2017年5月1日更新

 


死生学(Thanathology)について(日下喬史)

(2010年4月に唐崎・ノートルダム修道院・祈りの家において、「内観奉仕者研修者」の席で、日下喬史(医学)博士が「死生学」という題で発表した際に提出してくださったメモをご紹介します。先生は十年以上前から内観生活を行い、その後も高齢にも拘らずキリスト者の内観瞑想にご協力下さっています。)

§1. 死生学とは:
 死生学とは人の命の尊厳について、医療と人文・社会系の学問との接点を調べようとする学問である。死生学という言葉が日本で使われる様になったのは、やっと1970年頃からで、未だ新しい学問である。その内容は人の命に密接な関係がある故、もっと早くから研究すべきであったのに、日本人は何故か最近まで、"死"という現実を不吉なものとして成る可く遠ざけ、出来るだけそれに触れぬ傾向があったために、2つの学問の導入が遅れたものと思われる。

§2. 死生学への関心:
 「命の大切さはどうすれば子供に伝えられるのか?」 子供のみでなく現代では中高年の日本人でも、命の尊厳への感受性が弱くなっていると思われる。 「私達は何のために此の世に生まれて来たのか?」、これに答えるためには、生の反対の死を充分に理解せぬといけない。「生の究極の到達点である死の日まで自分に与えられた時間をどう生きようか?」と考えて始めて命の大切さが判る。これが死生学の最終目標であり、決して不吉な学問ではない。

§3. 従来の医療と今後の医療:
 生命倫理(Bioethics)という考え方は1960〜1970年代にアメリカで起こった。それ迄の医療は単なる延命のための医療であり、患者の生活の質的レベル(Quality of Life)はどうかについての関心は低かった。確かに感染症や栄養不良が原因となる疾患と、さらに時代が下って生活習慣病に属する高血圧や糖尿秒等は戦後の医療のレベルアップなどにより、次第に減りつつある。しかし、現代医学でも根治出来ぬ、いわゆる不治の病も未だ数多く残されている。これらの患者に対して、徒らに経口栄養等で死期を遅らす可きか否かについて、本人は元より家族の希望もマチマチであり、其処に安楽死、尊厳死等の問題も絡んで来る。何れの場合でも、従来の医療では患者の身体の死についての配慮のみであり、患者が如何に"死"を安らかな心で受け入れられるかについての配慮は充分でなかった。それに対して、"死"をもう一度、患者と家族および医療従事者がきちんと向き合える課題として取り組むことが大切なのではなかろうか?

§4. 死生学と既存宗教との関係:
 死生学が人の生と死に取りくむ学問である以上、既存の宗教との関係は充分に配慮せねばならない。死生学は特定の宗教的概念に余りとらわれずに、しかし充分に深味を持った死生への問いを言語化していこうという作業である。死と向き合っている各人が発する命への気付きの言葉には宗教的な次元のまなざしが含まれるのは当然である。こうした気付きをより普遍的な言葉に練り上げて、新しい死生の文化を築く可きではなかろうか。従って、死生学は何れの既存宗教の支配下に属する必要もなく、又これらと相反するものでもない。

§5. 「時間」とは:
 現代の日本社会は死生観の空洞化という状況にある様である。すなわち、"死"の意味が良く見えないと同時に、生自体の意味も良く見えてないではなかろうか? 死生観と言うものの核心にあるのは、実は「時間」と言うものをどう理解するかというテーマではないかとも思われる。「時間の始まりとは?」、「我々の住むこの世界の始まりは何時?」、これらの古くて新しい疑問について、始めて答えようとしたのは、4〜5世紀にキリスト教神学の基礎を固めたアウグスチヌスである。彼は旧約聖書の創世記について、神が世界を創造された時に、時間そのものも生まれたと説いている。ずっと下って現代の宇宙観では、「宇宙の大きさは有限だが、始まりも終わりもない」という、むしろ仏教的な世界観に接近している様にも思われる。要するに、時間についての我々の理解は、4〜5世紀も今も余り変わっていないと言えるのではなかろうか。

§6. "死"とは無なのか?:
 大部分の現代人が素朴に持っている生死の理解は、生=有、死=無である。これに対して死生学で説くのは、生=「相対的な有」と「相対的な無」の入り混ざった世界(=時間のある世界)、 死=絶対的な無=絶対的な有と説く。 即ち、死は単なる無ではなく、有と無を超えた、時間をも超えた永遠と呼ぶべきものと説く。

§7. 真のターミナルケアとは?:
 外国でのターミナルケアの実情については残念乍ら調査不足であるが、我が国で行われているターミナルケアには、延命医療の在り方とか、安楽死と尊厳死との関係などを話題にするのみで、もっと本質的な"死"そのものについての配慮が欠けているのではないかと思われる。 人の死はその知覚の人にとってケアーの一つの終わりであると同時に、一つの始まりでもある。 その人の人生を、死のこちら側で完結してもらうと共に、死後のあちら側の世界、大きな枠組みとしての自然乃至宇宙への旅立ちを願う心が必要ではなかろうか?
(「息吹40号」2010年夏号より)

内観・霊的・呼吸法
T 「〜について」と「〜を味わう」
1  今回、お招きいただき、「内観の霊性」について、お話しするよう李大云先生(韓国内観学会会長)から依頼されました。
「〜〜について」話すようにといわれると、いつも躊躇させられます。私は「〜〜を」体験するということを生業としているのですが・・・。つまり、学者ではなくて、実践家なのです。「about」と「with」の違いがあります。信仰や神「について(about)」を聞いても知識が増えるかもしれないが、多くの人は信仰が豊かになりたい、深まりたい、そういう欲求があり、なんらかを「経験したい(with)」と望んでいます。
 それで、今日も、知識の情報を増やすことよりも、「経験する(体験する)」ことからはじめます。

2  まずは、鈴の音を聴くことから。目をつぶって聞いてください。・・・。もう一度、鳴らしますので、次は漫然と聴くのではなくて、「全身・是・耳也」という風に、全身の毛穴が全て耳であるかのように、注意して、聴いてください。・・・。いかがでしたか。静かな気分になりましたね。しつこいですが、もう一度。次は音が聴こえなくなるまで、余韻
をも味わってください。・・・。

 いかがでしたか。落ち着きましたね。気持ちよかったでしょう。心の中に平安感が訪れているでしょう。皆さんは、そういう「体験」を、今しています。
なぜでしょか。それは「考える」ことではなくて、「聴く」という感覚の集中を行っていたからです。悩みや不安や焦りは「考え」からきます。「考え」は体に緊張感を生じさせます。「考え」から離れると「平安、ホッとした気持ち」になります。皆さんは、神を体験したいという欲求を持っています。神は平和です。聴くことの集中から神を(=with)覚え始めているのです。

