが効き目のないかのように感じられても、純粋に信じ続けて(手繰り寄せ続ける努力は)、やがて、自分は大きな岩のほうに(神から)引き寄せられていくのだ、と。
こうして、祈りは絶えざる神とのお付き合いであり、やがて岩である神のところへ手繰り寄せられていくのだ。これは、忍耐してイエスの名を呼び続けるならば、こちらがイエスのほうへ手繰り寄せられていく、との教えである。状況が変わらなくても、状況に対する私の意識が変えられていき、イエスのように考えるようになる。こちらが変えられたのである。「クソじじい」を、老師様か仙人かに見えてくるとき、内観者側が変容したのであろう。問題は、他者でなくて、自己にある。
幼きイエスの聖テレーズの場合、祈りについて単純だ。肩の力を抜き、腕まくりもせず、幼子のように、主が惨めな私のところに来てくださるのを、信頼して待つ、という姿勢だ。心身の嵐を鎮め、ただ息をしつつ、イエスが私の中におられるのを、想う。
4 老婆の姿をとるイエス
他人のことはよく見えているつもりだけれど、自分の姿は見えていない。そういうことは日常でも度々ある。関東での行脚を終えて、帰りの電車の中での出来事。乗客は6割くらい。重い荷物を持った老婆が、一席空いたので、サッサと座りに行かれる。これだから年寄は嫌われる・・・もうすこし上品に振舞えないものかなぁ、などと心の中で下衆な思い。その後、もう一席があく。すると彼女は自分の隣の席を勧めてくれた。ありがとうと言い、会話が進む。嫁のところで家事手伝いした帰りです、夕食の買い物をしてこれから自分の家に帰るところ、という。お互い、歳の話になり、私と同じとわかると更に親しみがわく。
彼女を、自分よりも歳が大分いっている老婆と見ていたが、相手も私のことを重い荷物を持ったジジイと思い同情(憐れみ)してくれていた。相手をババァと見ている自分は、実は相手からジジイと見られていたと、自己の無明さの確認。いくつかの先の駅で私が電車を下りるときに、お互いに御大事にと、声をかけた。心が温かくなり、足取りも軽く帰途についた。もう一年前のことだが、今でも彼女の印象が残っている。
そういえば、復活したイエスは、度々、弟子達に顕われたが、だれもイエスだと気づかず、ただの旅人か墓守か漁師として認知していた。ところが、見知らぬその人が、実は復活したイエスであることを知らされる。目が開かれて、新しい次元の体験が始まったのである。電車内の老婆事件は、見栄えで判断する不信仰(外観的・対象的な見方)な自分が浮き上がってきた。この人のうちにおられるイエス・キリストを信じて生活することを、日常内観という。復活体験への促しである。
屏風の内におられる内観者の前で平伏礼拝してから面接する習慣がある。それは上から目線で面接の話を聞くのではなくて、内観者の中に現存するイエスを思うての私流作法である。内観者がどうであるかとつい思ってしまうが、同行者の自分はどうであるかを調べる。日常の生活行動そのものの中でも、聖霊の助けを得て自己の意識・心の動きを注意深く見守る。これを師父たちはネープシスといったが、日常内観ともいえる。なかなか出来ているわけではなく、恥ずかしく暗い自己の現状です。
三つの目がありそうだ。自分が自分を見る目。他人が自分を見ている目。神様が見てくださっている眼差し。三つそろって、全体の自分があり、内観が身についていくのだろう。しかし、「神」を自己の小さな意識理解したもの(無知)から、さらに深め、超越し、そして、いのちのそばで感じる領域にまで至りたいものである。現実の中で生かすいのち主(復活して、今も回りにおられるイエス・キリスト)と共にあり、その中にある方向へ。これが「キリスト者の内観瞑想」の望むこと。
(息吹54号より)
父は酒を飲むと豹変した
父は酒を飲むと豹変した。思春期の私はそんな父に傷つき、嫌悪した。20代で受けた精神分析では、フロイトの理論を振りかざし、情け容赦なく父を切り刻んだ。父の子である事実を『ないこと』のようにし、父は私を傷つけた加害者、私は父の被害者・・・そんな関係性の中で生きてきた。死期が近い父を最後まで拒み続け、臨終にも立ち会おうとしなかった。そんな冷たい自分なのだと、長い間、自分で自分があまり好きにはなれずにいた。
