内観のこころ (42)
いつくしみ

1 どなたかが、今日は第三次世界戦争の様相だ、といわれた。過去の戦争と違う形で、いま、人類は戦争状態にある。大変なことがおこっているけれど、今日食べるものに事欠くことなく、雨風にさらされることもない、平和ボケした日本では、それほど危機感を覚えないだけなのかもしれない。
現代の諸現象の深層について、宮本久雄神父(ドミニコ会)は、キリスト者に納得できることばで、今日人類全体が非人間的な全体主義的構造の縄目に操られていることを指摘し警告し続けておられる。エコノミー(経済)、ビューロクラシー(政治、官僚制)、テクノクラシー(技術主導的体制)が悪魔的働きとして勢いを増し、世界は偶像にひざまずいているかのよう。個人の力ではどうしようもないこの偶像礼拝の波に飲み込まれて、人間の身体的・精神的・霊的レベルは蝕まれ、世界は破壊へと導かれている。こうした闇の力が支配する状況の中で、レリギオ(宗教)もそうした価値観と絡んで神の息吹(ルァッハ)が消される危険性を述べる。それを支え続けていた哲学・神学がある。西欧キリスト教のど真ん中で、70年前のアウシュビッツでのユダヤ人虐殺(ホロコースト)が生じた。それらの根っ子に、我々も学ばされたギリシア哲学の存在論体系があったことを、明るみに出す。詳しくは彼の著書を読んでいただくとして。
御父、御子、聖霊の三一の神に逆らう闇の力が、現代においてエコノミー・ビューロクラシー・テクノクラシーという顔である。この悪の勢力に呼応する神の答え(聖書の教え)が「ヘセッド(いつくしみ)・エメット(まこと)・ヘレム(あわれみ)」であると、彼は言う。(たとえば『他者の風来』(2012年 日本基督教団出版局) 

2 100年まえ、1917年、ファチマで聖母マリア様の御出現があつた。第一次世界大戦の終結と次の世界大戦の予言がなされ、人々が神に立ち返るように告げた。また、その第三の秘密では、第三次世界大戦のことがアレコレと噂されたのはご存知のことだろう。 
1935年以降、今度はイエス様ご自身が直接介入して、無学なポーランドのシスター・ファウスチーナ(1938年帰天)に「神のいつくしみ」を伝えるように告げる。21世紀のいま、「いつくしみの特別聖年」の最中だ。神のいつくしみは、素直に聖書を黙想すれば、神の本質的なものであると気づくが、教会で充分には強調されていなかった。平和は皆が神の慈しみを信じるようになるまで、決して与えられない。「イエス、あなたを信頼します」と祈りなさい。どんな大罪を持っていても、イエスに近づきイエスから赦しをいただきなさい。神(の愛・いつくしみ)はどんな罪にも打ち勝った。信頼してひたすら祈りなさい。その後、聖女は同じポーランド人教皇である聖ヨハネ・パウロ2世によって列聖される(2000年)。ファウスチーナに告げられてから、80年経過しての「いつくしみの特別聖年」だ。地上の教会は世のしがらみを沢山着てしまっているので、理想の姿が見えなくなりがちだが、教皇様は毎日、「いつくしみ」を語り続けておられる。それが使命であるかのように。

3 いま、イスラム過激主義者の暴力的テロでシリアは大変な状況だ。昔はこのシリアでキリスト教が栄え、敬虔な信徒が沢山いた。その中でもシリア(ニネヴェ)のイサクという聖人は有名だ(6〜7世紀)。数年前に『同情の心(シリアの聖イサクによる黙想の60日)』(梶原史朗訳)という本を知る。イサクはいう、もし正義と平和をいうならば、だれも神の裁きの前に立てないだろう。正義なる人物はどこにもいない。この世に人間の力だけでは平和を作り出すことはできない。平和は復活したイエスから与えられる。彼は、正義よりも憐れみ(いつくしみ)の優先を説く。そして幸いなことに、神の憐れみにより、罪人も平和の国に入ることが出来る。
では、何もしなくてただ待っておればいいのか。とんでもない、一番、精神的な活動であると称され、かつ一番困難な「自己の心の闇との闘い」、これに挑むのだ。これを通して神のいつくしみの中へ至らざるを得ない、といきつく。そんなこと出来るわけがない?そうです!だから「主イエス、信頼します」の祈りが準備されている。特別聖年がイベントやスローガンで終わりませんように!
(2016年4月 息吹56号)