3  次も同じように「息」をしてみましょう。呼吸です。吸う息と吐く息です。吐く息が大事です。細く長くゆっくりと息を出します。出来れば、鼻呼吸をしてみましょう。・・・。椅子にもたれないで、腰をシャンと立てて、足は床にしっかりつけて大地のエネルギーを足の裏で吸収するような気持ちで、姿勢を正してください。それでは、もう一度、鐘の合図ではじめてください。・・・。はい、ありがとうございました。
自分の呼吸を意識できましたか。呼吸はどこでしていましたか。胸(肺)でしたか、腹でしたか。深い呼吸が出来ましたか。も一度、鐘を鳴らしますので、ゆっくり、深く、穏やかな心で、下へ下へと気持ちをおろしながら、心の在り所を丹田(臍下10aほど)あたりに定めてください。意識を内面化し、丹田にまで心を下ろしていきます。・・・。

 どうでしたか。先ほどよりも、もっと落ち着き、自分という存在の安定感を味わっているでしょう。なぜでしょうか。それは「考え事」から離れて、「呼吸」「息」「生き」だけに集中したからです。そして、意識を自分の内面におろすことにだけ集中していたからです。潜心したからです。「考え・思念」から自由になるとこんなに平安なのです。

4  大脳・小脳の奥の院といえる「脳幹」は、生命の基本的な働きを司る働きをします。ここが萎えると死んでしまいます。脳死です。ところが深い呼吸をすると、脳幹内のセラトニン神経系という落ち着きや平安感や免疫力を出させる神経系が活発になります。それをいま深い呼吸によって実際に体験したのです。
 深い呼吸法を毎日続けることで、あなた方の生活は変わります。落ち着いたものとなります。他人や状況や環境に振り回されないようになります。そして、神が、頭の領域から腹の領域へと深まり、内在する神への体験と進みます。

U 造られた人間の姿
1  創世記の2章では、人間の創造についてこう記述しています。神は、ヒトの鼻の穴にご自分の息吹(ルアハ)を吹き込んだ、と。深く呼吸するということは、神の息吹を吸い込むことです。動物的に行動している姿から、「神の似姿」である本来の人間らしさへ戻っていくことなのです。「正気」に戻っていくことなのです。
 「正気に戻る」とはルカ15章で描かれているように、放蕩息子が回心して父の元に帰っていくことです。それをするのが内観と呼吸法です。

2  プネウマというギリシア語は「風」「息吹」「霊」「呼吸」を意味します。「呼吸」を深くすることで、神の「息吹」を吸います。そうした結果、生き方が「霊的」になっていきます。ですから、「内観の霊性」とは、ただ、内観の三項目で調べることではありません。深い呼吸により神の息吹を吸うことによって、考えもクリアになって、新しく生まれ変わっていくものです。

 内観と呼吸法をして心身に「神の息吹」を注入することで、私たちは「霊的」に育っていきます。「3分間の呼吸法」からはじめてください。深い呼吸を長い目にして、一回が仮に10秒位とすると、3分間で18回前後の呼吸となります。一日に何回も3分間呼吸をすれば、環境や他者に振り回されない、落ち着いた人生へと変容されていきます。とに角、今日から100日実践してください。気がつけば、変えられている自分を発見するでしょう。

3  これは、単なる落ち着くための呼吸法なのではありません。アベ・マリアの祈りの中に、「ご胎内の御子イエスも祝された」とありますね。マリア様は、お腹の中に神の子イエスがおられ、自分の中に現存しているイエスを味わっていた。その母マリアの味わいの中に入っていくのです。ですから、吐く息と共にマリアの心で、丹田にまで、心を下ろしていきます。そして、丹田には「いのちの主」である神の子イエスがおられるので、慈しみの心をもってそのイエスのところへ近づいていきます。この呼吸と共にする祈りは、マリアの心で内在するイエスを意識し、心を平和に、心を暖かにするものなのです。

ちなみに「丹田呼吸」の名人は「赤ちゃん」なのです。幼子は自然に腹式呼吸を行っています。そのように創造されているのです。ですから、幼子のようにならなければ・・・といったイエスの言葉を、こういう観点からも考えることができます。
(息吹41号 より2010年9月 韓国・仁川にあるカトリック会館での講話要旨)

  東西の霊性を求めて


いわゆる「吉本内観」を知ってから(1970年代後半)、信仰(福音)の内面化や日本的なキリスト教霊性などを強く意識し始めた。同じ頃、『あるロシアの無名の順礼者』(エンデルレ書店)と言う書籍と出会い、自分なりに「イエスの御名を呼ぶ祈り」をはじめた。司祭になり、はじめの10年間の姿である。
これがその後の私の一貫した課題となる。

次の10年は、司牧の現場で悪戦苦闘し、自らの魂の促しに正直になりつつも、失敗や迷いばかりであった。この頃、「東西の霊性交流」という人類史初めての出来事、日本の仏教修行僧(主として禅)とヨーロッパのベネデイクト会を中心とした観想修道者との一ヶ月の相互生活体験の交換という形で「対話」が始まった。何かが起こっているというわくわくした期待感が沸き上がったのを覚えている。
私は内観会場めぐりをしつつも、もう一つ自己の底が突き抜けないままで、霊における確信にかけて揺れ動くばかりであった。

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その後、90年代に入って、教区からお赦しを頂いて、魂の旅に出、心の癒しの領域へと使徒職の的を絞る。心の領域であるので心理学なども学ぶが、これは科学(人間の分別知)であり、私の問題意識は宗教的魂の問題・霊的な課題を担っており、まずは、宗教哲学的な「意味」の探求であった。そんな中で「キリスト者の内観」をたちあげる。キリスト者の内観をどう見るかの模索を『東西のはざまで』にまとめた。ここで、すでに、東方の教父達の智慧と実践から、学ぶときが来るだろうと予想していた。

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吉本内観の源流は浄土真宗の親鸞であるので、「念仏称名」を極意を探求し、同時に大乗仏教の基盤である『大乗起信論』などからも学ぶ。
早くからアヴィラの聖テレサの霊性に惹かれていたので、彼女の『霊魂の城』と大乗起信論的思惟方法を比較しても見た。「東西の霊性」思索の私流の探求であった。いずれも、心の深海、意識の深層領域への実践的な降下を促すもので、ともに神秘思想・神秘体験に属する求道者の領域である。『心の深海の景色 大乗起信論とアヴィラの聖テレサ』にまとめて出版する。