縁あって内観に導かれた。集中内観のたびに心が少しずつ楽になる実感があった。ただ、父を通して内観するたび、毎回かすかな違和感が残ったままだった。父に対してひどいことをしたという自責の念は生まれたが、心の底からの罪悪感や贖罪の感情が十分湧いてこないのだ。今年もう一度父の内観をしようと決め2つのことを自分に課した。1つめは、3つの枠組みの中の『お返し』『迷惑』に焦点をあて、父はどう感じたのかを徹底的に調べること。2つめは、メモを一切とらないこと(毎回指摘を受けていたが、メモを手放すことができなかった)。
「知ではなく、もっぱら「情を頼りに父との記憶を一心に手繰り寄せると、一緒に風呂に入った時の父の大きな背中、ふざけ合って一撃された回し蹴りの猛烈な痛み・・・そんな五感を伴った父との思い出が蘇った!! その時の面接のあと、不思議な体験をした。お聖堂に入りキリスト像に目がいった瞬間、「私も父を苦しめていたかもしれない!私も加害者だったのだという罪の意識が突然湧き上がった!父は家族に迷惑をかける存在だと、絶えず冷ややかなまなざしを送り続けていた。ある時期、父はある事情を抱え苦しく孤独の中にいた。そんな父を一度でも優しく思いやったことがあったであろうか。厳しく裁くだけの娘を父はどう思っていただろうか。私の存在が父を追い詰めたこともあったはずだ。それでも、父は最後まで私が訪ねてくれることをベッドで待っていてくれていたのだ・・・父の思いが初めて伝わった。「おとうちゃん、ごめんね。今回、心から言えた。心の底から嬉しかった。
・ ・ ・
編集者の感想。
家族や社会での複雑な人間関係の問題は、自分が両親のもとでの生まれ育った事柄へと至ることが多いです。内観の切り口は「家族」を中心にして、自分を深く洞察する方向へ促します。そして、読み直します。再解釈するのです。すべては神から祝福されて、愛によって繋がっていることを、気づくように促します。
家庭は、神に祝福されたものです。そして(愛である三一神)ご自身の写し(愛の交わり)となるようにと計画されていました。家庭の不幸は、神の望みではなく、人間の作り出した(我欲の)仕業です。今日の家庭崩壊の痛みの中で、憐れみ深い神に立ち戻る素直さと勇気が必要です。痛みの赦し合いが待っています。それは愛の体験です。内観は、そうした現実の中で、自分自身に向き合い、愛されている存在だと確認します。
IJさんは、後日談として、つぎのような報告をしてくれた。内観後の職場で、何も報告しなかったけれど、面接来訪希望社員(カウンセラーの仕事もしているので)が、次から次とこられて・・・また、まわりの人が「何だか母性的になりました」といってくれたと、か。夫との関係をもっと好調にしたいがために、父との関係の内観を何度も深め、そして、結果として、「ふんわか」モードの人格が湧き出てきて、母性性が豊かになった、というコトでしょう。
私の処での内観では、自己を越えるお方へ向くのが、好ましいことですが、「神」という表現に抵抗を感じる場合、「?」のお方=自己を越える(クエッションマークのお方)を意識して、自分はどうであるのかと調べていただきます。心の葛藤が溶けていく場合が多いです。心は神の領域だからです。これは恵み、目からうろこの体験です。厳しく自己を凝視しますが、「知」を重視する精神分析や心理カウンセリングの手法と違い、「情」の領域にも向きあいます。そして、自分の観かたを変えて、新しく読み直すのです。足りない部分は、「?」の助けを願うという謙虚さを学びます。
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XW氏『薬物依存への衝動に対して
30歳の彼は、20頃に医師から出された睡眠剤の虜になり、薬物依存に陥る。そのため仕事・お金・信用をなくし、2回の刑務所入り。刑務所内でもこっそりと薬を手に入れていたという。今回、あるセンターの紹介で内観にこられた。母親と二人暮らしで、その必死の支援で立直りつつある。彼の内観から、「依存症という現象」は人間の普遍的な「こころの深海」を思わされた。同時にこれは砂漠の修道者・瞑想者の体験する深層世界と構造的に似ており、神の介入するべき領域であり、それには、祈りが効果的であると確認できた。
