2005年10月30日更新


 

神の山・モンセラート
                  巡礼への誘い
「ヨーロッパ・カトリック聖地巡礼センター」の代表者である松村和人さんが、突然訪れてこられて、巡礼団長になってもらえないか、との話を持ってこられたのは、昨年の11月か12月ころだったと思う。12月クリスマス号の「息吹 23号」で巡礼予告がすでに出ているから。この話がやってきたときに、最初は正直にいって、半ば観光的になってしまっている多くの「巡礼」にはうんざりしていたし、体力的にも団長など務まるはずもないし、困ったなあと感じた。しかも、私の生涯はすでに残された司祭職のエネルギーを「心の内なる巡礼・内観」に奉献しているので、いまさら外回りの仕事を引き受けるわけはない、そう思っていた。「キリスト者のための内観瞑想」に関することならば、地の果てまででも行くつもりはある。実際、隣国韓国へも出掛けていった。しかし、松村さんと同行してきた人が中原道夫氏(聖母教育文化センター所長)だった。彼とは子供のころからよく知っており、ご両親とも信仰談義をよくしていただいたにもかかわらず、彼には何もしてあげることもなく、不義理ばかりしていて申し訳ない気持ちを持ち続けていた。
 それで、もし、アチコチ回るのでなくて、西欧式キリスト教の霊性の源流を探る巡礼ならば、OKすると応えた。あわよくば「東洋の智慧である内観」を紹介するチャンスになれば幸いだと思い、将来、スペインでも内観をするチャンスが生じるかもしれないと「欲」を出して、今回の巡礼を承諾した。当初の予定を、若干変えてもらい、モンセラートという聖ベネディクト会の有名な修道院を中心に限定してもらった。

 ベネディクトは西ローマ帝国滅亡のころ生まれ、戦乱と退廃の時代を生きた。勉学のためにローマに行くが、それを止めてただ神にのみ仕えようと思い、イタリアのスビアコで洞窟を見つけてそこで神の道具とされるまで浄めの生活を送った。やがてベネディクトの霊的力(予言や奇跡や悪魔祓い)が知られるようになり、同志たちが集まってきて修道院生活が始まる。修道院生活の戒律を作成して、その後、ベネディクトの修道院はヨーロッパ中に広がっていく。西欧修道院制の父と呼ばれるゆえんである。ベネディクト会はヨーロッパの信仰と教会を支え、ヨーロッパの文化の担い手となっていく。新しい教皇もベネディクト16世を名乗った。実は、ベネディクトの戒律を少し読んだのだが、私の「内観道」で伝えていることと共鳴している。

 20世紀後半の第二ヴァチカン公会議後、「東西霊性の交流」というキリスト教と仏教の交流・対話が始まり、スペインやベルギーのベネディクト系修道院でともに「生活」をし「祈り」の生活という実践と沈黙の交流が行われていることも聞き及んでいた。若い頃から心躍らせて聞いていたものである。すでに4半世紀以上を経ている。日本の禅道場で修行する外人や外人司祭もますます増えてきている。元花園大学学長の河野老師もかつてモンセラート・ベネディクト修道院で行われた「東西の霊性交流」に参加し、いまは臨在宗妙心寺派の盤珪禅師(不生禅を説く)の根本寺・龍門寺(姫路市網干区浜田)の住職として寺を再建する使命を携えて、派遣されている。(私は5月に龍門寺を参観してきてもいた。)「東西の霊性の交流」は、その後、学問的次元でも内容も豊かになりつつあり、研究者も増えている。最近では禅から浄土系の仏教、阿弥陀如来への関心も深まりつつある。こういう観点からは、自らも浄土真宗・親鸞の流れから出てきたという「内観」と出会い、「キリスト者のための内観瞑想センター」を主宰している者として大いに関心を持っている領域でもあるので、今回の巡礼の名を「東西の霊性の源流を訪ねて」にするということで参加者を募集することになった。