東西の宗教をこうして比較してみるも、自分の生身の心身に、どのように統合するのかの模索は続いていた。隠修士的なカルメル会士であった故田中義輝神父(修道名・十字架のベネディクト2007年帰天)と出会い、人間の深層意識を宗教哲学的な論点から『ナムの道もアーメンの道も』を書く。

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2005年頃、ある巡礼にさそわれてスペイン・モンセラートにあるベネディクト会修道院を尋ねた。その際の呼びかけは「東西の霊性の源流をたずねて」とした。この時点では、西方キリスト教会の古来からの修道性であるモンセラート・ベネデイクト会への、東洋の仏教的な修道性として禅の「十牛図」を携えての旅であった。

すでに、西方の風土で定着してしまっているキリスト教自身は、今後、どのように真の「普遍(カトリック)」といえるようになるだろうか。仏道がはっきりと神秘思想であるからには、合理的・科学的・論理的な主知主義による西方キリスト教との比較考察、また対話には、すれ違いがある。自己の基盤を掘り下げる必要があるのではないだろうか。西方で育ったキリスト教に混在してしまっている西方独特なものの気付きは、東方の教会と触れることで、あらわになってくるのでは・・・。

ユダヤ・キリスト教が、ギリシア文化と出会い、それらを援用しながらも、それらを超越していったのは、ギリシアの諸教父達の深い哲学的な思索と、瞑想・観想の実践があったからである。ここに今日のキリスト教の基礎・源流がある。

「仏教とキリスト教」のテーマから東方と西方の課題に入ったが、実は、キリスト教自身の問題として「キリスト教内部の東方と西方」の課題を掘り下げることによって、キリスト者自身が本来のキリスト教徒となるのではと、感じるようになった。キリスト教には二つの肺があって、東方と西方のキリスト教の両肺がうまく交わるときに、キリストの体が一つとして健康に機能する、といわれている。

私自身の霊と魂と心と体において、どのように統合されるかの、最重要な課題は残されたままである。しかし、「イエスの祈り」を『フィロカリア』の読書と共に、もう少しまじめに行い始めてから、東方の教父達の行っていた、聖霊による聖書解釈を理解してゆき、内的確信のようなものが生まれつつある様に感じている。


内観同行は、内観者の内面くだりと内面の意識整理と言う、聖であり尊い領域(あたかも人間の内部の至聖所)に接するので、面接前には「イエスの祈り」(神の子、主、イエス・キリスト、罪深い私を、憐れんで下さい)を祈りつつ、聖霊の助けを願い、自らの罪深さを忘れないで、へりくだりを持つように心がけていた。
当時の私は、私なりの「イエスの祈り」を携持し、同時並行的に、内観者には内観における内面くだりの過程として「禅の十牛図」を見せつつ、私流に案内同行をしていた。


こうして振り返ると、自らが行っている「キリスト者のための内観」の、キリスト教的背景の模索として、二期に及んでいるのが見えてくる。すなわち、カルメル会的な念祷を準備するものとしての内観(「霊魂の城」における第一住居から第三住居あたり)と脱自と共に生じてくる瞑想・観想(第四住居以後)であり、これは師匠田中輝義神父からの啓発を受けた。深層意識論を把握するなかで、内観瞑想の位置づけは、自己意識の洗い(清め)と存在の深部にまでしみこむ我執からの解放(救い)という修行論であった。
師の死後(2007年)、一挙に訪れたのが東方教会の霊性である。すなわち、すでに「イエスの祈り」を行っていたが、それらは東方教会の「ヘシュキア」(神との一致をもとめての静寂な瞑想の祈り)を促すものである。その指南書である『フィロカリア』(名古屋・新世社)が次から次と邦訳され始めており、ギリシア教父たちの文書類から、魂の内部に蠢く我と欲との戦い、解放、救いの道を教わる。


親鸞的な「称名」は全身全霊を尽くして、うそ偽りがなく如来に帰命するために、身調べとしての内観があった。自らが阿弥陀の御慈悲によって救われるべき罪悪深重の身を担いでの「南無」としての六文字の称名である。

西方においても、イエスの御名の祈りによって養われていたおおくの聖者達がいたが、東方のキリスト者の内的生活の実践的道行きは専ら「イエスの御名の祈り」にある。これは単なる信心行や修行のためにあるのではなくて、至聖三者なる神がイエスにおいて受肉し、人を救われた(再創造)という、キリスト教の教えを生きるための具体的で必須な「教・行・真・証」を含むものである。

御父の人間への愛(フィラントロピア)として御子キリストの受肉と十字架での贖罪の死があり、それを信じて、主イエスの御名を称えて、聖霊の助けにより、聖なるものへと清められてゆき、救い(神との親しさ、神化)に預かる。様々な定句があるが「神の子、主、イエス、キリスト、罪深い私を、憐れんでください」の七文字の称名を行う。


生活と仕事と祈りの、時間の足りない毎日をおくっている。庵での独修としての生活、内観会場での面接同行者としての生活である。まとまった思索や読書の得がたい日々である。しかし、この春、大森正樹先生(南山大学教授、東方キリスト教学会)のベルギーのシェブトーニュ・ベネデイクト会修道院訪問の旅の案内を頂いた。
この修道院は80年ほど前に、東西教会の一致を祈り、ラテン典礼と東方ビザンチヌ典礼をおこなっているカトリックの修道院である。「イエスの祈り」をするようになり、この修道院の存在をしっていた。
ここでの体験は、時間と共に、今後自分のなかで熟成されてくるだろう。


かくして、私の心の旅・「東西のはざまで」は、キリスト教内部での東西の教会のはざまで、という様相へと移動した。地理的な東西は、東(日出る方向)をどんどん進めば西(日沈む方向)へ、西をどんどん進めば東へ、というのが地球上のことだが、そうした地理的な水平・横ではなくて、それぞれが深層へと方向を変えれば、同じ軸・中心点で交わる。垂直方向(バーチカル)へ。それこそがいのちの主である神のましますところである。

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旅、巡礼。どういう心の響きを感じるだろうか。私達は「旅人」であり「寄留者」であり、この世では「仮住まい」をしている。神の国を目指して、絶えず、生成変化、発展をしつつの道である。静止した変わらぬものの中にあるわけではない。静止・変わらぬとしたら、それは生きているのではなくて、死んだものであり、博物館で見学できる遺産に過ぎない。生きているということは「息・呼吸(プネウマ)」しているということで、神の息(聖霊)に支えられ、神の息へ向かうという変化の道のりなのだ。
変わらぬものは唯一神だけである。アダムによって失われた神の類比性(ホモイオーシス)が、キリストの死と復活により再創造・再興されたところへと、前傾伸展(エペクターシス)する旅である。これが洗礼を受けたものの神への返答である。