薬物依存の行き着く先は、結果として@刑務所があったが、Aその前に薬物(毒物)の常用(依存)があり、薬物を手に入れるためにはB嘘・盗み・反社会的行動があり、さらにその前にはC甘えや自己中心性が潜んでいる。ここに進行性の「闇・病み」があった。以上は、神の創造の計画からずれた生き方を踏んでいたのであった。今回の内観では、そういう行動に走る最初・根っ子にD「衝動」に支配されている性癖の発見があった。自分でコントロール出来ない「衝動」を前にして、どうするかの課題に至った。「わかっちゃいるけど、やめられない」のが「依存症」の苦しみであろう。
集中内観という限られた場面での対応として、ここでも「おっと どっこい」式、知性・感情の切り替えが有効である。@*衝動(根深い情念)が来たと感じたら、すかさず、動け・歩け・なにかの動作をせよ。考えるな。知性はすでに狂っているのだから。来た、来たと感じるや否や、分析も反省もせずに(なぜならそれらは故障した知性の動きである)、たとえば「おっとどっこい 歩こう!」と言う風に。痴から別の知(または智)や行動を。A*あるいは、直ちに、深呼吸をしてみよう。内観会場で呼吸法をして気持ちが静まることを経験していたので10回くらい、または5分位の呼吸法をして、濁った脳みそに新鮮な酸素を供給する。これは脳生理学上でも自律神経訓練法として行われてもいる。B*更に、なれてくれば、呼吸に合わせて「イエス様、助けてください!」と自分を超えた力にしばしば祈れ。「呼吸の祈り」あるいは「イエスの名を呼ぶ祈り」と称する。これらが彼への処方箋であった。C*それは痛んでしまった自己を、生き直すプロセスである。神の息を吸いつつ、神の再創造に委ねる旅路である。新しい人生の歩みである。D*衝動に代わり、通常の健康人よりも深い内的な神の現存体験に入りうることもある。衝動は、神を身近に感じる場へと変容されうる。黒い岩石の中に隠された宝石!
彼はクリスチャンではなかったけれど、内観スケジュールの流れに乗って@ABCを、やってみた。救いは神から来る。他の依存症者達(12ステップの人々)は「ハイヤー・パワー」(「?」のお方、神)と呼び、ゆだねることを学びつつ、仲間達と共に謙虚な道を実践しながら回復してゆく。日常現実でも継続できれば幸いだ、と祈っている。この教えは、なんと『フィロカリア』というビザンチヌ霊性・「イエスの祈り」の指南書にみられるものでもあることを、付け加えておこう。
2015年12月 息吹55号より
ある内観者の歌
ある会場で、校長職を終えた方が内観された。各内観面接後に、気持ちを歌に現してみてはいかがですか、と申し上げると、先生は、素直に以下の気持ちを現してくださった。面接現場での活き活きとした臨場感をもお伝えできればよかってのですが。一部分ですが、紹介します。内観的思考方法から、短歌や川柳で表すことは、内観的情緒への発展へと向かわせてくれました。
母に対しての内観後(私が0歳〜9歳)
「手を引かれ 母と二人の 帰り道 いつの間にやら 月も一緒に」
(4,5歳の時母の実家から田圃道を家に帰る時、珍しく二人だけであった。)
母(私が10歳〜18歳)
「誰よりも 上手に 揉むと 誉められて 母の寝顔に 疲れ忘れる」
(仕事から疲れて帰ってくる母の頭、肩、足を揉むのが日課となっていた。)
母(私が18歳〜28歳)
「ライターは あげる訳には いかないと 断る母の 呉れたものとは」
(20歳のお祝いに何が欲しいかと聞かれて、ライターが欲しいと言ったところ、別なものしなさいと言われた。まだ、貰っていない。しかし、タバコを吸わない習慣を貰った。)
母(私が29歳〜37歳)
「代々と 受け継がれてる この命 母の笑顔を 孫に伝えん」
(初孫を抱いている母の写真を思い出しながら、自分の初孫を迎える日を夢見て)
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』への今の私の答え