 モンセラートがなんだか分らないまま、案内写真を見るくらいで、準備を何も出来ないうちに出発の時間が迫ってくる。ただ、モンセラート修道院に属する隠遁者のスタニスラオ神父がわざわざ日本にまで来て、貧しい不便な隠遁生活をしていたこと、有名になったためにモンセラートからエルサレムに逃げるように隠遁場所を変え、さらに東洋・日本へやってきたこと、女子ベネディクト修道院からも数名のスペイン人シスターが同行して日本で隠遁生活をともにしているという噂は早くから聞いていた。実際、長崎のある海岸沿いで、強い風の吹き当たる貧しい空き家を隠遁所にしているところを拝見もしていた。彼らのグループがそこから更に、移動して広島県三原市の農家で隠遁生活をしていることを知り、10数年前に彼らを訪問したこともあった。
 司祭になってから私自身のなかにある種の「隠遁的」な生活への憧れがあり、結果としてその夢が「内観瞑想センター」を立ち上げることにもなった。私には、せめて「内観瞑想センター」事務所の頭に「心のいほり」と名を付け加えるのが限界であった。いまだに、自然の中で、思索・瞑想の隠遁生活を夢見ているが。

 ギリギリに迫ってきたときに、松村さんに運転を願い、山陽自動車高速道路を数時間飛ばしてシスター・ミリアムのいる三原の四方庵まで飛んだ。すでにスタニスラオ神父は帰天していて(2003年3月29日)、跡を一人で守っている彼女が迎えてくれた。私たちはミサと食事をともに、数時間を過ごした。私は、今回、モンセラートに行く際に、私の簡単な冊子『内観のすすめ』のスペイン語訳を持って行きたいから、是非翻訳してくれと願う。このときはじめて、いわゆるスペイン語とカタルーニァ語の違いがあることを知った。いわゆるスペイン語は首都マドリッドのあるカスチーリヤ語であるが、今回巡礼する、ピレネー山脈を越えるとフランスであるスペイン東部にあるカタルーニァ地方、バルセロナや近郊のモンセラートも含む、はカタルーニァ語であることを知る。彼女はカタルーニァ語で翻訳するという。また、出発まで時間がないので、日本語で朗読したテープがあれば翻訳のために幸いだ、と注文を受ける。テープ朗読は内観経験者に願い、とにかく、出発の前々日に松村さんは20部ほど印刷して事務所まで持ってきてくださった。

巡礼
10月1日の早朝集合であるために、前日から関空ホテルで宿泊し引率者達の打ち合わせ会をした。KLMでまずはアムステルダムまで。KLMをさらに乗り継いでバルセロナまで。日本と8時間の時差がある。今は東京のクラレチアン修道院にいて、休暇で故郷にもどっているマルセリーノ神父と成田から出発したグループがバルセロナ空港で迎えてくれる。バスで1時間半ほど、そのままモンセラートの宿舎へ。着くと夜の11時過ぎ。暗闇だが、山々の霊気はすでに伝わってくる。

 朝起きると、(10月2日の主日だが)モンセラートの幻想的な山々が眼前に迫ってきており、ただその岩盤からなる奇観にしばらく圧倒されていた。それらの合間に大聖堂や修道院や宿舎、様々な施設が作られている。宿舎の直ぐ傍まで迫っている岩から滴る「清水」は(宿舎の階段窓から見ることが出来る)、ミネラルの含んだおいしい生ける水である。モンセラートのしるしは漢字で「男」とも「鬼」とも見えるデザインであり、はじめは異様に感じたが、上の「田」に見えるのは「鋸ノコギリ・セラート」で下は山を表す「Mモン」とあわせてあり、モンセラートのシンボル・サインだとのこと。ノコギリ山というわけだ。千葉・房総半島にある鋸山や兵庫・宝塚の蓬莱峡を数倍大きく広くした、しかしそれとも違う異様で厳しく奇観なモンセラートの姿は見る人をして、非日常的なイメージを湧き起こさせる。だれをも寄せ付けない城砦のようでもあり、空海・最澄達が求めた高野山・比叡山のような霊地、隠遁修行所でもある。数1000万年か数億年単位での地球の地殻の変化、雨風の作り出した、岩盤を鋸で削ったような景観である。それはアフリカ大陸が押し寄せてくる地殻変動により、地中海にあったとされるバレアレス大陸の沈下により、皺が生じ(インド大陸がそうしてエレベスト山脈を作り出しように)隆起して出来た景観だと言う。だから探すと貝殻なども出てくるという。