この内なる旅は具体的には「内面の浄化」であることを師父と教父たちは説くが、我々に分かりやすい表現で、仏道の行者達も言い表し、かつ、修行している。
こうして再び、「東西のはざま」に、仏道の叡智も浮上してくる。なぜなら、創造主は、キリスト教以外をも、ご自分の栄光のために御造りになっているからである。

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シェブトーニュ修道院では、東方の典礼に参加して、イコンと暗闇の中にひかるたくさんのローソクの光に囲まれた瞑想的・神秘的雰囲気と、美しく魂に響く賛美歌を味わってきた。天上の典礼・宇宙的な典礼へと上昇してゆくものであるが、大地性、すなわち、感覚と身体性を大事にする典礼だと感じた。

「イエスの祈り(称名)」は、修道院の共同体的な賛美歌や祈りとは別の、個人の内面でなされているものであるから、確かめたり、学んだりする機会には恵まれなかった。しかし、修道士達の透明な目と清らかな声は、それにより浄化の道を各自が歩んでいることを暗示しているのかもしれない。
(息吹48号2013年春号 内観の心 No35)

50・40・30・20・10

1 息吹の50号
 私の内観同行の営みは、1996年からはじまり、1998年1月に最初のニュースレターを出している。「キリスト者の内観」をはじめるに当たり、「プネウマ(霊)の風に運ばれて」と書いているが、それは今も同じ思いでいる。「キリスト者の内観」は神の憐れみによって始められたので、おしまいも神のご計画によって定められることであろう。
 第一号では(キリスト教と仏教という)「東西のはざまで」に関する関心が強く出ているが、ヴァチカンで「アジアのシノドゥス」が開かれた時でもあった。この頃、師匠の田中輝義神父(カルメル会士 2007年7月7日に帰天)との出会いがあり、彼の仏教からの深層的眺めを教えられる。貴重な時期であった。
 同時に、すでに「イエスの御名の祈り」を携えての面接・同行者である事が述べられているが、一種の射祷として、内観者の尊い内面降下に立ち会う畏敬の念と聖霊の助けを願っての面接であるという自覚から、自然に出てきていたものであった。「イエスの祈り」が、本格化するには、さらに十年待たねばならなかった。それは田中師匠の死後である。

2 司祭生活の40年
この秋に、小生の司祭叙階の40年を記念した。普通、25年とか50年とかに、その苦労をいたわり、記念する。私の場合、特別な小教区・共同体に属していないし、また50年まで生きているかどうかも分からず、最近、心の中で暖めていることを、分かち合いたく、イコン画をお贈りした。叙階25年記念の時は、ロシアのイコン製作者・聖アンドレイ・ルブリョフの「三位一体」のイコンを配ったが、今回も彼の「ズヴェニゴロドの救世主」を選んだ。実は、このイコンをこそ、皆様に紹介したくて、自分の叙階40年を利用させて頂いた次第である。

日々、庵での祈りはイコンの前で行っているが、イコンは私にとり霊的な導き手で、御父、御子、聖霊、聖母マリア。御言葉、詩篇、香の煙、ロウソクの火・・・その雰囲気の中で祈る。これが私の主な仕事。いよいよ、40年を意識し始めてから、なんと、神に逆らってきた40年であったことか・・・教会の祈りのはじめの詩篇95、また、申命記8章を読むたびに我がことのようにうずきを覚えて・・・。それで、「40日の荒れ野の旅」(毎日の生活に、たっぷりと時間を取り、祈りを徹底させる)を行った。罪深くて、どこにも逃げ出すことも出来ない自分は、神の翼の中にしか「避難所・逃げ場」がない。神の懐の中に逃げ込もう。そこで、神の清めと導きを頂き、心の平和を味わいたい。罪人であるが、そういう自己を心理学的・人間的な眺めで、詮索・分析することを止め、神の招きに従って「神の麗しい顔」を眺める・・・。そういう40日間の旅であった。「旅」の結論はカードの裏で引用っした詩篇27の4節である。
「ズヴェニゴロドの救世主」は、「平和ならしめる者」と呼ばれ、人となられた神の第二のペルソナの「御顔」である。厳しい裁き主の顔ではなくて、赦しと平和と暖かさを顕している。
しかし、このイコンの運命は、1400年の初め頃に製作されて以来、今日までの600年の経過は、実に、イザヤ53章(3〜5)に書かれているようでもある。
 彼は軽蔑され、
人々に見捨てられ、
多くの痛みを負い、
病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し
わたしたちは彼を軽蔑し、
無視していた。
彼が担ったのは私たちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みで 
あったのに・・・
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによってわたし   
たちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、
わたしたちはいやされた。

ここには、「苦しむ主の僕」の預言がなされている。イエスの司祭職は、十字架という祭壇で、人々の救いのために、人々の魂の平和のために、自分を御父に差し出すことであった。
40年前の、カテドラルでの叙階式は、まさに、その門出であった。屠所に曳かれる羊のよう・・・といまさらに畏れつつ再認識している。御父の助けなしには、聖霊の清めなしには、多くの信者の人々の支えなしには、完遂できない「召し出し」である・・・と、いま仕切り直しをしている次第だ。

3 内観道の30年
30数年前に吉本威信師のもとで内観を経験した。それ以来、自分の信仰の見直しが生じた。表層の騒々しい現象(外観での捕らわれ)での信仰把握にもの足りず、真実(まこと)はどこにあるのか。それには生身の自分に向き合い・・・という課題の前には、この内観はとても役に立った。平行して、公会議後の「他宗教との対話」の雰囲気に影響されて、仏教的思惟と西洋式キリスト教的思惟の吟味という哲学的推敲へと促された時期でもある。

内観で観たのは、自分の生き方には「うそ」があったこと。「うそ」とは観念的、概念的であり、教壇神学の屁理屈を指し、自己内分裂を持していたことである。キリストにおいて再統合(再創造)されておらず、堕罪後のままの自己の姿であった。にもかかわらず、恥ずかしげもなく得々と話している自己の姿であった。自己の使う言葉は「観念ことば」であって「事ことば」になっていなかった。
ならば、「まこと」に生きるには・・・。人となられた神の子・イエス・キリストだけが「まこと(真実・誠実・真理)」(エメット、アーメンである方)であり、その方とどれだけ深くつながっているか、そのつながりの深度が「うそ」から解放されて行く道であろう。「まこと」に生きるのは、司祭である以前に、キリスト教徒であることの召命があり、さらにそれ以前に「一人の人間」としての召命、責任がある。これは生涯の追求し続ける課題であるが、私の場合、最初の内観経験から10数年ほど経てから「キリスト者のための内観」指導を行うことへと運ばれた。

