2007年12月18日更新


 

モンセラート巡礼記   東も西も

1  10月にスペイン・モンセラートの聖ベネディクト修道院を訪問した。三度目になる。大聖堂と「黒のマリア像」は有名だが、それ以上に私の魂をひきつけているのは、あのギザギザな鋸山(モン・セラット、ノコギリの山)に12ある隠棲洞窟(コバ)である。希望者が多くて隠遁するのが順番待ちであった時期もあったそうだが、現在、修道者はひとりも住んでいないと聴く。しかし、数面前まで、髪がぼうぼうで腹まで髭の伸び、粗末な衣服をつけた年配の隠修士がいて、彼が禅定瞑想している写真が残っている。
その後、いつものルートでピレネー山系の高地の村・エンビニ村の教会を訪問。自然が美しい村だ。人工の音が無く、汚れを知らない土地。今回は丘の上に残るロマネスク様式の廃隠遁祈祷所(エルミタージュ)まで登った。このエルミタージュをも再建しようとの話が巡礼者から出てきたのは興味のあることだ。さて、村の教会に住むジョアン神父の興味であろうが、集会室にインド風のイエスが禅定瞑想しているロウケツ染め布が飾ってあり、ひと際、目をそそる。ただしイエスの顔は天に向いていたが。複製を欲しく思いつつ写真を撮った。

2  この二つの思い出は、巡礼後もたびたび祈りの中で心地よく思い出されてくる。どちらも下界の騒々しい教会とは別の雰囲気で、霊の深みへの志向だ。西方の魂たちはその深みにおいて、東方から深層下りの道を学ぼうとしている現象がある。しかし、まだまだ一部の研究者や瞑想者に限られ、仏道に惹かれる多くの外人宣教師たちも外観だけの興味に終わり、本当の深みの理解には程遠い印象であり、残念だ。今、東西の宗教世界では、人類歴史上の驚くべき(よい意味でのグローバル化)出来事が生じている。しかし、街では、相変わらず表層の現象面での対応(外観)に終始した精神的貧しさがある。西欧のアイデンティティの死守と自らの精神的危機を感じているからであろう。つまらなく恥ずかしいことだ。精神的エネルギーのもったいない浪費をしている。今の時代は、あたかも人類・地球の霊性が臨界点に達しており、次の新しい「生」の出現を生み出そうとしている。「産みの苦しみ」にいるかのようだ。我々は、今、そういう時代の教会に生きているのだ。

3  巡礼後、直ちに北海道・札幌での内観同行。厚別聖ベネディクト女子修道院での会場が今回で最後になるので、同じベネディクト系の男子当別トラピスト修道院を訪問。ベネディクトの教えに従い沈黙と酪農の生活をしながら祈りの日々を送る修道者たち。60年以上も、隠世生活の中で、聖書・教父から観想し続けている老師から話を聴く。故田中輝義隠修士(カルメル会)のときと同じ深みから、あるいはアチラからの「声」を覚えた。全身全霊を傾けて聴く。親鸞の称名念仏と東方教会の霊性の根である「イエスのみ名を呼ぶ祈り」に話題が行く。親鸞は漢訳(マタイ)福音書を眼にしていた・・・という下りには納得。隠れた所に、真実に生きている隠遁者を知り、将来は見捨てたものでないと喜ぶ。

4  長い長い歴史の中で、東西宗教は相互に影響を与え合っていた。仏像などにギリシア様式の痕跡を見ることが出来るだろう。どちらが歴史的に先であるとかの論議ではなく、東西が相互に影響を与え合っていた事実を大切にする。しかし、いまだにヨーロッパ至上主義的見方から脱皮できず、日本の文化内開花に難癖をつける論調が堂々とまかり通る日本教会の実情がある。自らの勉強不足を提示する恥なのだが、それに気づいていない。
いのちの根源へ向かおうとする魂たちにとって、東も西も同じ中心からの動力により、同じ中心へと向かう(帰り戻る)のであろう。ナムの道もアーメンの道も、根源的な合掌心において一つとすると、学問や組織の強化よりももっともっと「心の祈り」の世界へとひたすらに方向を選択し直して行かねばならない、と思う。
(息吹32号より)


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