 このモンセラートは1000年以上もカタルーニァ地方の心の中心となっているとマルセリーノ神父が説明してくれた。政治・ナポレオンの仏軍に破壊されたこともあるが、宗教心は却ってカタルーニァの人々に団結と民族心を高揚させたそうだ。古くから多くのキリスト者が険しいこの山間にまで巡礼してきて、アチコチにある洞窟(コバ)で黙想を続け、あるものはコバで隠遁生活をしたそうである。そして魂の深みにおいて神と向き合い、宗教的なインスピレ−ションをもらい、それぞれの修道会を作ったりもした。カタルーニァ人たちの優れた芸術的感性もこのモンセラートによっている。後に書くが、1000年以上前にこのギザギザ山の奥深くにある一つのコバ(洞窟)に黒のマリア像が発見された。
 宿舎から逆の方向には遠くにピレネーの頂がかすかに見え、すでに白粉のような化粧が見えていた。その向こうはフランス。巡礼団の東京出発組みは後半、向こうのルルドへと行進を続けることになる。
黒のマリアさま
10月(ロザリオの月)のはじめの主日ということもあり、2日の主日は、大勢の人たちが集まってきており、大聖堂前の広場では、祭りのような催しもあり、TV局の車が待機し、準備をしていた。私たち司祭は、11時からはじまる修道者たちの日曜日のミサのために、外からの司祭たちとともに内陣(歌隊席)に招き入れられて、荘厳歌ミサにあずかって共同式をする機会に恵まれた。ミサの奉仕のために同じく歌隊席にいる少年聖歌隊(エスコラニア)の美しい歌声を聴きながら。彼ら少年聖歌隊は、全寮制で特別に訓練を受けて、モンセラートの聖務に仕えている。大聖堂の会衆は満杯であり、祭壇への階段、聖書朗読台の下まで、地べたにまで迫ってきて、坐ってミサにあずかっている。少年聖歌隊だけではなく、会衆の歌も自然に大地から湧き出てくるような祈りの歌声であった。
 こういうのを経験したのは身延山・大石寺を参拝して大勢の信徒のお題目を聞いたとき以来であった。宗教に大事なのは「口で単純な祈りを大勢で繰り返してする」ことであると思う。表現は違うが、ファチマでの民衆のロザリオの祈りと歌に参加したときにも同じ経験をした。大地(大衆)から湧き出るような祈りと歌。また、印象的なのは、奉納行列のとき。まさに奉納行列で、パンとぶどう酒のみならず、祭壇の飾る花、様々な巡礼団の捧げものなどとつづく。「頂いた恵みにお返しするという人間側の応答(アーメン心)」により神との交わりが一層深くなる。何も捧げものをもってこなかった自分を恥じた。

 大聖堂の右脇隅の通路は高く顕示されている「黒のマリア像(ムラネタ)」を参拝するために長い行列が出来ている。モンセラートはこの黒のマリアに向かって世界中から、とりわけスペイン、カタルーニァから巡礼者がやってくることで栄えた。かつては岩山の奥地に隠されていたのが、たまたま羊を追ってやってきた羊飼いによって不思議な光の発光する洞窟で発見された。今は大聖堂の高いところにガラスケースの中に安置されている。年配の元気な巡礼者は早朝一番のすいている時間にすでに参拝してきたというが、ミサ中も行列が長蛇。私は夕方に出掛け直したが、それでもある地方の司教の率いる巡礼団のミサ中で、相変わらずの長蛇で、マリア様にお会いするために30分ほど行列しなければならなかった。私は、心にもってきたマリアさまへのお願いをしながら順番を待った。やっとたどり着くと数秒しかとどまれない。巡礼者達がするように私も黒のマリアさまの手にある丸い玉に接吻をして、もう終わり。しかし、御像の丁度後ろに回ると祈祷所があり、マリアさまの後姿を拝見しながら祈れるようになっている。最近、ひざまづいて祈ることがなくなっていた私だが、ひざまづいてしばらく一心に祈ることが出来た。これで、今回の巡礼の目的は達した。