その頃、キリスト教東方、ギリシア教父の教説にキリスト者の「内観の源流」がある事を予感していた。仏道における内観の位置づけを学んだのち、やがて砂漠の師父たち、ギリシア教父たち、ロシアの修道者たちの内面の世界へと導かれていった。そこで、創造主の下での、正直で(詭弁や理論ではない)、実りある魂の内面における「東西」(すでに仏教とキリスト教を意味する東西ではなく)の対話があると感じた。キリスト教内部の「東西」、すなわち、キリスト教会西方とその源流であるキリスト教東方の霊的伝統との対話である。50年前に、公会議はこの東方の霊的樹液から学べと勧告していたのであるが。こうして、目の前の諸現象や諸概念を根幹から読み直す契機ともなった。そして、いま、最初の内観経験から、30年を経ていた。第二ヴァチカン公会議後の、一人の神父のもがきの数十年であった。

4 同行者の道・20年
 「キリスト者の内観」面接者をはじめた頃、すでに、岡俊郎神父様も霊操指導に内観を取り入れておられた。彼が励ましの言葉を送ってくれたのが「桃栗三年、柿八年。十年やって一仕事。二十年していのち輝く」だった。そろそろ二十年経るが、果たして「いのち輝く」であろうか。
 
 それどころか、ますます、「我欲」のかたまりで、沢山の害毒を撒き散らして来たと懺悔あるのみだ。神の助けなしには救いようのない駄目な自分であることを思い知らされている。しかし、この駄目さ加減こそ、神への真剣な祈りへと奮発させている。
 若いつもりが、体力の衰えを感じる年齢となり、せめてもう十年早くから気付けばよかったのにと反省することが多々ある。それでも、「キリスト者の内観」は、お隣の韓国へ飛び火し、国内でも経験者が一般人に向けて「内観道」を伝えてくれているのは、慰めである。

5 庵の10年
 大司教様は、2002年の春から、私の居住地として、現在の地をあてがってくださった。当初から、ここは「私の庵」であり、第一に「祈りの場」、第二に「内観同行者」、第三に「仕事と生活の雑務をする生活の場」と意味づけていた。小教区司牧者でもなく、修道院共同生活者でもなく、年に半分以上、各地の内観会場へ行脚し、内観者の話を聴く。司祭に叙された後、いろんな教会・修道院などを回ったが、この地が一番長く住み(12年)、しかも、一番ぴったりした空間である。

 庵の生活から見えて来たこと。日本では二つの大震災。世界では富の格差と力の比べあい。人間により作られた諸文化・諸情報・諸技術が逆に人間を貶めていく。「今」はかってなかった「時」であり、人類も社会も、右往左往して「死」にむかって行軍している様である。
 公会議で話された現代世界との対話、諸宗教との対話、東西教会の対話・・・これらを通して、神の悲願である人類の再統合・再創造がなされるはずであるが・・・。これらは人間の世俗的努力の必要性もあるが、神からの恵みとして与えられるのである。アダムの末である人間は、一人ひとりは、自らの我と欲が打ち砕かれて・・・神の霊によって、深層から洗われ、清められて、キリストの死と復活の恵みの中に確かにあって、そうなるのである。これを率先して生きるのが、キリスト教徒とその集いである教会・協働態であるはず。キリストの受難と死と復活の神秘に、自らの「生」をそれに参与されてゆくプロセスによって・・・。

 つまり、今の時は、聖霊により一新されている最中・・・という姿であろうか。言葉を変えれば、ヘブライ語でシューブ(立ち返り、悔い改め)、ギリシア語でメタノイア(同じく、回心、考え直し、神の望む精神で生き直す)、流行の日本語で「断捨離ダンシャリ」(生活全体の改善)へと勧められている時である。
(息吹50号 2014年新年号 内観の心 (37)より)

「心のうちなる旅の辿りついたところからの出発

 1 司祭としての活動や司牧、そして、日々の祈りや生活をまじめに行っていたが、なにか、まだ深いところで満足できない自分がいた。そんな折に、「内観」と出会う。大和郡山にある内観寺に、吉本伊信師のもとで集中内観を受け、その後も、たびたび繰り返す。自分に欠けているのは、こうした生身の自己に正直に向き合うことだったと知る。
 
2 さらに10年ほどたってから、自らもキリスト教的な内観同行者として導かれていくも、浄土真宗的な内観の底を知るために、仏教のさまざまを学ぶにいたる。これは単なる日本的な自己理解や心の癒しや問題解決以上の宗教的な求道方法であることを確認しつつ、東洋の叡智に驚嘆する。深呼吸をしてキリスト教内部を見渡し、アヴィラの聖大テレサなど神秘家達と再会する。霊性の深みに生きた先達者の体験智は、同じように自己認識(内観)の重要性を語っていた。

3 この数年来、「内観」だけが独歩するのではなくて、意識を集中させ静まらせる「呼吸法」や、自己を超えるお方への祈り・叫びとしての「称名」という三位一体的な交わりのうちに、総合的に深められていく方向へ導かれていった。それに伴い、さらに多くの面接経験を重ねるうちに、内観者の魂の深層領域の景色や複雑に交差している構造を、よりはっきりと察知できるようになった感じがする。
 
4 キリスト教内部で「内観」「呼吸法」「称名」の三要素を、明確に指南するのは東方教会の師父や教父たちであることを十分に確認できて、私の霊魂は(依然として弱さや汚れをたくさん持ちつつも)安堵している。時代の流行や学者たちの見識に振り回されるほどの、時間的余裕はすでになく、使徒たちを経て教会のはじめからの伝統と教えの基礎を学んでいる日々だ。(息吹51号「内観の心」より) 

瞑想・迷走・雑感
★2015年も、まもなく終わります。この一年、内外ともに「揺れ」の激しい歳でありました。この一年を振り返り、私なりに、思うことを気ままに、書いてみよう。「息吹」の筆がなかなか進まないところに、フランス・パリで、11月13日に、痛ましいテロと大勢の犠牲者が出てしまった。災害者の冥福を祈ります。「アブラハムにおいて」、ユダヤ教・キリスト教・イエスラム教は、唯一神を信じる「兄弟」である。どこに、狂って殺し合いをするほどの原因があるのだろうか。開かれた心の対話を通して、また、自己の側の過ちを懺悔することから、未来への希望がある。聖ヨハネ・パウロ2世教皇様は、21世紀の敷居を越える前に、過去の教会が犯してきた罪の過ちの赦しを神に祈られたのを、感動的に想い出す。