私とは何か 私をつくったもの 母の願い 父の思い 出合った人との 縁の糸 緊張と歪み 固く柔らかく 絡んだもの 光を浴びて 輝けるもの やがて解れて 細くなり 次の時を 求めるもの
父に対しての内観後(私が0歳〜9歳)
「いつのまに 産んだつもりの 男親」
(小さい頃の父の記憶は無い。記憶に残るころから父を嫌っていた。一人で高熱を出して寝ていた時に、二日酔い
で寝ていた父が濡れタオルで頭を冷やしてくれた。)
父(私が10歳〜19歳)
「思わずに 父親 なぞる 我が居て 悔しさよりも 笑いが来るか?」
(高1の頃、「あなたはお父さんがいないでしょう」「分かるのよねぇ」と言われたことがある。父を理解し始めた。)
父(私が20歳〜30歳)
「バスに乗り 金を貰いに 来る息子 話す言葉は 二つか三つ」
(大学の学費は弟は母が、私は父から貰うことになっていた。特別奨学金で足りない分。)
父(私が30歳〜35歳)
「夢にまで 出てくるなよと 言いながら 親の思いに 涙がにじむ」
(父の死後、罪悪感で夢にうなされる日が続いたある日の夢の中で「○○(私の名)もういいよ」と言われた。)
以下は、奥様や息子様のものが続きますが、割愛します。
最後に「心と体」の内観をしてもらった際に、以下。
自分の身体と心
「心とは 他人のものを 借りたもの」
「名も知らず 処(ところ)も知らず 動くもの 示す先には 妻と子が」
「何時の日か 心の底の 岩の戸も み助けにより 打ち砕かれん」
「癌を恐れず 死をも恐れず ただすがりたや 聖母マリアに」
(息吹57号 2016年より)
歓喜する内観者
T 稀だけれど、歓喜する内観者の話に触発される。無常をとりつめた状態に至って、歓喜の涙が溢れ、
光の中に吸収されたかのような、異次元の体験を語っておられる。「無量の光」の体験であろうか。
彼等の真剣な内観では、「今、死んだらどこへ行くか。地獄か極楽か」の問いかけを持してのもので、
死をかけた内観であり、無常を感得することを目的とする。それに至る前には、我欲・我執が破られねばならないが。
断食などをも実行した真剣な内観があり、場合には不眠不休をするそうだ。
心身の軟弱な自分には、到底真似することは出来ないが、「死の想起」「あと何日しか、命がないとするとどう生きるか」
の問いかけは出来るし、これはキリスト教徒にとっても大事な心得であろう。
U 何時までも生きているわけではなく、確実に死へと一歩一歩近づいているのに、敢えて世の人々は「死の黙想」を避ける。
「天の国」の代わりに「地の国」「世」の話題で駆り立てる。
こうした「不信」の世がある。霊の力に欠く営みでは、「不証」のままだろう。「言」の「正しさ」(まこと)、
つまり、「証し」に至っていない。
他方、古くからある「イエスの祈り」の実践者は、真実の祈り修行のために「死を想起せよ」と、度々言う。
そのために自らのうちに「いのちの主」であるイエスを孕ませ、「イエスと共に」死を超えていくよう励ます。
ここがキリスト教の特色である。死域からのエクソドス(脱出)を願い、いのちの主への行軍である。
「?」のお方に生かされた霊のいのちによって、死の敷居を超える。
V 宗教的動機・文脈は違えども、歓喜する内観者の顔は清々しく光輝いている。彼らは無常を看破したと表現する。
こういう宗教的風土におかれている我々日本人キリスト者は、如何に。
さぁ言え、いつまで眠っているのか。さぁ、こたえよ、さぁ、こたえて証せよ、さぁ、お前のいう「神」を見せよ!
との老僧・老師の叱咤激励が聴こえてくるような感じがする。この問題提議をはずすと、「信」も「証」も「嘘」となる。深刻だ。
自己をはげましながら、こうしてキリスト者の内観瞑想の同行をさせていただいている。これは内観療法をこえた内観道であり、
究極の「光」に向かっての御子イエスと共なる「心の内なる過越し」の道行きである。
(2017年5月 息吹58号より)
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