 広島・三原の四方庵にも、同じマリア像が4畳ほどの祠に安置されていて、すでにお目にかかっていたムラネタだが、シスター・ミリアムを訪問したときに質問をした。ルルドのマリアさまは病気を癒す恵みを下さいますが、モンセラートのマリアさまはどういう恵みですかと、不信仰な質問を出してしまったが、彼女は直ちに「回心です」と応えてくれた。瞬間、これは私に必要な恵みだ、モンセラートで黒のマリアさまに会いたいと感じた。内観同行者として「内観の霊性に生きる」べく、もっと私自身が回心するように。また参加する多くの内観者にも必要な恵みを下さるように。今回の巡礼に誘われた神様の摂理をそのときに理解したのであった。巡礼中に分ったことだが、実際、多くの聖人たちはモンセラートへの巡礼で霊的恵みを頂いている。クラレチアン会の創立者マリア・クラレット、イエズス会創立者イグナチオ・ロヨラの像が玄関ホールに、愛徳姉妹会創立者ヴィンセンチオ・ア・パウロ、跣足カルメル会創立者アヴィラのテレサなどは大聖堂前の広場に、礼拝会創立者マリア・ミカエラ・・・そのほか芸術家達も含めて、多くの関係した聖人の像を大聖堂の境内や付近の散策道で見つけることが出来た。ここは神の山なのだ。

 モンセラートは12,13世紀以来、ヨーロッパの聖地、「マリア信心を広める源流」、多くの聖者たちが世界に「派遣されていった源流」であった。私たちはこのカタルーニァから生まれたクラレチアン会の司祭たちとともに宣教司牧しているが、彼らの勧めでこの巡礼企画が十数年続いている理由が分った。
 さらにまた、ここはもう一つの源流でもある。預言者エリヤの末裔達がカルメル山で隠棲し、その後、隠遁者達が結集されてカルメル会へと育っていったように、ベネディクトの戒律にもとづきここで修道生活を教会から依頼されるもっと前からすでに隠遁者達が棲みついていた。「隠遁者の源流」でもある。711年よりアラビア人の侵略が始まり、その後アラビア人からこの地を奪回し、888年には新たに礼拝堂や修道院が寄贈された。1025年に、すでにあった修道院はベネディクトの会則で営むようになったと聞いている。

 こうして考えるとイスラムが侵入する以前からすでに、この聖なる山に籠もって、祈りと懺悔に励む人々が住み着いていた。彼らとムラネタのマリアさまとは決して無縁ではないだろう。素朴で、仏像を想わせるマリア像は、特別な芸術家ではない民衆か隠遁者達の残したものであろうか。隠れて祈り、懺悔と浄めの日々。御父との交わりの生活、その蜜月を過ごす隠遁生活。そして今もなお12の隠遁所に一人住まいを続け、空きが出来るまで次の隠遁者が生活することがゆるされないと聞いている。
 禅の十牛図の第七図は「忘牛存人」とあるが、「いほり」を組み一人で生きる修行者の絵であるが、隠遁者とその絵が自然に私の中で重なった。三原にある四方庵のミリアムさんは、冬の農作業の出来ない日々はイコンやロザリオ造り、工芸や手作業をしてわずかの稼ぎを得て貧しく隠遁生活をしている。その隠遁の精神を生きている人である。

 ところで、ムラネタと親しまれている黒の木像のマリア像は、はじめから黒であったわけではなく、長年のうちに、塗られたニスや香炉やローソクの煙にいぶされてそうなったのかもしれない。とにかく千数百年以上も何1000万人・何億人もの人々から崇敬を受け、愛され、眺められてきたマリアの顔は素朴だが美しく光っていた。口元を閉じた、気品のあるお顔だ。マリアの右手には地球のような丸い玉を、膝の上には幼いイエスが坐り、左手でイエスを守っている。イエスは右手で世界を祝福しているかのようで、左手にはなぜか松ぼっくりを持つている。そういえば大聖堂の前には、大きな松が植えられていたが、モンセラートと松の関係は分らないままである。いずれにせよ、ムネラタは、日本ならばローソクや香炉で薫習された仏像のようであろうか。肌が黒光りしている。祈りの香りと煙のこめられた木像のマリア像からの奇跡が絶え間ないという。本当に美しいマリアの顔だった。