★ポルトガルのファチマ(ファチマという美しい名は、イスラムのお姫様の名前だと聴いています)で、神の母・聖母マリア様が御出現し(1917年5月13日)て、平和のために祈り、回心するように呼びかけて間もなく100年になります。このたびの11月13日のパリでの惨事は、およそ100年前(1918年)、イスラム教徒のオスマン帝国首都コンスタンチノプルが西欧に陥落された忘れられない日でもあった。どうすれば、兄弟同士のこころの通う対話が出来るだろうか。

★単なる宗教的熱心さや熱狂的祈りだけでは、三者の間に「平和」はこない。三者のよって立つ「根拠」の研究と協働作業が必要である(カトリックの神学者ハンス・キュンク)。そのことの前に、自らのよって立っている教えの根拠を、深く探求すること無しには生じえないだろう。各自は、解説書ではなくて、もっと聖書本分の黙想が必要であろう。『フィロカリア』という本の中では、人間の理性と欲望は根が深くて、その業の深さは人間の力では制御できないタチのものであり、会議や概念知や学問をはるかに超える神にさけぶことを、教えている。称名道の重要性だ。

★★さて、春以降から気になっていた南方熊楠(みなかたくまぐす 1867〜1941)のことを。紀州田辺で粘菌・民族学の研究をする傍ら、熊野の山奥でも採集研究を行い、瞑想・観想・思索をした天才的な人。彼のノートにマンダラで書き顕されていた中心思想の根底にある一つが「物・事・心」「モノ・コト・ココロ」の洞察である。「知る人ぞ知る」の仙人・奇人・天才的な人物。英国大英博物館などにも所属し、高野山・空海の真言密教にも造詣深い。「物・事・心」は、切り離されたものではなく、全体的に相互の関連のうちにある。しかし、自然科学者は「物」の領域を切り刻み、歴史学者は「事」の流れをある解釈を選んで詮索し、心理学者も「心」を対象化し分析する。こうした現代ヨーロッパ流分析・分断型の思考構造がやがて行き詰まるだろうことを100年前から喝破していた。最近、彼の再評価が行われている。

★★今春の聖週間奉仕で和歌山・紀伊田辺教会に出向いたとき、偶然に彼の記念館を訪れて、「南方マンダラ」を知って、知的興奮、興味津々。直ちに浮かび上がったのは、聖書で伝えている「体・魂・霊」であった。我々は、この三者を分断区別して、掘り下げ詮索する知識(分別知)によって理解してきてはいなかっただろうか、との深い反省がある。ギリシア哲学、中世キリスト教思想以来そうで、今日でも疑うことなくそうしていることが多い。しかし、聖書ではこの三者の総合智において「一人の生きた人間(アダム)」と看做されている。

★★熊楠生誕から150年の人類の今日は如何に?「物・事・心」のそれぞれが一人歩きし、全体が一つに統合・総合されてはいない。そして「死」に向かい破壊・自滅への道を行軍している。「イスラム国」や「唯物的共産主義思想」の暴力的支配の問題のみならず、力のある国々は「お金・権力・科学技術」を「神」(最優先課題)として社会と世界を支配している。つまり、偶像礼拝をしてしまっている。手の付け所の無きかのような様相である。宗教すらもイデオロギー化してしまっているのではないだろうか。今、「バベルの塔」(創世記11章)に劣らぬ混乱を目の当たりにして、神の霊における再創造を熱烈に祈るときにある。創造主であり「いつくしみ」のお方を信じて。

★★★西方教会も、公会議(1965年開催)前まで、そうした哲学的思惟構造の枠組みに胡坐を掻いていた、との反省が出てきている。哲学も聖書学も神学も、官僚的な組織体制も神信仰の中身説明についても、概念知・分別知の餌食になってしまっていなかっただろうか。しかし、その不完全性(分裂・区別・差別・観念)は、決して他人事ではなく、自己の生存・実存深くに染まってしまっているのを認める。われわれは「世の罪」(偶像礼拝)に深く絡めとられているのだから。
古希を過ぎて、ますます、今、その不完全性がよく透けて見えてくる。分別知の弊害から抜け出るのは?「詩」や芸術や感性の領域は突破口となるだろう。あるいはまた、創造主の反映として仏教の唯識・起信論、諸宗教の「行」や体験智からも刺激を与えられるものがあるのでないだろうか。自分にはそういう心得に欠けており、疎いのだが。聖書本文に忠実に戻り、創造主・神への畏敬の念を取り戻さねばならない。嫌がる人もいるだろうけれど「神よ、罪深い私たちを憐れんでください」との「祈り」をせざるをえない切実な状況に来ている。いつくしみ深い神に、叫び、助け、介入を願わざるを得ない。

★★★昨年あたりから、読書の時間がよく持てた。『フィロカリア』出版の労をとられ、自身も翻訳されている宮本久雄神父(ドミニコ会士 現在活躍中 東大名誉教授)の関連書の数冊。クロード・トレスモンタン神父(1997年没)の翻訳書数冊。まだ読み掛けだがAJヘッシェル(ユダヤ教神学者1972年没)。共通しているのは、従来の通説にとらわれず、言い古され主流となっている思想・哲学を根底から見直し、聖書における「ヘブライ思想」の再評価に突き当たることだ。若い頃はラテン語が、そして聖書の重要性が言われて以来ギリシア語が。けれども、そもそも、「神」はイスラエルの民を選び、その歴史を通して不思議な「事(コト・業・出来事)」を行い、決定的な救済的恵みがキリストによって行われる事を教え、かつまた、その成就・実現を伝えたのは、まずヘブライ語によってであったという事実。我々は、そこで教えられている慈しみ(ヘセッド)と真実(エメット)と憐れみ深い(ヘレム)お方を信じているのだ。

★★★しかし、なにせ、聖書は多くの言語の源流であるインド・ヨーロパ語族と違うセム語族のヘブライ語で伝えられており、依然としてある反ユダヤ人種の影響もあり、なじみが薄かった。ところが現代思想をリードしている根底に、ユダヤ人が多いのである。ノーベル賞受賞者の多いことだけでなくて、宗教分野でもMブーバーから始まり(それ以前からユダヤ人は思想・哲学・神学分野で深い洞察を与え続けていたが)、20世紀にはEレヴィナス、AJヘッシェルなど偉大な思索家・神学者を数々生み出している。『教皇(フランシスコ)とラビ(ラビ・アブラハム・スコルカ)の対話 天と地の上で』などは、導入として是非一読を。
ユダヤ人は、神に選ばれた民である。神から託された聖書を命・民族をかけて2000年、死守してきている民である。我々が手にしている聖書は、ヘブライ語で書かれた神の心・コトを様々に「翻訳」されてのものである。ギリシア語へ、ラテン語へ、ヨーロッパの諸言語へ、日本語へと翻訳されたものである。その過程で、そのつど特定の考えと限界の中で神の言葉が解釈される。
問題は流れいく時代の様々な影響を受けた人間側の「解釈」にある。場合には、神・聖霊の手から離れて人間に「わかる」ものと称して「創作」されたものまである。翻訳の過程では、決して、避けることの出来ない混乱と限界だろう。もとのヘブライ語(神の示したこと)がどこまで正しく把握されているのか。真意はどこにあるのか。こうした迷いの中で、ユダヤ教のラビ(教師)達は、どのように聖書の言葉を「解釈」しているのだろうか、という止むに止まれぬ渇望が湧いてくる。

★★★幾重にも翻訳され、様々な見地から解釈された聖書を読むわけだが、「こう述べられているけれど、本当はどうなのか。真実のところはどうなのか」と疑問を感じることがある。神の真実(アーメン)については、被造的存在・かつ世俗的価値観に染まり過ぎている我々にはその把握には、限界がある。しかし、こちら側の浄化があって、且つ、恵みにより、あちら側からの風に吹かれて、知的にも情感的にも、なんとなくそれらしきコトが自己の生存に啓かれてくることもある。知識ではなく、智恵の獲得である。「事実・出来事」(見える世界)を「真実・まこと・アーメン
(あちらの真意を感じる世界)に把握する、内面的な宗教的領域の重要性である。詩篇119で教えるように、人間側の自由意志による選択で応答し、ある種の生き方の「調え」・「行」の必要性も求められる。
神の霊によって書かれた真実のココロ(文字が教えようとすること)を分かるには、同じく神の霊によるこちら側の清め(洗濯)が前提。生き方においても、礼拝行為においても、世での活動や生業選択においても、こちら側が変わらねばならない点がある。神の側の変わらぬ誠は、慈愛であり、あわれみであり、赦しであり、創造を完成させることにある、と信じているので楽観的ではあるが。

★★★すべての「事」は神の導きの中にあるともいわれ、神の霊(心)は書かれた文字と人間の知性を超える力をもつているのを信頼しつつ。幼きイエスの聖テレーズは、当時の普通のフランス語訳聖書を読むだけで聖女になった・・・。文字を通して、また、文字を超えて、聖霊(神の心)は自由に教え導く。聖書は聖霊によって書かれたので、読み・解釈する場合にも聖霊の助けが必須であろう。「霊的感覚」というものの必要性を思う。

2015年待降節に

エリアのこと

T この号(58号)では預言者エリアのことを考えてみよう。彼は旧約聖書・列王記上17章・18章などで描かれている「神の人」である。

イエスはタボル山での御変容の時、御自分の最期(エクソドス・終わりの時のこと)のことを、モーセとこのエリアと三人で話し合った(マコ9章)と記されている。この時(イエスの御変容の時)に先立つ850年以上前の偉大な預言者エリヤについての雑考である。

 

エリヤはこの世の神・バアルに仕える500人の偽預言者との戦いで、たった一人でアドナイ(ヤーハウェ・主)と呼ばれる天地創造の神の側に立ち、「主の名」を呼んで神の力を現した。

その際の祈りの姿は、偽預言者たちの姿勢(熱狂的な祈祷と身体的荒行)と違い、膝の間に頭を垂れ、あたかも丸くなり、ひたすら主の名とともに(吸う息と吐く息の呼吸と共に、円環的姿勢で)主の現存を自らの内に、呼び降ろしているかのようであった。(列王記上18の42)

U 後に、神の人エリアを慕ってカルメル山付近に隠棲した預言者の群や新約時代にもこの山に隠遁した修道者たちが多くいた。
エリヤの例の祈りの姿勢にこだわるが、カルメル山の頂上で、顔を膝の間にうずめて祈ること七度の後、「手のひらのほどの小さい雲が海(地中海)の彼方から上ってきた」(列王上18の44)。そしてやがて恵みの雨が激しく降る。

神秘的で美しい箇所だ。海からの小さな手のひらほどの雲は、やがて厚い雲となり恵みの雨となり、大雨が降る。カルメル山的伝承によると、恵みの大雨(神の子イエスの誕生)の降る前に、海からの手のひらのようなこの小さな雲、それは神の母となるマリアのことだ、と。マリアを通して神の恵みが激しく到来する、と受けとめる。

 とにかく、こうしてエリアは主の力を偽預言者とアハブ王の前で証明して、旱魃の中、恵みの雨を降らせた。

V もうひとつ興味深いのは、恵みの大雨がやってきたので、走って避難するエリアの様子。「エリヤは裾をからげてイズレエルの境までアハブの先を走って行った」(18の46)。

俊足のエリヤではあるが、王妃イゼベルの嫉妬から命を狙われた際には、「恐れて、直ちに逃げた」(19の3)。嫉妬するイゼベルとは、生の深部に虎視眈々と狙う暗い情念のシンボルのことであろうか。これには誰一人手に負えないしつこいものである。(だからこそ、神の御子が救いにこられたのである。)足の速いエリヤのことだから、荒れ野にはえる一本のえにしだの木の下までたどり着いて祈る。

しかし、このときのエリアの祈りの姿勢は先のものと違って、「坐って」もう死にたい、と言う。しかし、神は沈黙。祈りの力が弱かったのであろうか。

W 荒れ野や砂漠はエリアにとって、沈黙する神との出会いのための浄化の場所でもあった。彼は更に、四十日四十夜(イエスもまた四十日四十夜砂漠で悪魔の誘惑をお受けになる)、神の沈黙という重苦しい状態を背負って歩き続ける。そして神の山ホレブに到着する(19の8)。

ホレブ山は、モーセが神の御言葉(トーラー・律法)を頂いたシナイ山のことだとも言われている。

神は沈黙しておられるのではなく、シナイ・聖なる山ホレブで、すでに御言葉を通して語っておられた。我々も、耳の穴を神の霊の言葉によって、もう一度、掘り起こさねばならない。盲目の心は御言葉によって、もう一度、開かれねばならない。聖書は文学小説ではないのだから、聖霊に照らされて、拝受しなければならない。

 

X ホレブ山の一つの洞窟にいた時に、神の顕現・託宣を受けたことについては多くの権威者が解釈している。いま彼の「俊足」について、私流の雑考をさせてもらう。エリアの「足の速さ」は、時空における素早さだけではなくて、神のご計画を知る点(神秘の世界・神の秘められた計画=御変容の時の三人の話題)においても秀でていたのであろうか。  