コバ・洞窟の霊性
この日のシエスタ(午睡)がすんだころ、マルセリーノ神父さんの知り合いで日本に来たことのあるベネディクト会の修道司祭が、特別に修道院の中を案内してくれるという。これは本当に願ってもないありがたい体験だった。普通の巡礼団は入れない禁域。修道院内回廊と中庭、広い庭の中に保存されている最初のころの祈祷所・礼拝所を見ることが出来た。それは711年にアラブ人が侵入する以前からすでに四つの礼拝所が作られていたが、修道院内に一つこれが残っているという。
 それは静かな木々に囲まれた庭の中に古い土と岩で作られた心惹く建物であった。私は珍しく質問した。是は何ですか、と修道士に尋ねると、モンセラートの最初からの礼拝所だと、説明してくれた。日本で言うと奈良時代(平城京に遷都が710年)以前の飛鳥・白鳳時代には、ここで確かにすでにミサが上げられていたのだ。正確には発音できないがイスクラと呼ばれている。「石倉」を連想させてくれるような表現で、そういう建造物だ。触れてみたくなって扉を押すと、静かに開いたではないか。入っていいかと尋ねると、微笑んでいいよと言う。中に入ると正面と右脇に祭壇があり、床にはスポンジの上にじゅうたんが敷きしめられていて、なんと坐椅子が二台あるではないか。薄暗い聖堂は今でも半ば隠遁所のような祈祷所として使われていそうな気配だった。修道士は、かって日本から禅の坊さんが来てここで座禅を教えてくれたという。その名残だろうか。彼は座禅中、ロザリオをしていたら、禅僧から警策でぶたれた、と笑いながら話した。神秘への近づき方の東西の多様性であるよい例だ。ずっとここにとどまりたい気持ちが強く湧いてきたが、次の機会を願おう。

 翌日(月曜)元気な巡礼参加者達がバルセロナのサグラダ・ファミリアなどを訪問している間、私たちは別の行動をとった。サグラダ・ファミリアとは、有名な建築家・ガウディが依頼されて、聖家族、とくに聖ヨゼフへの信心者グループのために建築設計し、1883年から以後この建設に没頭し、1925年に、交通事故にあい逝去。その後も建設は有志に引き継がれている。聞くところによると、いまのペースで工事が進むと2030年ころには完成するという。ここには私たちは、日本へ帰る前日に訪問することが出来た。

 奇景を呈するモンセラートには、当然、沢山の洞窟(コバ)がありそうな匂いがプンプンする。日本にもそういう場所が結構あり、私はこの種の感覚には敏感で、そういうところに行くのが若い頃から好きである。実際、鎌倉のある洞窟で祈った経験もある。すっかり、モンセラートのコバに心惹かれてしまった私は、皆がバルセロナに行っている間に、どうしても黒の聖母の発見されたサンタ・マリア・コバ参りをしたくて、出掛けることにした。間違ってロープウェイで麓まで降りてしまったり、再び上まで登り、ケーブルカーで行き直したり、坂道をふうふう言いながら歩いたり・・・。いい思い出であったが。ロザリオの各玄義とともに上る道である。十字架上のキリストの玄義の場面は見晴らしのいいところに立ち、遠くからも目立つ大きな十字架がたてられていた。この日、天候にも恵まれており、前から横から後ろから下から・・・イエスの御顔を見上げていた。下から眺めると、真っ青な空の下にそそり立つイエスの姿は、青天とイエス像だけの、他の一切の被造物が削除された、美しい場面だった。次の復活の玄義の場面は特に秀でており、ガウディによる。さらに天の元后・マリアの玄義の登り切った所にサンタ・コバがある。洞窟に入る前に、山頂なのに、神社の口と手のすすぎ場のように清水がチョロチョロと流れており、聖地に入る前に清め終えて、厳粛な気持ちで小聖堂(コバ)にはいる。

 隠されていたマリアの洞窟は入って直ぐにあり、沢山の新しい花が添えられていた。ムラネタ(の複製)は洞窟の右上段に安置されている。前に祭壇があり、さらに訪問者のために椅子が置かれていて、祈れるようになっている。坐禅を組んで呼吸法の祈りに馴染んでいた私であるが、幼少年・青年時代に行っていたように、自然に素直に、ひざまつき、顔をマリア像に仰ぎ見ての祈りだった。静寂な場所だ。霊気の漂う地だ。神秘と出会うには、騒々しい街を避け、深山幽谷に入り、神秘の霊気に触れる環境が大事だ。これは東西変わらぬことである。壁に説明があり、ここではマグニフィカット(聖母賛歌)を称える慣わしがある、と。いつの間にか父親と一緒にやってきた幼い子供が、父親の説明を受けてからマリアさまの歌を小声で歌っていた。