死ぬことなく天に上げられたほどの神の人エリアのことだから(列王記下2の11)、850年後のイエスにおいて顕わになる、御父の隠されていた計画をあらかじめ何らかの霊的洞察をしていたのかもしれない(これは私の勝手な想像)。

ついでにおしゃべりすると、「昇天の秘儀」について。昇天と言う不可思議なことは、エリアだけではなく、エノクもまた「神と共に歩み、神がとられたのでいなくなった」(創世記5の24)とあり、そのエノクの信仰のゆえに天に移されたとシラ書(集会の書44の16)やヘブライ書(11の5)にもそう信じられて書かれている。神の母・聖母マリアも天に挙げられた、と西方ローマ教会は宣言している。私達の信仰は、地上を過ぎ越して、この昇天秘儀に向かっているのだが。

さて、時空を超えた霊的次元での「知り方」に恵まれた人は、「天」の奥義をいち早く知るのであろうか。昇天秘儀とは、どういうことだろうか。

聖書が伝えることは、大脳新皮質次元での科学的論理的な知解方法(理屈・納得・証明)を、唯一の根拠とはしてはいない。「信じる」という領域の能力によって、神の不可思議な業の起こりうること、それを経験的体験的に霊的に「知る」ことが出来ると伝えている。イエスの復活・天に挙げられた(昇天)ことを信じる初代教会の群、もそうであった。

Y ホレブの洞窟の体験についての話題に戻ろう。
 彼の洞窟体験から学ぶのは、祈りについてである。エリヤの祈りの姿勢に習って「イエスの御名の祈り」を実践する人々が大勢いる。この単純な祈りは、有史以来、20世紀後半ころから最も拡がって(西方教会内部でも)なされているという、不思議な現象が起っているそうだ。

しかし、初心者のつまずきは、意識を自己内に集中すると、想念と情念の大嵐、これらの大洪水に溺れてしまい、イエスを呼ぶのを諦める。内面でイエスの臨在を味わうどころではない、という悲しい現実に出会う。 

イエスの内的な現存の味わい(聖霊の恵みによるのであるが)なしに祈る時の様は以下である。
つまり知性の動きの主なもとしての想念が、深い情念に下ささえされて、雑念・妄想・空想・想像・イメージ・推理・思惟の劇場(スクリーン)を演出する。そこではイエスの代わりに(まだ清められていない)我執・我欲にまみれた「私」がある。それにより、神の沈黙の中からのささやきの声をきく替わりに、自分に都合のよい聖書解釈や信仰の理屈(こう書いている私も多分そうなのであろう)で、よしとする。

外的には沈黙しているが、内面的には考え(想念)による騒音の嵐や感情面では怒りや嫉妬や憎しみ不安の火(情念)がメラメラと燃えている。決して平安と静かさはない。

それだけではない。賢い悪霊はさも本当らしく、旨く人を唆す。神の言葉さえ用いて、うまく我々を欺く。エデンの園でエバが唆された時のように。(創世記3章)
 
ホレブの洞窟(祠)でのエリア的祈りは、こうした想念(考え・知性)と情念(感情・衝動・動物的動き)から、清められ、静められて後、神の静かなささやく声を聴くことが出来るようになる。これは恵みである。魂の深層に架かっている様々な垂れ幕・厚い雲を、聖霊の風で吹き払われて後、祈る者の魂はかすかな声を聴くことが許される。モーセですら神の背中を見ることしか許されなかったのだから。(出エジプト33章)

Z 実に私流の勝手な受けとめであろう。とはいえ、「詩編」とフィロカリアの師父達の教えからの学びであるが。この辺りは、現代・西方人たちの祈りにおける主知的傾向に注意したい、と言いたいのである。
人間中心的でうるさい願い事や、推理・想像たくましい物語作成の精神的営み、美しい理想や観念の披露、と言う風な自己陶酔。あるいは「神よ、なぜ黙って見ておられるのか」と怒りの抗議を出させる心理療法まがいの祈りを指導するような。
 場合には、世間で用いられている理論を聖書に当てはめて(だから、人もついて行き易い)、社会運動のような様相を示す。しかし、せいぜい30年もすれば、枯れ草のように誰も見向きもしない。嘘つきか、扇動者か、偽預言者であったのか。

「?」である神は、人間の脳みそで了解できるちっぽけな枠に納まるお方ではない。実に、その枠を破っていくのが信仰の道なのだが。

東洋の意識内面降下の実践智(唯識や大乗起信論)では、表層意識は業にまみれた迷いの層(相)であること、妄念の引き起こす「不覚」な状態であることを指摘し、こうした意識の洗いを勧めて「まこと」に向かわせる。表層・中間層を経て、さらなる降下を促し、真実(真如)の「覚醒」への道程を示す。無無無!とか、黙してひたすら呼吸せよ!とか。まさにある意味で聖書的なよみ(陰府)下りである。

[ 他方、キリスト教東方の霊性では、砂漠や荒野に隠棲したまことの神への道行きを行じた修道者たちによる、祈りの経験智を伝えている。ありがたいことだ。
たとえば、『フィロカリア』(翻訳あり)収録の様々な教父・師父達、とりわけ証聖者マクシモス(没AD662)などから、まことの祈りの道を知ることができる。彼らは知性と情念の汚染・歪曲・迷いから免れるに、死して復活した「イエスの名」の想起をもってして、陰府くだり(復活)と、霊による神からの誕生の道筋を案内している。東方教会では、西方の宗教画に見られるような墓の前で勝利のキリストが輝しく立っている「復活」の示し方ではなく、陰府・地獄(カトリックでは古聖所などと表現する)にまで降って、彼らを救い上げるイエスの姿のイコンで顕される。それを描く、アンリ・ルブリヨフのイコンは有名だが、キリスト者の内観指導し始めた当初から、その複写を「いほり」に掲げている。

 

\ ともあれ、エリヤに戻ろう。洞窟の前での、神の「ささやき・託宣」は、エリヤの問いかけに対するものではなく、次に展開する出来事に備えるべく、別の使命を授けることだった。出来事の主役は、アドナイ(ヤーヴェ)と表される「神」なのだ。エリヤはその前で神に用いられる小さな器であり、やがて神の懐に挙げられ隠れていく。

 エリヤの昇天。彼が天に昇っていった後、天から彼の外套が落ちてきて、弟子のエリシャはそれを取り、水を打つと、師エリヤのときそうであったように水が左右に分かれた。それで、預言者の仲間達は、エリシャに師父エリアの霊がとどまっていると言い、エリシャに平伏した。(列王記下2章)。
 (2017年 息吹58号より)

 

 





 

 


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