 キリスト教は上へ上昇させる祈りだ。手を挙げ、顔を挙げ、天に向かって賛美する。東洋は手を肚付近に組み、腰骨を立て、顎を引き、目を2メートルほどの先に落とし、考えることをやめて呼吸三昧へと進ませる。こうして泥沼の自分に向き合い、さらに内面降下させることにより(内在する仏性)神秘に出会わせる道だ。こうして同じ洞窟での修行でも東西のやり方、道を極める道の多様性がある。西洋人は頭・思念・想いを沈黙させることが出来ない。東洋人は想いから脱自することを目指す。仏説大安般守意経(釈尊の呼吸法)では、思念や想念は「罪」と呼び呼吸三昧に入るようにすすめる。聖書でも「禁断の智慧の木の実」を食べて罪が入ったと言う。こうしたことを悟っているキリスト者は多い。たとえば、幼きイエスの聖テレジアもそうだが、14世紀イングランドの無名の作者が『不可知の雲』で観想への道として、記憶・想いを忘却せよ、と書いているように。

 きりがないので、次にすすもう。モンセラートを出てからバスで、数十分、イグナチオ・デ・ロヨラのマンレッサの洞窟を訪問した。1522年3月24日の深夜モンセラートへ巡礼した元軍人青年イグナチオは、モンセラートのマリアに自分の武器を聖母に奉献し、キリストへの道に回心する。モンセラートの霊気から去り難く、その聖なる山をいつも見ることの出来るマンレッサの一つの洞窟で過ごす。彼はなおかつ、浄め・照らしの時を深め、神の光の体験を受ける。そしてここで後の『霊操』を書き始める。
イグナチオについては私自身も若い頃から馴染み、「霊操研究会」などに属し、魂の内面世界へのイニシエーションをうけた。その延長上に「心のいほり キリスト者のための内観瞑想」がある。どこのうちにもある障子・襖・衝立を使って人工的に洞窟を作り、その中に入り一時的に隠遁者になる。「コバ(洞窟)体験」をするのだ。自己の内面に降下し、惨めな自己と、それを大きく包みこむ憐れみの神の体験をしようとするわけだ。マンレッサの洞窟を訪れる人は、我々以外にはだれもおらず、門も閉じられたままの状態であった。少し待ってから中に入ったが、霊的な活気はなく、歴史的遺産として残されている程度のさびしい印象であった。しかし、マンレッサのコバで捧げた私たちの巡礼団だけのミサは、よかった。                                                      2005年10月11日
                                             藤原 直達 神父 


モンセラート修道院内にある最古の礼拝所・コバ。イスクラと呼ばれる隠遁所である。


「東西の霊性の源流を訪ねて巡礼(2)

モンセラートの不思議な奇景のもとに身を置き、深呼吸する。長年の歴史の中で厳然と修道生活を継続する聖ベネディクト修道院・大聖堂・黒のマリア像・サンタコバ(聖なる洞窟)・隠遁所などで祈り、東西の霊性を探り、修道院での静修(予定、場所が変わるかもしれないが)で過ごすという巡礼。めったにない巡礼です。団長は藤原直達神父。

2006年5月8日(月曜)午前に関空出発、14日(日曜)午前に関空到着。
参加費用は29万円の予定。

現地時間5月8日夜モンセラート到着、四泊の宿泊。
9日から12日までモンセラート大聖堂を中心に巡礼。
その間、ミニ内観経験(場所は修道院か祈りの家)を数時間。

12日バルセロナへ。市内見学とホテル宿泊。13日バルセロナを出発。
日本時間、14日午前中に関空で帰国。

お問い合わせ ヨーロッパ・カトリック聖地巡礼センター 
〒575-0043 大阪府四條畷市北出町13−5コムユニテイ内
TEL:0728-63-6667 FAX:0729-63-6668 gedesk@com-unity.co.jp
旅行取扱:エアーワールド(株)代理業 
コムユニテイワールド 大阪府知事登録旅行業者代理業第5393号


お問合せは手紙かFAXでお願いします。
〒572-0001 大阪府寝屋川市成田東町3-27
「心のいほり 内観瞑想センター」
事務局代表:藤原直達神父
FAX:072-802-5026 携帯:090-2401-9374
E-mail:naikan@com-unity.co.jp